拾ったら届け出ましょう
海賊は全部が全部屑だと言うわけではないが、それでも屑な行為をする輩はいる、ということをクザンは知っていた。
もっとも、それは海賊に限った話ではないかもしれない。
そして海賊達から見れば、己の正義を持ってその行為を妨げ殺戮する海軍大将もまた、似たようなものだろう。
もはや動く海賊の一人もいなくなった海賊船は不気味なほどに静かだ。
生憎といつもの散歩と言う名の現実逃避の途中だったクザンは部下を連れてきておらず、最後に船を沈める前に確認しようと歩いている途中で、その足を止めていた。
正しくは、引き止められていたのだ。
クザンが見やった檻の中はとても静かだった。
格子にもたれるようにして座り込んだ青年の手がクザンのコートの裾を掴んだりしていなかったら、そこにいるのは死体だとクザンは判断しただろう。
けれども確かにしっかりとその手がクザンのコートを掴んでいるので、海軍大将は確認のために言葉を投げた。
「あー……生きてるか?」
「………………生きて、ます」
しばらくの沈黙の後で、返事が寄越される。
意外としっかりした声だ、とそれを聞いて思いながら、クザンは檻越しにうつむいて格子に体を預けた青年を見下ろした。
海賊達の憂さ晴らしに暴力を受けていたのか、体のあちこちに傷があった。
首には首輪が嵌められているらしく、まるで犬か奴隷のように壁から伸びた鎖でつながれている。
悲惨極まりない青年の姿に、何と声を掛けていいものか迷ったクザンは、だんだんと面倒になって口を動かした。
「何か……まァ……アレだ。酷い目に遭ったみたいで」
「……そうみたいですね」
無神経にも思えるクザンの言葉にも大して感情を動かさず、青年が言葉を放つ。
あまりにも平坦なそれに、クザンはほんの少しだけ目を丸くした。
「あららら、何だか他人事みたいに言うね」
「……ここが現実なのか、分からなくなりました」
クザンの言葉にそう応えて、そこでようやく青年が体を動かす。
鉄格子から細い手を肘の手前辺りまで出したまま、クザンを見上げた青年は少しばかりぼんやりとした目をしていた。
黒い髪の向こうの人形のような目が、じっとクザンを見つめる。
あまりにも感情の見えないそれに少しだけ眉を寄せて、クザンもその視線を見つめ返した。
しばらくクザンの顔を見上げてから、軽く青年が首を傾げる。
「…………あなたはだれですか?」
「……おれのこと知らないの? 結構有名だと思ってたんだがなァ」
言いつつ、クザンは自分の右手を肘辺りまで凍らせて見せる。
海軍のコートを着て氷を扱う男など、クザンは自分以外に知らない。
ましてや海軍大将ともなれば、海軍の最高戦力だ。
海賊船に乗っているか乗っていないかにかかわらず、一般人だってそれなりに知っていることだろう。
けれどもクザンの行動に不思議そうな顔をしたまま、そうなんですか、と青年は呟いただけだった。
そしてそれっきり、ただじっとクザンを見上げている。
その双眸にはやはり感情など宿りもせず、クザンは数秒その顔を見下ろしてからそっと手から氷を消した。
凍傷になりそうなほどに凍りづいていた腕が元通りになったのを見ても表情を変えず、しばらくクザンを眺めた青年が、やや置いてから言葉を零す。
「……………あの海賊達は……どうなりましたか」
ぽつりと呟く青年の顔には、殴られたのだろう傷跡があった。
青年が言う海賊達というのは、つまり、クザンが黙らせてきたこの船の持ち主たちのことだ。
叫び声も怒号も悲鳴も聞こえていただろう青年の問いに、クザンが囁く。
「何となく分かってると思うけど、知りたい?」
「…………いいえ」
どうでもよさそうなクザンの言葉に、青年はそっと首を横に振った。
強いんですね、と呟く青年に、まあね、とクザンが肩を竦める。
「こっちも、海軍大将なんてやってるからね」
「そうですか」
「そ」
まるで世間話をするように言葉を交わして、また二人の間には沈黙が落ちた。
静か過ぎるその場所で、しばらく押し黙ったクザンの手が、がりがりと自分の頭を掻く。
「…………あー……アレだ」
「……? はい」
話しかけられて青年が返事をすると、とりあえず、と前置いてクザンは言葉を紡いだ。
「そこから出してあげるから。まず、おれのコートから手ェ離してくれるか」
鉄格子に触ってると危ないから、と続いたクザンの言葉に、だしてくれるんですか、と呟いた青年は目を丸くした。
驚き混じりのその顔に、そうでなかったらここまで来ないでしょうよ、とクザンは苦笑いする。
ぼろぼろで汚れた手が恐る恐ると言った風に開かれて、クザンの白いコートを手放し、檻から中へと引っ込んだ。
クザンの手が鋼鉄の格子に触れて、ばきりとそれを凍らせ、軽々と破壊する。
奴隷のように鎖に繋がれたままの青年は、簡単に出口を作ったクザンを、まるで眩しいものでも見るような目をして見つめていた。
ぽいと手に持っていたものを後ろへ放り投げて、静か過ぎる船内に派手な音を立てさせながら、クザンの片手が青年へ向かって差し出される。
「ほら、立って。あー……足、怪我してたりする?」
「……いえ、歩けます」
差し出されたそれを見て、つい先ほど鉄格子を凍らせた恐るべき掌に、青年は何のためらいも無く自分の手を乗せた。
そう、と頷いたクザンの手が青年を立ち上がらせれば、クザンよりも随分と小さい青年はまっすぐその場に佇む格好になる。
その手を放してから、立ち上がった彼の首にクザンが改めて両手を伸ばすと、青年は少しばかりびくりと震えたが、首輪を外されているのだと気付いてすぐに体の強張りを解いた。
かちゃかちゃと小さく音を立てて、やや置いて首輪が青年の首から外れる。
体を鍛えた海兵ばかりを見ているクザンから見れば細いとしか言いようのない青年の首には、首輪で擦れたような跡がたくさんついていた。もしかしたら、首輪を使って首を絞められたことだってあるのかもしれない。
クザンが外した首輪に青年が触れて、先ほどクザンが鉄格子をそうしたように、自分の後方へぽいと放る。
壁に当たって鎖が高く音を立て、首輪と共に床へと落ちた。
「それじゃ、行こうか」
自由になった青年へクザンが言うと、クザンを見上げた青年が不思議そうに首を傾げた。
「どこへ、ですか」
「どこって、そりゃ…………あー……」
ぽつりと寄越された言葉に、そういえば彼をどこへ連れて行こうか、とクザンは少しばかり思案する。
クザンは現在海軍本部から本業の逃亡のための散歩中で、軍艦だって連れてきてはいない。
クザン一人ならともかく、ただの一般人に見える目の前の彼をつれて、長距離を移動できるほどグランドラインの海は易しくはないのだ。
頭の中に海図を思い浮かべたクザンは、やや置いて、そういえば近くに海軍の支部がある、ということを思い出した。
海賊に拉致されていた青年を保護させるには、うってつけの場所だろう。
「……そうだな、とりあえず近いから海軍支部に行くか」
海で拾ったものは海軍に届けるもんだろう、とふざけて付け足したクザンに、そうですね、とまじめな顔で青年が同意した。
本気でそう思っているらしいと分かったその表情に、あららら、とクザンはため息を零す。
クザンが海賊船で見つけた彼は、あまり、冗談の通じない相手のようだった。
END
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