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偶然を探していた
※主人公はトリップ系一般人



「あ」

 ふと見かけたその姿に、俺は思わず足を止めた。
 見やった先にはかなり年上らしい男の人がいて、角に立っていた女性を口説いているのが見て取れる。
 別に知り合いだとか、そういった相手じゃなかった。
 俺はあの人に話しかけたこともないし、多分相手だって俺のことなんて知らないだろう。
 それでもなんとなくついつい見つけてしまうのは、多分俺が相手を『一方的に』知っているからだ。
 『シルバーズ・レイリー』なんていう今の髪色に似合う名前のあの人は、ずっと昔の海賊団の副船長だった。
 今でも賞金首だし、だからだろう、まるで偽名のように『レイさん』という通称を使っている。
 女性が好きで、俺が見かける時の二回に一回は今のように誰かを口説いていた。
 あと賭け事が好きなのか、賭場の近くを通りかかるとよく見かける。
 誕生日だとか、あの人の『船長』の名前だとか、そんなこともいくつか知っているが、それらはほとんどが『記憶』から得たものだった。
 何せここは、俺にしてみれば『漫画』で読んで楽しむだけだったはずの場所なのだ。
 それがどうしてか紛れ込んでしまって、帰る方法も見つからない。
 そんな不思議なことが現実に起こる筈がないから、きっとただの夢だろう。
 そう思っていたのに、夢はいつまでたっても醒めないし、腹も減れば痛みも感じる。
 忍び寄る現実感に、俺はその『不思議』について考えることを放棄した。
 見知らぬ人ばかりの『悪夢』の中で、初めて『知っている顔』を見つけたのは一年くらい前だった。
 けれども、まさか突然親しげに声を掛けるだなんてなれなれしいことは出来なくて、ただ遠目に見ているだけにしている。
 今日の『レイリー』も元気そうだ。何を話しているのかは聞こえないが、女性に何か面白いことを言われたのか、そちらから笑い声が軽く響いた。

「……行くか」

 いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、軽く呟いて、とりあえずは仕事へ戻ることにした。
 働かなくては金が手に入らず、金が手に入らなければ腹すら満たせない。
 『夢』の中で天涯孤独の身の上となってしまった俺にとって、仕事というのは生き死にを分けるものだ。
 人さらいに人身売買が横行するこのおかしな島で、まっとうな配達員の仕事を手に入れることができたのは奇跡に近い出来事だったと思う。
 ちらりと見やった大きな包みの中身は少し気になるが、『中を見るな』と言われているので触ったりはしていない。
 少し重たいそれを運ぶためにカートを押して、俺はその場から歩き出した。
 あちこちのでこぼこに時々車輪をひっかけながら、カラカラと音を立てるカートと共に足を動かす。
 目的地はあともうすぐだと、俺はカートを押す手にぐっと力を込めた。







 シャボンディ諸島は恐ろしい場所だ。
 そんなこと知っていた筈なのに、それはやっぱり『知識』でしかなかったんだろうなと、ぼんやり考える。
 檻に入れられた俺の両手と両足は拘束されていて、逃げようとしたときに蹴られた腹がとても痛い。

「……はあ」

 配達員をやっていた筈だが、最後は自分を配達することになるとは思いもしなかった。
 俺を捕まえて檻にぶち込んだ相手によれば、俺は『商品』の『餌』らしい。
 『商品』にすらなれないという事実を悲しめばいいのか、俺をいくらかで売ったらしい雇い主に怒ればいいのか、『商品』ってなんだよと怖がればいいのか。
 急な事態に頭がついて行かなくて、座り込んでただぼんやりと自分の膝を見つめる。
 死んだら『悪夢』からついにさめることができるんだろうか。それとも、別の『悪夢』を見るのか。
 まだ今月の家賃払ってないのになとぼんやり考えて、死んだらそんなことは関係ないのかと考え直した。
 俺はこの島へ来てからまだ二年と少し程度で、娯楽を楽しむ暇もなかったから部屋には物が少ない。
 黒歴史になるようなものも無いので、第三者が片付けたとしてもまあ、少し恥ずかしい程度だ。

「……あー、でもせめて、一回くらいは手紙とか出したかったな」

「今生の最後の望みがそんなものなのか?」

 きっと俺の家族は『元の世界』で心配しているんだろう、なんて考えてぽつりと呟いたところで、真上から声が落ちた。
 唐突なそれに驚いて、びくりと体が震える。
 それから慌てて上を向くと、座り込んだ俺の真上を横切る格子の上に、誰かの足裏があった。
 草履だろうか、その裏側なんてものを見せられて目を瞬かせた俺の視界で、それがひょいと動いて、どいた場所からこちらを覗き込む相手の顔が見える。

「……は?」

 とても見覚えのある、しかしどう考えても初対面の相手を前に、思わず口がぱかりと空いた。
 俺のそれを面白がるように見下ろした相手が、軽く足を動かして、俺の真上に座り込んでしまった。
 胡坐をかいているらしい相手の下で、両手も両足も自由に動かせないまま、俺は慌てて周囲を見回す。
 幸いなことに、俺をここへ置いて行った奴はまだ帰ってきてはいないようだ。

