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目に映る心
※『みえぬもの』の続き
※無知識トリップ主人公が後天的に盲目(全盲)につき注意



 波間を揺蕩うナマエを発見したのは、見張りのクルーだった。
 どう見てもただの遭難者らしい彼が、ローの頭に詰め込んだ知識を総動員しても治せないものを抱いていると知ったのは、憐れな男を保護してすぐのことだ。

『こんなに真っ暗なのに……見つけてくれてよかった、本当に』

 助けてもらった礼を言い放ち、体を拭きながら続いたその言葉にロー達が揃っておかしな顔をしたのは、頭の上に晴れ渡る青空が広がっていたからだ。
 ナマエの両の眼は、どちらも視力を失っていた。
 明暗すら分からぬ全盲で、そしてナマエの口ぶりからして間違いなく後天的なものだ。
 ローがその目を増やしてもナマエは何も見ることが出来ず、その眼球を取り出して確認してみても何が原因で機能しないのか分からない。
 『見たもの』を感じる機能に問題があるのかと手近なところに居たシャチと体を入れ替えてみても、ナマエは相変わらず何も見ることが出来ず、そしてナマエの姿をしたシャチまでが暗いと騒ぐ始末だった。
 すなわちナマエは体と心、両方から光を失っているらしい。
 そのような症例など聞いたことがなく、ローはナマエを連れたままで海を渡ることにした。
 適当な島へ放り出したところで目の見えぬナマエはいいように誰かの食い物にされるか、もしくはのたれ死ぬのが関の山だろう。それに、恐らくオペオペの実と呼ばれる悪魔の実の力を得たローの方が、ナマエの目を治してやれる可能性が高い。
 トラファルガー・ローは、自分達が拾ったものには責任を取る海賊だった。

「……あ、船長?」

 とんとん、とつま先で床を叩くようにしてから食堂を訪れたローに、気付いたらしい一人がふとその顔を向ける。
 誰より早くローの方を向いた男の両の目は、黒い眼帯で覆われていた。
 黒いだけじゃ寂しいからというよく分からない理由で手先の器用なクルーが刺繍を施した何本かのうちの一本であるそれには、ハートの海賊団のマークが白い糸で刻まれている。
 本当だキャプテンだ、とナマエの言葉に反応したベポが、ナマエの傍でローの方を見やる。

「キャプテン、今日はお茶?」

「コーヒーだ」

「アイアイ!」

 放たれた言葉にローが返すと、答えたベポが傍らのナマエに何かを言い置いて離れていった。
 向かった先には別のクルーがいて、ローの要求を聞いてコーヒーを用意し始めている。
 そのうち航海士が運んでくるだろうそれを待つために椅子を引いたローは、背もたれに置かれた柔らかそうなクッションと、それからあちこちのテーブルやいすの角に貼られた柔らかい素材に、わずかにため息を零した。
 パステルカラーが殆どのコーナークッションは、ローの妹が伝い歩きを始めた頃、もはや今はどこにもないあの家で一時期使っていたものによく似ている。
 そして、そんな幼児のいる家庭が使うような物品は、海賊船の内装には何とも不釣り合いだ。
 しかし、必要だと判断したクルー達数人がローを相手に直訴して、ローもまたその必要性を認めたものだった。

「船長、おはようございます」

 こつこつ、と小さく音を立てて手元の杖を操りながら、近寄ってきた男がローへ向けて言葉を投げる。
 ああ、と答えてローの手が傍らの椅子を引けば、音が分かったらしいナマエがありがとうございますと礼を言いながら片手を伸ばした。
 テーブルを確かめ、椅子の背に触れて、座面を確認し、それから慎重に腰を下ろす。
 その様子を傍らから眺め、見事に椅子へと座った相手を確認して椅子を掴んでいた手を離したローは、その代わりのようにテーブルにもたれて頬杖をついた。

「おれの足音も覚えたか」

「部屋に入る前にとんとんってやるの、船長だけですよ」

 だからすぐ覚えました、なんて言って能天気に笑うナマエは、いつもと何も変わらない。
 テーブルに立てかけてある杖は木材で出来たものだが、最初に渡した時とは少しばかり姿を変えていて、手に触れる場所にはテーピングが施され、先端には鋼で出来た金具が取り付けられていた。
 どれだけ何を突こうが先端が削れないように、と言うクルーの配慮だろう。

