095 大きな揺れと唸るような地鳴りが響く中、ぼくとヴォルトだけが、その場にしっかりと立っていた。
病院中の医療品が棚から落ち、やかましく割れる音がする。
ぼくはアンドリューの上に落ちてきた花瓶を掴み、ただ黙って耳をすませた。
ヴォルトはどこへも掴まろうとはせず、ただいつものようにポケットに手を突っ込み、何もない壁をじっと見つめている。
徐々に、ヴォルトの目が赤く染まっていく。
「……来たな」
ヴォルトの呟きに、ぼくは頷いた。
間違いない……これは自然の揺れじゃない。地震に近い、この大地を揺るがすことができるのは……ただ“一体”だけ。
ヴォルトが真っ赤な目を細める。そして、口を開いた。
「大通り、敵は一人、近くに居る住民は85名」
ヴォルトが短くはっきりと告げた。
85人も……まずい。たった一人でも、GXならその人数を一瞬で消し去ることなど、容易いことだ。
ヴォルトが目で合図をした。ぼくもぎゅっとこぶしを握り、アンドリューから手を離す。
その時、ぼくらが行こうとしていることに気づいたのか、セイがぼくの腕にしがみついてきた。
「待てよ! オレも……」
「ダメだ。セイ、君はここに居て。アンドリューとメリサを守るんだろ」
ぼくはセイの腕を解き、セイを後ろに押し返した。
セイは揺れに足をとられながら、それでも必死にぼくにしがみつく。
「で……でも、オレ……。だってみんなが危ないんだろ……!」
ぼくは手を挙げ、セイの言葉を遮った。
セイがぼくを見上げる。そして、はっと息を詰めた。
「ぼくが守る」
ぼくはそう言って、セイを再び押し返した。
マルシェさんがよろけたセイを受け止める。背後で、セイの引きつった声が聞こえた。
「マ……マルシェ……あ、あいつ……目が真っ赤だ」
「見るな」
マルシェさんがセイの目を隠し、低く囁く。
ぼくは敵の居る方向を見据え、そしてその場からテレポートした。
「たった一人?」
「ああ、公司は居ない。必要なら呼び出すだろ」
「うん、じゃあ呼び寄せる前にこっちから仕掛けよう。二人ならできる」
「ああ、ビビんなよ。五秒もあれば俺たちを粉々にできる奴だからな」
ぼくとヴォルトは、すぐに大通りへ姿を現した。
突然目の前に現れたぼくらに、背後でざわめく人だかりがさらに声をあげる。
ぼくは振り向かず、住民の状況を確認した。怪我人は居ない。子供たちを真ん中に集め、大人たちが守るように輪になっている。
揺れが続き、立ち上がっている人は少ない。
「なんで集まっちまったんだ、余計に守りにくい」
ヴォルトが顔を顰め、チッと舌打ちした。
「みんなも守ろうとしたんだ。自分の住家と、仲間を。君から……そうだろう、シオン」
ぼくは目前にポツンと立つ少年を見据え、呟くように言った。
流れるような銀髪。両性的な顔立ち。血の気のない白い肌に、体を包む白い布。
ぼくたちの中で、一番“人形”らしいかつての仲間が、そこに居た。
「何も変わっちゃいない」
「えぇ」
シオンは唇を少しも動かさず、相変わらず不思議な声を出した。
頭がキンと音をたてる。耳がおかしくなりそうだ。
シオンがゆっくりと片手を挙げた。その途端、徐々に揺れが治まり、地鳴りが止む。
やっぱり君か……――。
「思ったより早く出てきてくれましたね。数十人、殺さねばならないかと思いましたよ」
シオンはそう言って、青い目をニヤリと細めた。
ぼくは今にも飛び出して行きたいのをぐっと堪え、こぶしを握る。
その時、ヴォルトがぼくの腕を少し引っ張り、シオンから注意をそらした。
「……おい、おしゃべりしてる暇ねぇよ。わかってんだろ、あいつ、今公司を……」
「金髪の青年は、無事でしたか」
ヴォルトの言葉を遮り、シオンが言った。
その言葉に、ぼくは目を見開き、そしてシオンを睨みつける。
「……君がやったんだね」
「ええ。彼は勇敢でしたよ。私の能力を知っても立ちはだかり、そして大の大人を三人担いでここへ来た。おかげで、ようやくここへ辿り着くことができました」
シオンはそう言って、儚げに微笑んだ。
やっぱり、アンドリューを傷つけて、わざと生かして帰したんだ……――!
