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notトリップ主はサイファーポールの教官A そしてルッチ 今日は蓄音機の日 ぜんまいを巻かれた台の上で、ゆっくりと回る大きな円盤を針がなぞる。 ラッパのように大きく開いたスピーカーから流れる音は紛れもなく音楽で、どことなくなつかしさを感じさせる柔らかな音がゆっくりと間延びしながら遅くなっていく様子を耳で感じ取り、ルッチはちらりとそちらを見やった。 「おっと」 声を洩らして、本を膝の上に置いた男が手を伸ばす。 ソファのすぐそばに置かれた丸いテーブルの上から引き寄せられた蓄音機のぜんまいを巻くために、取り付けられたハンドルがくるくると回された。 一番最後まで巻き終えたそれを男が手放すと、また円盤がゆっくりと回り始める。 それを見下ろし、男は満足そうな顔で蓄音機をテーブルの上へと戻した。 今日、この部屋へとやってきてから、すでに何度も行われている行動だ。 二人掛けのソファを一人で使っているルッチの向かいで、気に入っているらしい一人掛け用のソファへ腰を落ち着けた男に、ルッチの視線が突き刺さった。 「見過ぎだ、ルッチ」 刃物だったらその顔にいくつか穴が開いていただろう程度に注いだ視線に、笑った男がそんな風に言う。 サイファーポールを幾人も育て上げ、そうしてこれからも育てていくだろうその男は、かつてルッチの指導をした先達だった。 今もこの島で、後進の育成に力を注いでいる。 今日はそんな彼の数か月に一度の『休暇』で、それを聞きつけていたルッチがこの部屋を訪れたのは、すでに数時間前のことだ。 『ああ、いらっしゃい』 唐突に現れたCP9最強の男を前にして、老いた男は目じりを柔らかく弛ませながらそんな言葉を投げた。 見た目からしてただの優しげな男だが、見た目通りの男ではないことなどルッチには分かり切ったことだった。そうでなければ、この島でいつまでも、諜報員となる人間を育ててはいられない。 恐らく、前触れもなくルッチが現れることも、どこからかの情報で入手していたのだろう。 綺麗に片付けられた部屋の一番柔らかいソファはルッチへと明け渡されて、男はそのまま一人掛けのソファへと腰を落ち着けた。 好きに過ごしてくれと言われ、食事や飲み物も用意されていたが、この部屋でそう言ったものをルッチが口にしたことはほとんどない。 鍛え上げられた諜報員は微弱な毒なら効かないし、毒ならそうと分かった時点で回避できるが、毒以外にも恐ろしいものはいくらでもあるぞと、それをルッチへ教え込んだのも目の前の男だった。 「音貝の方が正確に音が出るが、わざわざそれを買ったのか」 音を奏でる蓄音機を示して、ルッチがそんな風に言葉を零す。 ルッチの言葉に、そうだよ、と男は答えた。 あっさりとしたその発言に、何故そんなことをしたのかと、ルッチは怪訝に思ってテーブルの上の道具を見やる。 何度も何度もぜんまいをまかなくてはならない、小さなそれはやっぱり音楽を奏でてはいるが、どこそこの楽団だと教えられた曲を耳にして、ルッチはその音のずれを正確に感じ取っていた。音の揺れを写し取った溝を使って奏でられる音楽は、当然ながら本来の演奏とは少し違った音を出す。 それならば音貝に曲を録音してしまえば、より正確に好きな楽団の音を聞くことが出来るはずだ。 ダイアルは貴重なものだが、目の前の男が望めば手に入る物品だ。何せここは偉大なる航路の中にある島で、サイファーポールを鍛える教官の一員であり古株のこの男は、それなりのツテがある。 「正確に聞くより、雰囲気を楽しみたい気分なんだ」 こういうのも好きなんだ、優しい音でいいだろう、なんて言い始めた男の言葉に、ルッチの眉間にはしわが寄った。 