「お姉ちゃん、もう行くの?」
「うん。早めに行って勉強する」
靴を履き終えると、寝起きの希依に見送られながら家を出た。
あれから身支度を済ませて机に向かったが、全く集中できなかった。いや、むしろこの状態で集中できる方がおかしい。
「高3か…」
朝食を食べている時、お母さんに再度確認の意味も込めて、それとなく話を聞いた。その話からすれば、やはり私は高校3年生らしい。希依も小6と言っていたし、まだ私よりも一回りも二回りも小さかった。
「…よく出来てる夢だな」
最近、仕事で精神的に参っていたからこんな夢を見ているのかもしれない。なぜこの時期かといえば、寝る前に高校の卒業アルバムを見ていたからだろう。それにしてもかなりリアルだ。
「懐かしい…」
財布に入っていた定期を使い、バスで学校までやって来た。
青葉城西高校。私が一番長く片思いをしていた場所。青春に近い経験をした場所。どうせ夢なら、過去にしなかったようなことをしてみたい、なんて少し思ったり。
「下駄箱どこだったっけ…」
3学年の下駄箱の位置は分かったが、なんせ卒業してから6年も経っている。出席番号までは覚えてるはずがない。何組かは覚えてるんだけどなぁ…
「おはよ!みょうじさん!」
「!?」
下駄箱の前で番号を思い出そうとしていたら、後ろから声を掛けられた。振り返れば、1人の女子生徒が笑顔を浮かべて立っていた。背は私とそう変わらないけど、パッチリとした目に小さな鼻と口、透き通るような白い肌。まっすぐストレートのミルクブラウンの髪。女の私から見ても可愛いと思う。さぞモテるんだろうなぁ。…でもこの子、どこかで…
「お、おはよう…」
「みょうじさん朝早いんだね!」
「え、あ、うん」
いつもこんな時間に来てた訳じゃないんだけど、つい肯定してしまった。
「あ、もしかして私のこと分かってない?」
私の反応の薄さを彼女は別の意味で取ったようで、クラス替え2日目でクラスメイト全員を覚えてるはずないか〜、と言いながらローファーを脱ぐ。どうやら昨日は始業式だったみたいだ。
「あ」
彼女の事を思い出し、思わず声を漏らす。そうだ、何か見覚えがあると思ったら、この子は3年で初めて同じクラスになった子だ。あまり話したことは無かったけど、1年間同じクラスだったわけだから、名前くらいは覚えてる。
「あ…朝倉さん、だよね?」
「わぁ!覚えてて貰ったなんて嬉しい!」
彼女は子どものように大きな動作で喜びを表現する。何か無邪気な子だなぁ。
「覚えて貰ってて嬉しいけど、実紅って呼んで貰えると、もっと嬉しいなっ」
「…え?」
突然の申し入れに目が点になる。彼女を見れば返事を待っているようで、笑みを作ったまま私の顔を凝視している。その凝視に耐えられなくなり、私は頷いた。
「ヤッター!」
実紅は大きくガッツポーズをする。私はといえば、はしゃぐ彼女の隣で脱いだ靴を片手に呆然とする。
「早く教室行こ!なまえ!」
…って呼んでいい?と先程とは違い遠慮がちに聞いてくる実紅に、うんと今度は口でも返事しながら頷く。何だか向こうのペースに巻き込まれた気がしなくもないけど、少し仲良くなれた気もして嬉しかった。
「なまえって、いつも早く来て何してるの?勉強?」
「ま、まぁそんなところかな…」
「じゃあこれから私も一緒に勉強していい?家が遠いから学校に間に合うバスがこの時間しかなくて!」
人と接するのが得意じゃない私が、精一杯の笑顔を作りながら受け答えをしていたら、前から誰かが歩いてくる。…!?あれは…!
「お、誰かと思えば実紅じゃん!」
「及川くんだ!朝練?」
実紅が小走りで掛けて行った。私はいきなりの事で気が動転する。前から歩いて来たのは、私がずっと忘れられずにいた及川君だった。遠くから見ていた人に、こんなアッサリ会えるなんて…
「あれ〜?今日は1人じゃないんだ?」
「うん!今からなまえと勉強するんだー。って、なまえなんでそんな離れた所にいるの?」
立ち尽くす私に実紅は手招きして、近くに来るようジェスチャーする。どうしよう。実紅みたいに髪綺麗にセットして来てないし、それに何より心の準備が…
「…?なまえ?」
実紅が首を傾げているのが分かる。距離があって及川君の表情までは見えないけど、きっと不思議な顔をしているに違いない。ずっとこのままだと変な人に思われるよね…?
私はドキドキする胸を抱えながら、2人の方に向かう。…及川君との距離が近くなってくる。な、なんて話し掛ければいいんだろ…!向こうは私を全く知らない訳だし…!
「え、っと…」
「初めまして!及川徹です」
「あ、は…初め、まして」
何を言おうか考えていたら、彼の方から話し掛けてくれた。高校の時に3年間一度も話せなかった及川君と、今、話をしている。嬉しさのあまり、涙が出そうになる。好きな人と一言二言話したくらいで大袈裟かもしれないけど、私の中ではそれすらも信じられないくらい嬉しい出来事だった。
「そういえば、部活大丈夫?朝練の途中だったんでしょ?」
「あ!そうだった!早く戻らないとまた岩ちゃんにボールぶつけられる!」
及川君は実紅の言葉にハッとしたかと思えば、実紅となまえちゃんまたねー!と手を振り走っていった。
…及川君、今、なまえちゃんって言ったよね…?もしかして私という存在を少しは彼に認識してもらえた…?
「おーいなまえ〜?」
固まる私の顔を下から覗き込むようにズイッと自分の顔を近づけてくる実紅。私はそれに気づき、返事をすれば彼女は顔を近づけるのを止めて、変なの、っとまたニコリと笑う。
…実紅のことにしても、及川君のことにしても嬉しく思う反面、素直に受け入れられずにいる。いくら良い事があったとしても、これは夢。夢は時に見る人の都合の良いようにストーリーが進むもの。潜在意識の中にある欲求が現れたりするもの。きっと一時間もしない内に目が覚める…現実世界に戻る。ただえさえ戻ってやり直したいと思ってるのに、今以上に高校時代への未練を増やしたくない。
なんで私は、私にこんな夢を見せているのだろう。どうせなら、今のこの高校時代まで時間を戻してよ。
「なまえ、明日もこの時間に来るよね?」
「…うん」
嬉しそうにする実紅の横で、複雑な気持ちを抱えながら、私は彼女と一緒に教室まで歩いた。
2014.08.09
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