毎日が平凡な日常。
以前と何も変わらない。
戦いの日々も、酒場の熱気も、気が抜けてしまうほど穏やかで平和に慣れている民衆も。
ひとつだけ違うのは、エルザの横に当然のように立つ少女だけ。

リザードとの戦闘の最中だというのに、気が散って仕様が無い。
高く澄んだ少女の声と、彼女の名前を呼びながら仲間を庇うように戦うエルザの姿。今はただ、リザードの気配だけを追えばいいものを、ユーリスの感覚は二人の仲間に意識を奪われていた。
素早く、けれど正確で重い一撃でリザードをなぎ払うエルザの姿を視線の端に捕らえながら、聴覚は近くの後衛で呪文の詠唱をするカナンの声を拾った。

自らもプロミネンスを放つべく呪文を唱えながら、しかし戦いに集中できない自分がいることに気付き、ユーリスは心の中で毒づいた。

(どうして、君の隣には……)

口にすることもできない空しい想いだけ胸に積み重ねながら、ユーリスは完成させた術をリザードの群れの中心へ放つ。声なき声を、悲痛な叫びを代弁するように、リザード達から耳をつんざくような悲鳴が上がった。
炎の渦に飲まれながらのた打ち回る魔物を、ユーリスは酷く無感情な瞳で見下ろした。
逃げ場の無い炎の中で潰えていく命が、まるで己の心のようだと思い、乾いた笑い声が知らずに零れる。命のやり取りをする高揚感でもなければ、加虐心がくすぐられた訳でもない。ただ自分自身を嘲笑うような声だけが、リザードの悲鳴に混じって消えた。

炎が飲み込むべきものを見失い熱を燻らせる中で、その場に立っているのは仲間とユーリスだけであった。





「今日も一日お疲れ様」

隣を歩くエルザは疲れこそ窺えるものの、屈託の無い笑顔でユーリスを覗き込みながら労わりの言葉をくれた。
本日の任務はルリ城近辺を荒らすリザードの群れを一掃することであった。カナンが依頼主ということになっていたが、依頼人が自ら戦場に同行するというイレギュラーな任務でもあった。
傭兵団の中ですぐに出られる者はエルザとユーリスしかおらず、二人では大変だろうという気遣いから、姫君自ら参戦した経緯だ。つい想像してしまうカナンの真意は、エルザの傍にいたいだけではないだろうかと嫉妬深く勘ぐってしまう。そんな愚かな考えを払拭するべく、エルザに悟られないようユーリスは首を横に振った。

「別に……暇だったし」

いつも通り素っ気無く当たり障りの無い言葉を告げると、エルザは穏やかに瞳を細めて笑った。
その表情がなんともいえずあどけなく、仲間で、それも同性だと分かっていても胸の内はわずかに弾んだ。けれど素直になれない心は、エルザの想いを確かめるような言葉を選ぶ。

「それより、良かったの?」

先ほどカナンとは別れた。彼女は任務を完了させた後、公務があるといって城へと真っ直ぐに帰っていった。てっきり送るよと言ってついていくと思っていたエルゼは、しかしユーリスの予測に反し笑顔で別れを告げた。
珍しいこともあるのるものだ。そう思ったものの口にできずにいた内容を、酒場が見えてきた付近でようやく問いかけてみたのだ。

「何が?」
「カナンのこと……、ついていくものだと思ったけど」
「ああ、最近ジルに目をつけられてるからね。カナンの傍にいたら、彼女に迷惑をかけてしまう」

もっともな理由を述べるエルザを左目で覗き見ながら、ユーリスは「そう」と短く相槌を返した。
かすかな希望は呆気なく崩れ落ち、脱力感に見舞われながらユーリスは視線を足元に落とした。

「今日の任務、簡単だったね」
「そうだね、カナンも一緒だったからサポートが心強かったし」
「……そうだね」
「回復魔法は本当に助かるからさ。ユーリスもそう思うだろ?」

ああ、なんて憎たらしい。
自分の想いを知っているのか知らずにいるのか。
純真無垢な笑顔と声で告げるのは残酷な言葉ばかり。

いっそのこと突き放してくれたらどんなに楽だろうか。
それでもエルザは誰よりもユーリスの隣を歩んでくれる。
無意識なのか、わざとなのか。まるで甘い嘘で道を作り上げながら、罠に絡めとられているような気分に陥る。