「理解に苦しむ」 「ははは」 唸ったルッチに男が笑い、その手が改めて本を開いた。 まだ読書を続けるらしい男に、思わずルッチの口から舌打ちが漏れる。 客が来たというのに、この家主はまだ客を放っておくつもりらしい。 柔らかな音だという音楽を奏でる蓄音機と、その傍らに座る男を睨みつけたルッチが、ひょいとソファから立ち上がる。 部屋の中で好きにさせていた白い鳩が、『帰るのか』と尋ねるように小さく鳴き声を零した。 それを受けたルッチが、一瞥もせずに軽く指示を出すと、広げかけた翼を畳んだ鳩がまたうとうとと窓際でまどろむ。ルッチに帰宅の意志は無いと、しっかりと把握したらしい。 そのまま床を靴で踏みつけて、ルッチは足を進めた。 足音を殺した歩みだが、正面から近付く人影に、目の前の男が気付かないなんてことは無いだろう。 だというのに、本へ視線を落としたままの男は、身じろぎの一つもしない。 ますますつまらなくなり、ルッチは男のすぐ前で立ち止まり、片足を持ち上げた。 わずかに鉄塊すら使って強化した靴底が、真っすぐに相手の膝を狙う。 しかし、するりと触れた手がその軌道を逸らさせて、代わりに靴底を叩きつける格好になった床へわずかなひびが入った。完全に鉄塊を扱っていたら穴の一つも開いただろう。 「おやまァ」 それを見下ろしたらしい男が、のんきにそんな声を零す。 気にせずルッチが振りかぶったこぶしを相手へと突き出すと、それもするりと軌道を逸らされ、ついでに服を掴まれて引き寄せられた。 別段それへ抵抗することなく、むしろ多少の協力をして移動したルッチが座り込んだのは、ソファに座っていた男の膝の上だ。 ひじ掛けがうまい具合に背もたれになり、片足が反対側のひじ掛けへと乗ったので、床に触れていた方の足も持ち上げてそのまま自分の片足に重ねた。 靴底が軽く蓄音機を蹴飛ばして、倒れた哀れな機械がゆるりと稼働を止め、音楽が消えていく。 それを確認し、ついでに動かした手で男が持っていた本を掴んだルッチは、それをそのままぽいと離れた場所へ放り投げた。 狙いをつけたそれは問題なく先程までルッチが温めていたソファの上へと落ちる。開いたまま落ちたのでページは折れてしまっただろうが、ルッチには関係のないことだ。 ルッチの全体重をその膝へ受けた男が、テーブルの上と二人掛けのソファをちらりと見やってから、まったく、とため息を零す。 「しかたのない子だ」 「ガキ扱いするんじゃねェ」 やれやれと漏れた言葉に、ルッチは唸った。 おれを放っておくほうが悪いと言葉を続ければ、ルッチのそれを聞いた男が、おや、と少しばかり目を丸くする。 あまり背丈の無い男の顔がルッチの表情を覗き込むようにして、寄こされた視線を見つめ返すと、ふふ、と優しげな声音が笑い声を零した。 どことなく面白がるようなその顔を見やり、もう一つ舌打ちを零したルッチの手が、男の首へと触れる。 力量から言えば間違いなくルッチの方が強く、圧し折ることなど容易にできる男の首には、わずかな傷跡がついている。 獣の大きな口で噛みつかれたと思えるその跡は、『前回』、ルッチがその首筋に刻んでやったものだ。 シーツも枕も血まみれにしながら、動脈も静脈も切らず、命に別状なく致命傷じみた跡だけを残してやったルッチの所業にも、この男は今と同じ顔をして笑っていたなと、ルッチは思い出す。 「いやはや、おれの男は相変わらず可愛い猫ちゃんだなァ」 「ふざけたことを抜かしやがって」 まったく、CP9最強の男を猫扱いするだなんてなんとも不愉快なことをされて、ルッチがその愚かな行為を許してやっているのは、この意地の悪い恋人くらいなものだ。 それを自覚しているから、この男はたちが悪い。 end 戻る |