「あー最悪。傘持って来てないし!」
生徒昇降口から外に出れば、数少ない外灯に照らされ光るそれが、地面目掛けて一直線に降り注いでいた。
昨日の天気予報では降らないと言っていたのに、昼頃から空に灰色の雲が掛かりだし…ついに部活が終わった今、降り始めてしまったのだった。
それにしても、タオルを頭に被って走って帰ったとしても、とても凌げるレベルじゃない。
「私の傘に入っていく?折り畳みだから肩とか濡れるかもしれないけど…」
「ほんとに!?助かる!」
さっきとは裏腹に安心しきった様子の友人のともだちの隣で、手探りでカバンの中にある折り畳み傘を探す。すると、校舎の方から彼女を呼ぶ声がした。2人で振り返れば、1人の男子がビニール傘を片手にこちらに歩いて来ていた。あ、確かあの人はともだちの彼氏さんだ。
「よし!酷くならない内に帰ろう!って、なまえ帰らないの?」
「うーん…私はいいや!先に帰ってて」
迷うことなく彼氏さんの傘に入った彼女に、私は出しかけた折り畳み傘を再びカバンに押し込む。せっかく帰りが一緒になったのに、邪魔するのは悪い。
「?そっか、じゃあまた明日!」
私の言った事をすんなり受け入れたともだちは、そそくさと彼氏さんと帰ってしまった。確かに先に帰るように言ったのは私だけど…ここまでアッサリ帰られると何だか寂しいな。
「あーあ、一人になっちゃった」
いつにもまして暗くなった夜空を見上げる。生徒昇降口に一人取り残された私に聞こえるのは雨の音だけ。校門に向かっている梓達の姿は見えても、声はもう聞こえない。
「…いいな」
彼女達の後ろ姿をボーッと見ていたら、無意識にそんな言葉が口から出た。
…私には好きな人がいる。でも、名前もクラスも知らない。演奏練習で使っていた中庭を少し貸して欲しいと頼まれた時に一言二言交わしただけ。ただそれだけ。
「はぁ…」
あとに彼がバレー部だと分かってから、第二体育館前の広場に演奏練習の場所を移した。少しでも私という存在を認識してもらいたくて。でも、何の進展もないまま、時間だけが過ぎて行く。いっその事、玉砕覚悟で告白した方がいいのかな。
「うわー、結構激しく降ってるなぁ」
「!」
いきなり隣から声がして、その方向を見たら、あろうことか、今まさに考えていた人物がそこにいた。
彼は私の方を見ると何故だか、ニッと笑う。
「朝はあんなに晴れてたのにな!」
「う、うん。そうだね」
会えた事に嬉しさを感じる反面、話し掛けられた事に驚いて肯定する事で精一杯だ。うわ、どうしよう…!突然過ぎて頭が回らない!
「天気予報じゃ今日降らないって言ってたのにね!」
恥ずかしくて彼の方を見れずに、正面を見ながら声を振り絞る。彼は、だよなーと言いながら困ったように笑みを浮かべる。もしかして傘持ってきてないのかな。
「みょうじさん傘忘れたの?」
「ううん!一応折り畳みを…。…え?」
あまりにもすんなりと言われたものだから、そのまま流しそうになったけど…今、名前呼ばれたよね…?
「え?…あぁ!前にさ!みょうじさんが先生に呼ばれてるのを聞いてそれで、」
不思議がる私を見て、彼も気づいたのか、慌てて説明を始める。彼が私のことを知ってたという事実が嬉しくて、口元が緩みそうになる。
「あ、俺4組の菅原孝支!」
よろしくな!と言われて、うん!と精一杯の笑顔を作って応える。名前とクラスが分かっただけで舞い上がっている自分に、改めて彼に恋をしているのだと実感させられる。
「それでさ…突然こんなこと言うのも悪いんだけど…」
さっきまで明るく話していた菅原君が急に申し訳なさそうにする。どうしたんだろう?