「……おじいさん、早く逃げたほうがいいですよ!」

 それにしたってこんなところにいていいはずがないだろうと慌てて声をあげると、何故だね、と俺の上でのんびりとした声が落ちる。

「いやなんでって、ここ危ないし、もし見つかったら、」

「君のように囚われてしまうかもしれないと?」

「そうそう!」

 寄越された台詞に大きく頷くと、どうしてか俺の真上の相手が大きく笑い声を零した。
 その手がひょいと格子へ触れて、その指二本が内側へと入り込む。
 そこに小さな鍵が握られていて、ぱっと離されたそれが落ちて、こつりと俺の眉間あたりを打った。

「いてっ」

「ちゃんと受け取りたまえ、君のその錠の鍵だ」

「え」

 思わず身を竦めた俺の上で、人の上に物を落としてきた相手がそう言った。
 寄越された言葉に困惑しつつ、俺は自分の体の上へと落ちていった小さな鍵を見やる。
 体を捩り、少し鍵を滑らせてから、どうにか手でそれを捕まえた。
 抓んだそれには見覚えがないから、本当にこの手錠と足かせの鍵なのか分からない。
 しかし、それよりなにより最大の疑問は、どうしてそれをこの人が持っていて、今俺に寄越したのかということだった。

「…………あの、おじいさん」

 問いかけようと口を動かした俺の上で、ううむ、と座っていた相手が唸る。
 その尻が格子を離れて、立ち上がった相手がひょいと俺の上から床へと飛び降りた。

「そう呼ばれるととても老いたような気持ちになるな。別の呼び方をしてくれ」

 俺を見下ろしてそんなことを言い放つ相手の顔は、ときどき見かける笑顔だ。
 しかし、その目はまるで笑っていないように見えて、俺は少しだけ背中を真後ろの格子へと押し付けた。
 なぜだろうか。目の前の相手が、少し怖い気がする。
 いや『海賊』なんだから当然なのか、と頭の端で考えつつ、恐る恐ると口を動かした。

「べ……別の呼び方って?」

「うん? なんだ、私の名前を知らなかったのか、ナマエ」

 初対面の筈の相手が俺の名前を口にして、これは寂しいな、なんて呟いたその口元へと片手が触れる。

「一年もあれだけ熱烈に見つめてきた癖をして、情報収集をしてくれていなかったとは」

 残念そうに寄越された言葉に、俺は、俺が『見ていた』ことを気付かれていたということにようやく気が付いた。
 これは恥ずかしい。しかも男が男を見つめていたなんて、普通に考えて嬉しいことじゃないだろう。
 ぶわ、と顔に熱が宿ったのを感じて身じろぐと、わはは、と向かいの相手がまた笑い声を零した。
 それから、その手が鉄格子へと触れる。
 もしや檻の格子を壊せるのか、と思わず見つめた俺を見下ろし、笑みを深めた相手がそのまま格子を引っ張った。
 俺が入っている檻は小さく、いわばケージのようなものだ。
 間違いなく重たいだろうに、俺ごとずるりと引っ張られて、バランスを崩して頭をぶつける。

「いっ」

「おや、大丈夫かね?」

 問いながら、しかしそれほど心配した様子もなく誰かさんが歩き出した。
 その手は格子を掴んだままなので、当然俺の入った檻も移動していく。
 ずるずると引きずられ、そのたび揺れる体をどうにか内部で格子を掴んで支えながら、俺は訳も分からないまま自分を引きずる相手を見上げた。

「あの、何を」

「私の名前は知らなくても、私の生業は知っているだろう、ナマエ」

 コーティング屋を営む相手の言葉に訳が分からず目を瞬かせていると、俺を引きずりながらちらりとこちらを見下ろした相手の顔が、先ほどと同じく笑みを作った。
 とても楽しそうだというのに、やはりどこか凄みを感じて、ぎゅっと体を縮こまらせてしまう。その際に引きずられた檻がゆれて、頭がごちりと格子へぶつかった。
 痛みに顔をしかめて歯を食いしばった俺の耳に、笑いを含んだ声が届く。

「海賊というのは奪うものだ。気に入っていたものが横取りされそうだというのなら、尚更」

「………………え?」

 寄越されたそれの意味を確かめたくて半ば閉じていた目を開くと、すでに俺を引きずっていた相手はこちらを見てはおらず、通路へ向けて歩きながら俺の入っている檻を引きずっていた。
 これだけ力持ちなら格子の一つくらい折り曲げられるんじゃないかと思うのだが、どうもそうしてくれる気配はない。

「まあとりあえず、その手足のものは外しておきなさい」

 それどころかそう命じられて、俺は思わずそれに従った。
 『シルバーズ・レイリー』と、どうしてか俺へ向けて誰かさんが本名を口にしたのは、檻に入ったまま引きずられて隠れ家らしいとある店まで連れて行かれてからのこと。
 どうにか檻からは出してもらえたが、いつの間にかコーティング屋の従業員に数えられていたのがどうしてなのかは教えてもらえなかった。
 とりあえず、どうやら俺の『夢』は、まだまだ続いていくらしい。



end


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