「そうだね……でも、エルザは……」

言いかけた言葉を勢いに任せて吐き出そうとしたところで、ユーリスは口を閉ざした。
自ら口にすることは、破滅への第一歩だと知っている。それでもひとつの言葉の羅列が頭を埋め尽くし、見上げた先のエルザは夕日に照らされてにこりと笑っていた。
まるで天使のような悪魔。
そう感じてしまうのはユーリスの被害妄想なのか否か。
もうどうでもいい。

止めた言葉の続きを待つ小憎らしい青年の襟首を荒々しく掴み引き寄せて、笑みを浮かべていた唇に噛み付くように口付けた。




――ねえ、嘘でも良いから




ユーリスが不機嫌な理由も、戦闘の最中でありながら調子が出ない理由にエルザは気付いていた。
いくつかの可能性を一つ一つ確かめて辿り着いたものは、一人の少女の存在。エルザが庇護欲をそそられるままに守り庇ってきた彼女の存在が、ユーリスの心に戸惑いを生んでいるのだとようやく理解したのはつい先ほど。
ユーリスはカナンの実力を高く評価している。それに、傭兵団の中で最年少であったユーリスにとって、カナンは歳の近い女性。親しみや好意を抱いてもなんらおかしくは無い。
事実、カナンの名前を出すだけで、ユーリスの瞳にはどこかいつもと違う光が宿った。

弟のように、それ以上に大切に思っていたユーリスの心に気付いた時、酷く傷ついている己がいて、エルザは心の中で自嘲した。

それでもエルザにとってユーリスは何よりも大事だからこそ、何も言えなかった。
ただ傍にいるだけでいい。
素っ気無い言葉も態度もいつも通りだけれど、近くにいられることが何よりの喜び。
いつか離れていくのだろうか。
炎を自在に操るその手に触れて繋ぎ止めたい気持ちと、彼の幸せを願う心がせめぎあい揺れる。

「それより、良かったの?」

ふと思い出したように呟かれるのは主語のない問いかけ。
何を指しているものなのかは明確で、けれどただ平静を装いながら問いに問いかけを返す。

「何が?」

分かっているだろうと言いたげなユーリスの視線を、エルザはただ穏やかに作った笑顔で受け止めることしかできなかった。

「カナンのこと……、ついていくものだと思ったけど」

まるで嫉妬のようだ。
ああ、この想いが向けられている年下の少女が羨ましくもあり、妬ましくもある。
一緒にいた時間はエルザの方が長いはずだ。頑なな少年に笑顔を取り戻したのも自分だと優越感に浸っていたのもつかの間、少年の心は違う誰かに掠め取られてしまうのか。
最近エルザと二人きりになると、どこか憂いを帯びた表情ばかりを浮かべる少年の心を身体ごと抱きしめられたならどんなに楽だろうか。
それでもうそぶく唇は素直になれないまま、適当な言葉を選んだ。

「ああ、最近ジルに目をつけられてるからね。カナンの傍にいたら、彼女に迷惑をかけてしまう」

そう告げると、ユーリスはエルザから視線を外して小さく相槌を打ち、話題を変えた。

「今日の任務、簡単だったね」
「そうだね、カナンも一緒だったからサポートが心強かったし」
「……そうだね」
「回復魔法は本当に助かるからさ。ユーリスもそう思うだろ?」

確かめるように、微かな希望に縋るように、何度もカナンの名前を出した。
彼女の名を出すたびに揺れる淡い水色の瞳を覗き込み、エルザはただ思う。
悪魔の振りをした天使の心をどうすれば手にすることができるのだろうか。

カナンの名前を呪文のように紡ぐ度に鋭くなる視線に突き刺されながら、ただ笑顔だけを表情に貼り付けて自分自身をも欺く。
いっそのこと腕を伸ばして、成長しきらない小柄な身体を包み込んですべてを終わらせてしまいたい。一瞬の至福と引き換えに。

「そうだね……でも、エルザは……」

苦しげに歪んだ表情を浮かべるユーリスの声は静かに震えていて、まるで嵐の前の静けさのようだ。
ああ、もうここまでだ。
直感がそう告げる中で、妙に冷静な頭の片隅で最後の希望を描く。

素直になれない心と言葉が全て自分のものだけであったなら、どんなに良いか。





嘘でもいいから囁いて、





愛の言葉を





2011/05/23


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