爆発寸前の怒りを堪えるぼくに対し、シオンはただ冷静にぼくらをじっと見つめる。
しかしその時、シオンがぼくから目をそらし、ヒュッと片手を振り上げた。
その途端、人だかりの周りだけ重力が消え、住民たちが高く浮き上がった。
人々が悲鳴をあげ、空中でもがく。ヴォルトがとっさに後ろへ駆けていったのを合図に、ぼくはシオンの目線の先に立ちはだかった。
「やめろ!!」
ぼくが大声を出すと、シオンがぴたっと表情を消した。
それと同時に、重力がもとに戻っていく。落下する直前、ヴォルトがなんとか全員を受け止め、ゆっくりと地面へ降ろした。
子供たちが泣き叫ぶ。その声に、ついにぼくの我慢の限界がきた。
「どうしてこんなことをするんだ! これ以上、お父様の犠牲なんて出させない!!」
ぼくは止めようとするヴォルトを振り払い、シオンに向かってそう言ってやった。
シオンが不機嫌そうに眉を寄せ、青い目を細める。
「あなたは何もわかっていない。何かの犠牲なしに、この世を生きることなどできないのです」
シオンが唇を動かさず、囁くように言った。
途端に、場の重力が少しだけ強くなったのを感じた。ぼくの後ろでも、何人かがそれを感じ取ったようだ。
ぼくはシオンを睨みつけ、ゆっくりと前へ進む。
張り詰めた雰囲気が、肌から伝わってくる。シオンの青い瞳が、徐々に赤く染まっていく。
ぼくは足を止め、大きく両腕を広げた。
「ぼくが最後の犠牲でいい」
ぼくの言った言葉に、シオンはさも不機嫌そうに眉を顰めた。
その時、地面を蹴るいくつもの足音と共に、黒ずくめの男たちがシオンの後方に現れた。
テレポートできるほどの公司か……少なくとも、百人近くは居る。まずい、呼ばれた。
突然現れた大勢の男たちに、住民たちがまたざわめき、そしてヴォルトの合図で一斉にセンターへ向かって駆け出した。
しかし、シオンは住民たちを追う様子はない。あくまでも、ぼくらが狙いのようだ。
「あなた方を連れて来いとお父様から命令を受けました」
シオンはそう言い、ゆっくりとぼくらに手を向ける。
「行くもんか。あんな所」
ぼくは吐き捨てるようにそう言って、シオンを睨み返す。
ヴォルトがぼくを小突いてきた。
「仕方ない……援軍呼ばれる前に片付ける」
「うん」
ぼくは頷き、そしてゆっくりと戦闘体勢へ入った。
目の前が赤く染まる――睨みつけるのはかつての仲間。今は、敵だ。
二人同時に飛び出した。それとほぼ同時に、何の前触れもなく地面が噴火したように飛び上がる。
これはシオンのお得意の攻撃だ。ぼくは噴き上がった地面を避け、シオンへ向けて一直線に水鉄砲を放つ。
とっさに周りの公司がシオンを守り、代わりに犠牲となって気絶した。
シオンがぼくに手を向ける。その瞬間、ヴォルトが背中からシオンの頭を蹴飛ばした。
シオンが前のめりに倒れる。そこへ、ヴォルトはすかさず炎を打ち込んだ。
しかし、またすぐに公司が盾に入り、シオンの変わりに犠牲になる。
「邪魔だ!!」
ヴォルトは怒鳴り、シオンの周りを囲む公司たちを吹っ飛ばした。
しかし、公司はまるで沸くように次々とシオンを守りに行く。
ぼくはあちこちテレポートしながら体勢を低くし、シオンの居場所を探した。公司とは違う白の服――居た。
ぼくは氷を伸ばし、シオンの足を捕まえた。
しかし、引っ張っても捕まるのは布ばかり。やっぱり、足がないのかもしれない。
動きを止めたぼくに気づき、公司が捕まえようと飛び込んできた。
ぼくは身体を捻ってかわす。また飛び込んできた公司に蹴りをくらわせ、見える範囲に居る公司を水の中に封じ込めた。
大きな水のボールに取り込まれた公司たちが、大きな泡を吹いてもがき、そして意識を失った。
水がはじける。その時、ヴォルトが公司たちの攻撃を一斉に受け、ぼくの側まで吹っ飛んできた。
ぼくはすぐにヴォルトと背を向け合い、辺りを見回す。
「こいつら、あくまでもシオンを傷つけさせないつもりだな。あいつはオヤジのお気に入りだからな」
ヴォルトが軽く舌を鳴らし、皮肉っぽく笑う。
ぼくはじりじりとにじり寄る公司たちを見つめながら、少し顔を顰めた。
GXとしての機能を本気で発揮すれば、百人なんてどうってことない。
だけど……
「ぼく、人殺ししたくない」
呟いたぼくの本音に、ヴォルトがため息を零した。
そして、「だからおまえは甘いんだ」とでも怒鳴られるかと思っていたら、ヴォルトが軽くぼくを小突いた。
「同感だ」
ヴォルトの返事に、ぼくは苦笑いして、再び公司たちを睨みつけた。
半分は倒したつもりだったのに、まだまだ居る……どうやら、もう援軍を呼び出したようだ。
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