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イッショウと誕生日
※『傍らの安寧』『のどやかなる日々を』設定
※主人公は死んでいる



「俺、今日誕生日だったんですよ」

 ふと思い出したように寄越された言葉に、へえ、とイッショウは相槌を打った。
 海軍本部へと向けて帰還する軍艦の上で、天候も良いからと甲板に出てきたイッショウは、風に吹かれるがままになって甲板の端を陣取っている。
 気配で『見た』様子からして、部下の海兵たちは皆忙しくしながら航路を辿っているようだ。
 その気配たちの中の例外に当たる傍らの相手は、イッショウにしか見えない『ナマエ』という名の青年だった。
 自分を『死んでいる』と言い、そしてイッショウ以外にその存在を感じる人間のいないナマエはまさしく、幽霊とも呼ぶべき存在なのだろう。
 けれども、目の見えないイッショウにはその声も気配も感じられるし、相手に触れることもできる。

「今日ってェと……〇月◇日ですねェ」

「そうです」

 ナマエの『誕生日』の日付を言えば、どことなく嬉しそうな声が傍らから漏れた。
 どこで日付を知ったのかと尋ねれば、食堂部屋のカレンダーを見たという回答が寄越される。
 そんなところにカレンダーがあったなんて、イッショウは知らなかった。

「あと三日で海軍本部につくらしいですよ」

 三日後に入港って印がついてました、と続けたナマエに、随分遠くまで行きやしたからねェ、と頷く。
 海軍大将となり、ある程度軍属であることに慣れた頃から、イッショウはあちこちの遠征任務を振られるようになった。
 早く仕事に慣れろと言う計らいならばイッショウにも異論はなく、今までにないほどあちこちの島を訪れている。
 最近はそのたびにナマエを中庭から連れ出していて、イッショウが不逞の輩に声を掛けられた時に注意してもらうようになったおかげで、部下達にその面での心配もされにくくなった。
 他の誰にも聞こえないナマエの声と会話をしているせいか、別の心配はかけているようだったが、それは取り越し苦労なので知らないふりをしている。

「それにしても、なるほど、お誕生日」

 かみしめるように言葉を零してから、イッショウは見えぬその目をナマエの方へと向けた。

「おめでとうごぜェやす、ナマエさん」

「あはは、ありがとうございます」

 イッショウの言葉に礼を述べてから、でも死んでる人におめでとうは変じゃないですか、とナマエは言葉を返した。
 そんなこたァごぜェやせん、とそれへ首を横に振って、イッショウはナマエの方へと手を差し出す。
 見ていたのだろうナマエの指がイッショウの手へと触れて、それを逃さず握り込むと、少しだけ慌てたようにナマエの指が跳ねた。

「こうして触れるのァ、つまりナマエさんが、今日生まれたからだ」

 たとえ今は『幽霊』なのだとしても、生まれてこなければ幽霊にだってなりようがない。
 だから今日はめでたい日だ、と言葉を続けるイッショウの手の中で、ぴくりとナマエの指が震える。
 ひんやりとしたそれを逃さないでいると、やがてナマエのもう片手がそっとイッショウの手へと触れて、イッショウの片手を内側と外側から挟み込むようにした。

「そんな風に言われたの、初めてですよ」

「なんとそいつァ、嬉しいこって」

 新雪を踏むことにこだわった小さな頃のような高揚を感じてイッショウが微笑めば、なんですかそれ、と呟いたナマエが笑った気配がする。
 本部に戻ったらお祝いをしやしょう、と紡いだイッショウの言葉に、変に思われるからちょっぴりだけにしてくださいね、と答えたナマエは、どうやら照れているようだった。


end


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