094
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 ぼくらはセンターへ行き、ドル爺さんの病院へ向かった。
 扉の前でマルシェさんとメリサが待っていた。メリサはセイを見つけるなり駆け寄ってきて、セイの手を取ってすぐに病院の中へ飛び込んだ。
 セイの表情からすると、どうやらその行動は珍しいことらしい。
「よう、茶色いの」
 マルシェさんが寄りかかっていた壁から背を離し、ニヤッと笑って言った。
 ヴォルトは少し鼻の頭にしわを寄せたが、黙って頷く。
 素直じゃないヴォルトのお礼に、ぼくは思わずニヤニヤしながら、マルシェさんに目を戻した。
「用事は終わったんですか?」
「ああ。ドル爺に捕まってたんだ。あのジジィ、車椅子に乗れってうるさくつきまとってきてよ」
 マルシェさんは口に咥えた煙草を取り、ため息交じりにそう言った。
 その時、ちらりとマルシェさんの手首に巻かれた包帯が見えた。ぼくは罪悪感に押され、少し顔をうつむかせる。
「まだ怪我が治ってないんでしょう? 無理せず、乗っていたほうがいいですよ」
「ふざけんな、ボスが車椅子じゃ、カッコつかねぇだろ」
 マルシェさんはそう言って、片足を引きずるようにして病院の扉を開けた。
 ぼくらはその後を追い、中へ入る。独特の薬の匂いが、ツンと鼻に入ってきた。
 メリサが歓喜の叫びをあげているかと思ったけれど、カーテンで仕切られた病室の奥は、シンと静まり返っていた。
 ぼくはセイで隠れたベッドに横たわる、ちらりと見えた見覚えのある金髪に、思わず息を詰める。
 ゆっくりとベッドへ歩み寄ると、まぶたを閉じたままのアンドリューが目に入った。
 清潔な白で統一された空間のせいか、なんだか顔色が悪いように見える。
 だけれど、アンドリューの胸は確かにゆっくりと上下に動いていた。間違いなく、生きている。
「……よかったぁ」
 セイが上ずった声でそう呟き、ベッドの横にある椅子に腰を下ろした。
 メリサが感極まり、セイの肩に顔を埋めてワッと泣き出す。
 ぼくもほっと胸を撫で下ろし、カーテンの向こうで待つマルシェさんとヴォルトを手招きした。
 その時、マルシェさんとヴォルトの間を割ってドル爺さんが入ってきた。
 相変わらずぶあつい眼鏡の向こうからぼくを睨むように見上げ、そしてベッドへ歩み寄る。
「ついさっき眠ったばかりだ。まだ少し休ませてやれ」
 ドル爺さんはそう言って、しゃくりあげるメリサを軽く撫でた。
「うん」
 詰まったような声をあげるメリサの代わりに、セイが頷く。
 ぼくは最後にアンドリューの顔を眺め、そしてカーテンの向こうへ出て行った。
 廊下へ出ると、マルシェさんとヴォルトは椅子に腰を下ろしていた。
 ぼくはヴォルトからもうひとつ椅子を受け取り、輪になるように座る。
「お前、気が利くようになったじゃねーか」
 ぼくが席に着くなり、マルシェさんがニヤつきながら、ぼくにそう言った。
「何ですか、それ。ぼくそんなに鈍かったかな」
 ぼくは小声で返事をし、少し苦笑いする。
 すると、ヴォルトがまったくだ、と頷き、そしてぼくを指さした。
「お前、変わったよ。なんていうか、強くなった。自立したって言ったほうがいいかな」
 予想外のその言葉に、ぼくは思わず半口を開けてぽかんとした。
 すると、ヴォルトがわざと背筋を曲げ、猫背のぼくの真似をする。
「へなちょこで、毎回どうしようどうしようって迷ってばっかりでよ。前は何をするにも誰かに聞かないと行動できなかったくせにさ、今じゃ自分で考えて動けるもんなぁ」
「ぼく、そんなに子供じゃなかったよ」
 ニヤつくヴォルトの椅子を軽く蹴り、ぼくは小声で返した。
 しかし、ヴォルトはまだぼくをからかうように半笑い顔を止めない。
 ぼくはヴォルトを無視して、今度はマルシェさんに目を移した。しかし、表情はヴォルトと代わりなかったけれど。
「さっき、フランさんに会いました」
「ああ、そうか。……やられただろ」
 マルシェさんは片目を細め、ゆるく蹴りを入れる真似をした。
 ぼくは足跡を撫で、苦笑いして頷く。
「マルシェさんに間違われましたよ」
「あのバカ女、寝てんじゃねぇの。どこが似てるんだ」
 マルシェさんが嫌そうに顔を顰め、そう言う。
 確かに似てる所なんて……そうだな、せめて体格と身長ぐらいかな。
「でも前にセイにも間違われましたよ。アンダーグラウンドに来た日に」
「何だ、じゃあ俺は服と身長だけの存在なのかよ」
 マルシェさんはそう言って、クックッと笑った。
 そして、ふとまぶたを伏せ、懐かしむように眉を寄せる。
「四六時中半分寝てるようなキヨハルを、上手く扱えるのはあいつだけだった」
 久々に聞いたその人の名前に、ぼくは思わず過剰に反応してしまった。
 ビクッと震えたぼくに、マルシェさんが小さく笑みを零す。
「しょっちゅうボケたこと言い出すんだ。重要な会議の最中に、辛気臭いからパーティーをしよう! とか言い出したり、三日眠ってようやく目を覚ましたと思ったら、すぐ夢の続きが気になるから寝るとか言い出したりよ。そのたびにフランが一発入れんだ」
