帽子屋 第二話 すると、男はまた軽くシルクハットを持ち上げて、ようやく名を名乗る。
「私は帽子屋。ロストと申します。以後、お見知りおきを」
帽子屋は単調な声でそう名乗ると、シルクハットをかぶり直した。
長い前髪の陰で、またあのオッド・アイがにやりと笑う。
おかしい人だ――かかわってはいけない。
そう思い、避けて駆け出そうと思った、その時、
「帽子なんていらない。退いてくれ」
僕の思っていた言葉が、口から飛び出してしまった。
声に出そうなんて、ちっとも思っていなかったのに。僕は驚いて、口を手で封じる。
すると帽子屋が、また縫い跡の残る口元を上げた。
「そう、帽子は売っていない」
くすくすと笑いながら、帽子屋は言う。
いっこうに進展のない会話に、僕はイラつきを隠し切れず、帽子屋を睨みつけた。
もう、日が落ちてしまった。早く帰らなければ、妹が寂しがって外に探しに出てしまうかもしれない。
僕は思い切って、ついに一歩進み出る。
「ごめんなさい、僕、早く家に帰らなければならないんです」
僕がそう言うと、帽子屋はまたくすくすと小さく笑った。
「何をおっしゃる、あなたもう、亡くなっているのに」
――体中が、凍りついたような気がした。
帽子屋のその一言が、まるで僕の体に何かが入り込んだように這いずり回っている。
妙に気持ちが悪く、それでも吐き出せないその痛みが、喉の奥で渦を巻いた。
苦しい。僕は足を止め、自分の肩を抱きしめる。
「嘘だ」
声が飛び出る。
「嘘などではありません。ほうら」
帽子屋はそう言って、白い包帯の巻かれた指を足元へ向けた。
僕は体を震わせながら、重たい頭をゆっくりと足元へ傾げた。
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