「俺、傘持って来てなくて…。良かったら傘入れてくれない?」
「!?」
予想だにしないお願いに一瞬動きが止まる。そんな私に菅原君は坂ノ下商店まででいいから!と顔の前で手を合わされる。それって相合傘だよね!?しかも傘小さいから、かなり距離が近くなるはずだし…!
「って、こんなこと急に頼まれても困るよな!?ごめん、今の忘れて!」
パニックになりかけている思考を必死に抑えていたら、菅原君はカバンを持ち直し、そのまま校門に向かおうとする。違う!嫌とか困るとかそんなんじゃなくて!
「傘!…小さくてもいいなら…」
何と呼び止めればいいか分からず、咄嗟に出た傘という単語の後に補足するように言葉を足す。そしたら凄く嬉しそうに、いいの!?と聞かれ、大きく頷く。そして、直ぐにカバンから折り畳み傘を出すと、それを開いた。
「ごめんね。あんまり大きくないけど…」
菅原君の頭に傘が当たらないように腕を伸ばしたまま言うと、彼は近づいてくると同時に私から傘をヒョイッと奪う。
「そのままだとキツイでしょ?俺が持つよ!」
「え、いいよ!悪いし!あ、ひょっとして頭に当たりそうに、」
「違う違う!あの高さでも全然大丈夫なんだけど、こういうのは男子が持つもんだろ!」
ほら、入って入って!と手招きする彼の隣に緊張気味に立つ。好きな人との相合傘ってこんなに緊張するものなんだ…!
「もうちょっとこっち来ないと濡れるよ?」
「え、うん!そうだね!」
意を決して肩が触れそうなギリギリの所まで近づく。
ち、近い…!心臓の音が伝わりそう!
「そういえばさー、雨の匂いが分かる人って田舎者らしいよ!」
「え、そうなの!?私分かるよ!」
「じゃあみょうじさん田舎者だべ!」
そして俺も田舎者だな!と笑う菅原君に、私もつられて笑ってしまう。
そのあとも、彼は部活の後輩の面白エピソードとか話してくれたりして、気づけば緊張でガチガチだった私はすっかりいなくなっていた。
「烏養さん帰って来てるかな…」
でも、そんな楽しい時間は当然ずっと続く訳じゃなくて。
気づけば坂ノ下商店のもう直ぐ手前まで来ていた。この時間の終わりを惜しむ私とは異なり、彼は商店の方だけに視線を向けている。それが私と彼の気持ちが同じでないことを明確に意味していて、告白すらしてないのに振られたような気持ちになる。
「良かったぁ。開いてた開いてた」
商店に着くと、彼は、ほんとに助かった!ありがとう!と、丁寧に折り畳み傘を畳んで渡してくれる。またすぐに使うのに…と可笑しくて笑いながらも、彼の笑顔に胸が締め付けられる。
…相手にとってはただ傘を持った人≠フ私とたまたま出くわしたから頼んだというだけの話で、特に深い意味は無いのは分かってる。だから、辛くなる前に帰ろう。
「それじゃあ私はこれで」
彼に背を向け、傘をさそうとした時に不意に呼び止められた。
「いつも体育館前の広場でフルート吹いてるのみょうじさんだよな!?うちの主将と綺麗な音だな!っていつも話してて…。あの音に癒されるというか、和まされるというか…」
口ごもる菅原君はさっきとは違い、落ち着きのない様子で言葉を探しているみたいで、私は黙ってそれを待つ。私の知らないところでそんな話をしてたなんて…
「コンクール近いんだろ?うちのクラスの女子に聞いた。応援してる!そんでコンクール終わったら、今日のお礼も兼ねて何か奢らせて?」
照れ隠しするようにはにかむ彼に、私も真っ赤になっているであろう顔でただただ頷くので精一杯だった。
私の片思いが、思わぬ形で進展を始めた瞬間。
2015.05.25
お題:Heaven's 様より