 マルシェさんはそう言って、自分の頭に軽くこぶしを当てて見せた。
 マルシェさんの無理やり作ったような笑顔に、ぼくもどういう表情をしたらいいのかわからず、ただ同じような笑顔を返す。
 ぼくの視界の端で、ヴォルトが少し目を細めたのがわかった。
「その、キヨハルって奴は……どれだけの能力を持っていたんだ」
 ヴォルトの突然の質問に、マルシェさんは遠くを見つめ、考え込むような仕草をした。
 しかし、ふと目線を落としたと思ったら、すぐに質問の答えを出す。
「そうだな……このアンダーグラウンドをたった一人で造ったって言えば、わかるか?」
「た、たった一人で?」
 ぼくは思わず素っ頓狂な声をあげた。
 いつかヴォルトと、そんなことがあったらすごいね、なんて話したことがあったけれど、まさか本当だったなんて。
 マルシェさんはニヤッと笑い、頷く。
「ああ。造ったって言っても、地道に掘り進んだわけじゃない。あいつはな、話しかけたんだよ、土に。「僕たちを受け入れてくれないか。君たちの場所を少しだけ僕たちに分け与えて欲しい」ってな」
 マルシェさんが冗談のように言った言葉にも、ヴォルトは真面目に頷いた。
 ぼくはとても信じられなくて、ただ肩をすくめる。
「は……話しかけた?」
「ああ、信じらんねぇだろ。だけど、事実なんだ」
 頷いたマルシェさんに、今度はヴォルトが意見を言う。
「確かに、そういう能力を持ったミュータントが居たと俺たちの中へも入っている。だがそれは本当に稀なこと……動物や植物ならまだしも、土や石と会話できる奴なんて、見たことも聞いたこともない」
「それを簡単にやってのけるのが、キヨハルって奴だった」
 現実的な意見を言うヴォルトに、マルシェさんはあっさりと笑って返した。
 ヴォルトは背もたれに寄りかかり、少し不機嫌そうに眉を寄せる。
「じゃあ、なぜそれだけの能力者をオヤジはずっと放っておいた? そんな能力を持っているのなら、どんなに隠してもオヤジの目には留まるはずだ。最終的には始末する結果になったが、もっと以前に騙してでも仲間に引き入れれば、とんでもない戦力になったはずなのに」
「……さあな、あいつも公司長も何考えているかわからない奴だ。キヨハルの能力を本気で恐れてか、もしかしたら、とうの昔に関わりがあったのかもしれない……」
 マルシェさんはそう言って、また意味深に目線を落とした。
 そしてまた、少し考え込むように口を閉ざす。
 しかし、そっと覗き込んできたぼくに気づき、マルシェさんが顔を上げた。
「いつも「神様になるんだ」なんて言っていたけれど、あいつはもう神だったよ。少なくとも、俺たちにとってはな。最後の光だった」
 マルシェさんはそう言い、セイによく似た笑顔を見せた。
 その表情に、ぼくは思わず息を詰める。
 そうだ……キヨハルさんはみんなの救世主――正真正銘のヒーローだったんだ。
 それをあいつは奪ったんだ……あいつだとしか考えられない。キヨハルさんの能力に対抗する力を持っているのは、恐らくあいつだけだ。
 お父様の命令でやったんだ。キヨハルさんを、殺したんだ――。
「……知ってます」
 ぼくは顔をうつむかせたまま、呟くように言った。
 マルシェさんが表情を消す。逆に、ヴォルトが目を見開いた。
「ぼく……キヨハルさんを殺した奴を、知ってます」
 ぼくは顔を上げ、膝の上でぎゅっとこぶしを握り、言った。
 マルシェさんのまぶたが押し上げられる。まるで一瞬時が止まったかのように、何の音もしない沈黙が流れた。
「バッカ……あーぁ……」
 ヴォルトが額を押さえ、椅子の背もたれに乱暴に体を寄りかからせる。
 しかし、マルシェさんはピクリとも動こうとせず、ただ見えない瞳でぼくをじっと見据えていた。
 息を吐く音さえも、体が生きる音さえも、聞こえない。
「何だって……」
 マルシェさんがほとんど唇を動かさず、小さく呟いた。
 その瞬間、まるでアンダーグラウンドの天井が崩れ落ちてきたかのような、大きな爆発音が轟いた。
「何だ!?」
 マルシェさんはすぐにカーテンを強引に引っ張り、病室の中へ飛び込んだ。
 それと同時に地鳴りと大きな揺れが襲い、全員床に叩きつけられる。
 しかしメリサとセイがすぐに立ち上がり、ベッドの上のアンドリューを覗き込んだ。
 マルシェさんがセイとメリサの頭を掴み、ベッドの下へ二人を押し込む。
 ぼくが代わりにアンドリューの側へ行き、アンドリューを覆うように手を伸ばした。
 ヴォルトが鋭い目線をぼくのほうへ向けてきた。……わかってる。
 低い地鳴りが続き、揺れが大きくなる。
「地震なの……?」
 メリサが体を丸め、不安げに呟いた。

 ……地震なんかじゃない。

 その時、ぼくにはわかっていた。きっと、ヴォルトも。



 ついに来た。



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