ヤソップさんと誕生日
※拾われた主人公は赤髪クルー
ふわ、とあくびを零したおれは、手元から逃げかけた釣竿を両手で握り直した。
久し振りに穏やかな海域に入ったレッド・フォース号は、これから次の島になるという話の冬島に向けての用意で騒がしい。
今度の島の村は小さくて、海賊がやってきたことに少し驚いている様子だったが快く物資を買わせてくれた。
ただし本当に小さな島なので、食料を買い込むにも限界がある。
おれと他数人のクルー達の本日のお役目は、釣りをしてできる限りの魚を入手することだった。
わざわざ船を島の裏側に回したのも、原住民たちが普段漁を行わない場所を聞いてやってきたからだ。
夕方になったらもう一度正面側に回して買い付け組を迎えるので、それまでにはぜひとも巨大魚の一匹や二匹を釣り上げたい。
そうしたら大頭も喜んでくれるかな、なんてことを考えながら釣竿を握っていると、真後ろでとん、とわずかに足音がした。
「ヤソップさん?」
「あたりだ」
聞き覚えのある音に振り返らずに声を掛けると、面白がるように答えた相手が近寄ってくる気配がする。
やがておれの横に座ったのは、我が船きっての狙撃手だった。
いつものいかつい銃をちゃんと背中に背負っていて、相手からはほんの少しだけ火薬の匂いが漂っている。
「今日も危険な香りがしますね」
「なんだおい、褒めるなよ」
「褒めてるわけじゃないんですが……」
にんまり笑った相手に首を傾げつつ、ふと手ごたえを感じたおれは視線を水面へと向けた。
水面の下の見えないところで魚が餌をつつき、そうして食いついた瞬間を逃さず勢いよく釣竿を振り上げれば、ばしゃりと水をはじいた魚が水中から姿を現す。
両手で抱えられそうな大きさだが、うちの大食らいにかかれば三口くらいだろうか。
「小さいですね」
「いや、充分でけェよ」
眉を寄せたおれに笑って、横から伸びてきた手がおれの方へ近付いていた魚を捕まえる。
急に空中へ揚げられた驚きでびちびちと暴れる魚を針から外し、そうしておれの後方にあるいけすへとその手が魚を放り投げた。
うまく入ったんだろう、じゃぱんと水を跳ね上げる音だけが聞こえて、すぐに静かになる。
ありがとうございます、とそちらへ礼を言いつつ、おれは新たな餌をつけて海へと釣り糸を垂らした。
「今度はもっと大きいものを釣ります」
「なんだ、大物狙いか」
働き者だな相変わらず、とにんまり笑った相手がおれの背中を叩く。
大きなその掌は、おれを海から拾った時と何も変わらない。
おれを海に放り捨てた『父親』だった奴よりも、ずっとずっと大事で優しい掌だ。
少し荒れていて硬化した、そして温かさのあるそれを感じて、おれは釣竿を握ったままで視線を側へと向けた。
「ヤソップさんは、釣りはしないんですか?」
「おれァ現場監督だろ」
おれの問いに、両腕を組んだ相手がふふんと胸を張る。
「そうですか」
「おい」
副船長辺りにそう言われたのかと納得して頷くと、何故だかべしりと背中を叩かれた。
少しの痛みに眉を寄せたおれを見て、ヤソップさんが何やら呆れた顔をした。
「もっとこう、なんかねェのか。嘘つけ! とか」
「嘘ついたんですか?」
「んぐ」
寄越された言葉に目を瞬かせると、何かに詰まるようにヤソップさんが口を閉じる。
その目がちらりとどこぞを見やり、それからまたこちらを見て、素直すぎるんだよお前は、と低い声で唸られた。
「褒めないでください」
「褒めてねえよ!」
言葉と共にまたばしりと背中が叩かれる。
背中を逸らせてその暴力に耐えたおれは、じりじりと痛みにしびれる部分に片手をやろうとしながら、釣竿を握り直した。
「ヤソップさん、痛い」
「相変わらず弱ェな、ナマエ」
やれやれとため息交じりに言葉を寄越される。
それでも、伸びてきたその手が今度はおれの背中をやさしめに撫でたので、文句は言わずにそれを受け入れた。
しばらくそうやった後で、もう片手を動かしたヤソップさんが、おれの背中に何かをくっつける。
するりと回ってきた大きな手がおれの体にベルトをかけてそれを固定してしまったので、片手を釣竿に捧げているおれは、空いている片手で狙撃手の手が通り抜けて行った後を押さえた。
「なんですか、これ」
これ、で指で示したのはベルトだが、おれの問いの意味は分かったんだろうヤソップさんが、にんまりと笑う。