「あとベポもちょっと足音違いますよね。比べて聞いて分かったんですけど」

 歩き方が違うのかな、と呟くナマエは、ベポがミンク族だという事を知らない。
 ローがなんとなく水を向けてみたところ、とても言いづらそうにベポを毛深い男だと形容したので、なんだかおもしろくてそのままにしてある。
 生まれながらではなく、その言葉の通りなら海へ落ちた時に急に視力を失ってしまったナマエは、目の部分を除けばひ弱な健常者と変わらない。
 しかしそれでも、人間の体は不思議なもので、最初の頃よりほかの感覚が鋭くなっているようだった。
 耳がよくなり、鼻が効く。
 甲板へ出た時は、空模様が崩れぬうちから雨を察知してローにそれを伝えてきた。
 次の島では自分だけで陸を歩かせてみるべきじゃないかと言う意見が数人のクルーから出ていて、後ろからこっそりと見守る役に立候補した者も数人いる。
 目の見えない仲間を持ったのは初めてだが、それにしても過保護が過ぎるのではないかと、最近のローは自分の仲間達に少しばかりの呆れすら抱いているほどだ。

「他の奴らも早く聞き分けられるようになるんだな。視覚が使えない以上、杖で突いた先の感触と周囲の音で足場を確かめなけりゃならねェんだ、誰が近くにいるのかは分かった方がいい」

「アイアイ」

 頬杖をついたままで言葉を投げると、ナマエがベポの真似をした。
 楽しそうに笑うその顔を見やって、ふん、と鼻を鳴らしたローの目に、コーヒーを受け取ったらしいベポが近づいてくるのが見える。
 足音でそれに気付いたらしいナマエもそちらを向いて、おまたせ、と笑ったミンク族が、トレイを片手にローとナマエの方へと近寄ってきた。

「はいキャプテン、コーヒー」

「ああ」

 白い毛皮に覆われた手が差し出す白い陶器の中に満ちた黒い液体が、ローの鼻にやわらかく香りを届ける。
 受けとったそれを自分の方へと引き寄せると、次はナマエの番だよ、と言ったベポがナマエの背中を軽く叩いた。
 頷いてナマエが立ち上がり、杖をつきながらベポが来た道を戻っていく。

「……どうした?」

「今日のおやつを取りに行ってもらったんだよ。あそこから自分の席まで戻る練習をしてたから」

 尋ねたローへそう返事が寄越されて、そうか、とローは一つ相槌を打った。
 ナマエの練習は、当然ローも監修している。しかし指示通りの練習以外にも、ナマエは自ら何がしかの訓練を行っていたらしい。
 きちんと用意していたクルーの前で立ち止まり、声を掛けて籠を受け取るその背中を見やっていたローの視界に、ずい、とオレンジ色のつなぎと白い毛皮が入り込む。

「それよりキャプテン、最近変な歩き方してるけど、どうかした?」

 どことなく心配そうなシロクマ航海士に寄越された問いかけに、ローは少しばかり瞬きをした。
 何の話だと尋ねれば、自覚が無いのかと更に心配そうな声を零して、ベポの手がテーブルに触れる。

「部屋に入る時とか、角を曲がる時、いつもつまづきそうになってるでしょ」

 こうやって、とローの動きを真似たらしい掌が、とんとんとテーブルを叩いた。
 その仕草に、ベポが一体何を気にしているのか分かって、ローの目がわずかな戸惑いを揺らす。
 確かにそれは、ローが行っているものだ。
 しかし、その頭には、『ナマエがいる場所へ入る時だけ』と言う文字が入るものであるはずである。
 特徴があればそれをきっかけに覚えられるだろうと、そんなことを考えてなんとなく始めたものなのだ。

「……そんなに『いつも』やってるか?」

「やってるよ? 昨日も船長室の前で見たから」

「………………」

 言われて思い出そうとしてみるが、そんな記憶はローには無かった。
 無意識にやっているのだとすれば、もはや確かめようもないことだ。
 どうやらいつの間にか自分におかしな癖がついたらしいと把握して、ローの口からため息が漏れる。

「キャプテン? 大丈夫?」

「あァ……ただの癖だ、問題ねェ」

 心配する航海士へそう言い放ったローの視界に、テーブルの端に貼られたままのコーナークッションのパステルカラーが映り込む。
 どう考えても海賊船には不似合いな気遣いの証は、どうやらロー自身にも浸食していたらしい。

「…………」

 貴方も大変ね、と無機物に微笑まれたような気がして、ローがコーナークッションから目を逸らす。
 自分を誤魔化すように口にしたコーヒーは相変わらずの香りだが、少し苦みが薄く感じられる。

「おまたせしました!」

 そこでようやく来た道を戻ってきたナマエが、杖を片手にやり切った笑顔を浮かべながら、ベポとローへ向けて籠を差し出した。
 礼を言って受け取って、姿勢を戻したローの手が、籠の中からクッキーを浚う。
 口にしたそれはほのかに甘く、海賊船に不似合いな優しい味がした。


end


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