Crape myrtle | ナノ

奪われた日常

練習試合が終わり、時間を確認するのに開いた携帯。そこには不在着信とメールが1件ずつあった。不在着信はなまえの双子の弟であり、同級生の陸斗だった。
あいつ、今日部活休みだったのか…と思いながらメールの方も開く。そして、そのメールの内容に一瞬にして思考も動作も止められた。おい…嘘…だろ?

「どうした?急に固まって」

着替え途中に動きを止めた俺を不思議に思ったのか、隣で同じく着替えていた夜久が着替える手を止めずに聞いてくる。けど、メールの内容で余裕が無くなっていた俺は、それに答えるずに、悪ィと一言だけ言うと走って部室を出た。交通事故という文字だけが頭を支配していた。







「!悪いな…部活中に」

急いでメールに書かれていた病室に行けば、メールの送り主である陸斗が俺に気づき、すまなさそうにする。でも、そんな気遣いの言葉は今はどうでもいい。

「なまえは!?大丈夫なんだろ!?」

俺が詰め寄って聞けば、何も言わずに視線を逸らされる。その意味を理解したくなくて、なまえの名前の書かれた病室のドアを勢いよく開けた。

「!黒尾…」
「黒尾君、来てくれたのね」

病室にはベッドの上で眠ったように目を閉じて横たわるなまえと、そばに寄り添うようにおばさんとあいつと仲の良かった白石がいた。どちらの目にも涙が浮かんでいる。

「なまえ…」

いざ本人を目の前にすると何と声を掛けたらいいのか分からない。こいつは元々そそっかしいというか、ドジというか…。そのせいでよく小さな怪我を作っては、またやっちゃったー、と笑っていた。
だから、今回も本当は大した事なくて、病室に来た俺に、またやっちゃったよー、なんて笑って出迎えてくれるのではないかと心のどこかで期待していた。

「検査の結果…幸い異常は無いんですって」

なまえを見て固まっている俺の前で、おばさんがポツリと呟く。異常が無いと知って安心した。それなら今は眠っているだけなのか。でもこの重い空気がそれだけではない事を物語っている。

「ただね…意識が、戻らないんだ」

震えた声で言った白石の言葉に、悲しみが一気にこみ上げ溢れたのか、おばさんはその場に泣き崩れてしまった。意識が戻らないって何だよ…!異常無かったんじゃねぇのか!

「親父、もうすぐ着くって」
「…そ、う」
「まだ意識が戻らないって決まった訳じゃないだろ。1年して回復した人もいるんだから」

今は信じて待つしかねぇだろと言う陸斗に、おばさんはハンカチで目元を抑えながら何度も頷く。白石も涙を拭いながら笑って頷いた。…そうだな。今はなまえを信じて待つしかない。

力なくベッドに置かれたなまえの手を強く握った。







「おいおい、もう昼だぞ」

半分しか空いていなかったカーテンを全開にすると、外の光が病室内を明るく照らす。今日は午前練だけだった為に、日が高い内に病室に来る事が出来た。だけど、その明るい光に照らされているなまえの表情はあの時から少しも変わってなかった。…なまえが事故に遭ってから1週間が経ったが、未だ意識は戻らない。

「これ…昨日の色紙か」

花瓶には色紙が2枚立て掛けてある。1つは昨日クラスの奴らと書いた色紙で、もう1つは部活の部員からのものみたいだ。それを一瞥してなまえに視線を戻す。

「皆お前を待ってるってよ」

当然ながらなまえは返事をしない。人の話し声や鳥の鳴き声だけが、ただただ静かな病室の中にこだまする。

「なまえちゃーん、先生が来る前に点滴変えようか」

椅子に腰掛け、なまえの様子を見ていたら看護師が点滴の袋を持って入ってきた。看護師は慣れた手つきで点滴の袋を変える。

「また来るからな」

診てもらうのに邪魔になるといけないと思い、カバンを持って病室を出ようとした時だった。

「…んん」

後ろから微かに唸るような声が聞こえ、足を止める。今のは間違いなくなまえの声だ。

踵を返してなまえのそばに戻る。穏やかだった表情が一変し、顔を僅かにゆがめている。俺はなまえの肩を揺すり何度も名前を呼ぶ。

「先生呼んできますね!!」

看護師は小走りで病室を出て行った。俺はなまえの様子を傍らで見つつ、陸斗に連絡を入れる。あいつに連絡すれば親にも伝わるはず。

「ここ…」

陸斗を呼び出そうと携帯の発信画面を見ている時、すぐそばからハッキリと声が聞こえた。バッと効果音がしそうな勢いでなまえの顔を見る。そこには目を開け、ボーッと天井を見るなまえがいた。

「…お前、起きるの遅ぇよ」

意識が戻った事にホッとした。なまえの視線が天井からこちらに変わる。表情があまり無い。まだ目が覚めていないのだろう。1週間も眠っていたんだ。無理もない。

「あ、おい!無理すんなって!」

ベッド脇の柵を掴み、起き上がろうとするなまえの背中を後ろからそっと支える。当の本人は起き上がると病室をぐるりと見渡している。まだ病院にいる事も理解できていないのかもしれない。そう思っていたが、最後に俺の顔を見ると、一言言った。

「…誰?」

その言葉に、俺は自分の耳を疑った。





(冗談にしては度が過ぎる)


2018.10.08
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