「この前『やってみたい』って言ってただろ」
「やってみたい……」
寄越された言葉に言葉を繰り返しつつ、ベルトを辿って背中側へと改めて手をやる。
指に触れた冷たい感触は大きくおれの背中を斜めに横切っていて、肩の上から触れたそれの先端には穴があった。
吹いた風に漂った香りとその形状に、それが何なのかに気付いて視線をヤソップさんへと戻す。
「銃?」
「おう」
おれの問いかけに、ヤソップさんは大きく頷いた。
その背中にあるのと似たような形の銃が、どうやらおれの背中に押し付けられているらしい。
確かにそういえば、ヤソップさんにそんな話をした覚えがある。
そうだなそのうちな、と言ってもらったから、今は自分の銃の為に金をためているところだった。
「お金、払わなきゃいけないですね」
「いーんだよ、そんくらい」
「でも」
「あーほら、あれだ。お前明日誕生日だろ」
眉を寄せて言葉を募ろうとしたおれへ向けて、ヤソップさんがそんなことを言う。
誕生日プレゼントだ、と続いた言葉に目を瞬かせて、おれは明日の日付を思い出した。
そういえば確かに、明日は〇月◇日だ。
ずっと前に少しだけ話したことのあることを、どうやら傍らのこの人は覚えていたらしい。おれ自身すら、いい思い出の無いその日のことは毎日の生活に忙しくて忘れていたのに。
嬉しさに顔が緩みかけたのを感じて、しかし慌てて引き締めながら、じゃあ、と言葉を零した。
「おれは、『ウソップ』のプレゼントを買えばいいんですか?」
『そげキング』の名で手配書の出回っているその海賊は、おれの傍らの相手の息子だった。
おれはまるでそれを知らなかったけど、麦わら帽子の似合う海賊の手配書が出たときに端っこを見て喜んでいたヤソップさんからすれば、仮面をかぶった『そげキング』の手配書から見ても簡単にわかるものらしい。特徴的な長い鼻は、ヤソップさんの嫁譲りだということだ。
たまに仕入れる麦わらの一味の話の中に出てくる狙撃手の話を、ヤソップさんはいつも楽しそうに聞いているし話してくれる。
そう、ヤソップさんの息子もまた、『狙撃手』だった。
それならおれも銃が扱えるようになりたいななんて、子供のような張り合う気持ちを抱いたことは、たぶんこの人は知らないと思う。
「なんでお前が買うんだよ」
「ヤソップさんからプレゼントもらっちゃったから、ここはおれがお詫びの品を」
「どういう理屈だそりゃ」
面白がるように笑ったヤソップさんが、片手で軽くおれの頭を撫でる。
「うちの息子に何かやるなんて抜け駆けは許さねえぞナマエ。おれがやるに決まってんだろ」
胸を張ってそんな風に言い放ち、ヤソップさんはおれから少しばかり目を逸らした。
何かを懐かしむようにその視線を動かしてから、だけどまあ、とその口が言葉を零す。
「あいつももう勇敢なる海の男だからなァ」
父親からのプレゼントを受け取ってもらえるかは分かんねえけどな、と続いた言葉に、わずかに目を見開いた。
「ヤソップさん、それ……あっ!」
思わず漏れかけた声が、強く釣り糸を引っ張られたことで途切れる。
慌てて両手で釣竿を握ったおれが立ち上がると、おれの動きに気付いたらしいヤソップさんも姿勢を正した。
「なんだ、大物か?」
「た、たぶん……!」
今までにない重量に眉を寄せつつ、緩急をつけて釣竿を動かす。
途中でヤソップさんも手伝ってくれて、どうにか釣り上げた魚はその日一番の大きさだた。
「やったじゃねェか、すげェぞナマエ!」
「あ、ありがとう」
手放しでほめてくれるヤソップさんに礼を言うと、大きすぎていけすにも入らないそれをクルー達で解体するためにヤソップさんが何人か人を呼びに行ってしまう。
離れていくその背中を見送ったおれは、先ほど口から出かけた言葉を飲み込むように、片手でそっと口元を押さえた。
『いらないって言われたら、おれにください』
女々しすぎるそんな言葉を零してしまったら、きっとヤソップさんにまた背中をぶたれたに違いない。
言わなくてよかった、なんて考えながら息を零して、次なる獲物を狙って釣り糸を垂らすことにする。
おれが釣った魚は翌日の『宴』で少しだけ振る舞われて、みんながおれの誕生日を祝ってくれた。
end
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