076 光の射し込まなくなった黒い壁をぼんやりと見つめて、ぼくは黙っていた。
マルシェさんも同じように黙っているし、ヴォルトもぼくの中で黙々と設計図を書き続けていた。
さっきぼくが思わず笑ってしまったせいか、身長の部分はちゃんと元の背丈に直っている。
さっきから、強制終了スイッチの文字を取り消し線で消しては、別の場所に置き換えたり、時には超能力機能を並べ、所々に×印をつけながら、「こんなものいらない」と呟いたりしている。
……ちょっと待ってよ、そこまで特殊能力の制限を越えちゃうと、体がもたないよ。
「うるせぇな。このぐらいしないと、先がもたないぞ」
ぼくの考えを読んで、ヴォルトが唸るように言った。
ぼくはヴォルトの言葉が外に漏れていないか気になって、思わず手を口で覆い、頭の中でヴォルトに話しかける。
「ダメだよ、あまりオーバーすると、体がすぐに疲れてしまう。そもそも、地下の地下になんて、ぼくらを作る材料があるの?」
「俺をバカにするなよ、なんとかするさ。その代わり、おまえの皮膚を一部借りるけどな」
「……見えないところにしてね」
「わかった。背中からいただく」
「本気なの?」
「俺が嘘を言うことがあったか?」
背を向けたまま、ふん、と鼻を鳴らすヴォルトを睨みながら、ぼくは過去の記憶を読み返した。
そして、やれやれとため息をつく。
「……時々ね。今回ばかりは嘘ついて欲しかったよ」
「安心しろよ。おまえの皮を剥いで使おうってわけじゃない。ただ培養させるために借りるだけだ」
ヴォルトがそう言って、丸めっぱなしだった背中を伸ばそうと腕をぐっと持ち上げると、何かに軽くぶつかったような音がして、下がり続けていた床が止まった。
「着いたな」
暗闇からマルシェさんの声がして、立ち上がる気配がした。
ぼくも立ち上がり、何も見えない暗闇に目を凝らす。
あまりにも見よう見ようとしたために、目の前が赤く染まり始めた。
まずい、と、ぼくは慌てて目を閉じ、首を横に振る。
そんなぼくの後ろから、薄い明かりが差し込んできた。
腰に手を当てて、満足げに微笑むマルシェさんが浮かび上がる。
そして、光の差し込む方向へ進み始めた。
「ほら、何やってんだ。降りるぞ」
「あ……はい」
ぼくは返事をして、振り向いた。
ぼくを照らす光は、明るい、太陽の光のようなものではなく、人工的な電球の光だった。
まるで古い鉱山を思い起こさせるような、ささやかな光だ。装飾もないランプがアーチ型のトンネルのあちこちについていて、足元や頭上を照らしている。
これで、壁が掘り進んで作ったような道だったら、ばっちり鉱山なのだろうけれど、壁はしっかりしたコンクリートで固められていた。
マルシェさんは、何も履いていない足で、そのトンネルへ進んでいく。
ぼくも同じように後へ続き、なんとなく天井を見上げた。
もう少し背伸びをしたら、頭が着いてしまいそうだ。ぼくより大きな人は、屈んで通らなければいけないだろう。
ヴォルトがぼくの目を借りて、あちこちを見て回っていた。
冷たそうな灰色の壁。壁にぶら下がり、コードでつながれた電球。小さな赤い手形……子供のいたずらだろう。明らかに絵の具だ。
ぼくの靴の音と、マルシェさんの裸足の足音だけが、トンネルの中に響く。
ほんの少し歩くと、向こう側に出口らしきものが見えてきた。
扉も何もない、何の変哲もない出口だ。そしてその横には、掻き毟った後のような茶髪が少し覗いていた。
その頭は、地面に引きつけられるようにゆっくりと落ちていき、倒れる寸前の所でまた持ち上がる。居眠りをしているようだ。
マルシェさんは出口から足を踏み出し、椅子に座って今にも倒れそうな男性の頭を軽く叩いた。
「よう、久しぶりだなエドワール。お前、まだここの番をしてたのか」
マルシェさんは小さく笑って、男性の隣を通り過ぎた。ぼくは男性を振り返りつつ、マルシェさんに続く。
聞き覚えのある声だったのか、エドワールと呼ばれた人ははっと目を見開き、マルシェさんの後姿を指さして、口をパクパクと動かしていた。
その後、なんだか訳のわからない引きつった声が聞こえてきたけれど、マルシェさんは気にしていないようだった。
「いいんですか? 引き返さなくて」
「ああ、いい。あいつは大体半分寝ているんだ。今回も夢だと思うだろ」
マルシェさんはクックッと笑って、首を横に振った。
ぼくは最後に、ついに椅子から立ち上がって、駆け寄ろうかどうしようかと迷っているエドワールさんを振り返り、そしてトンネルの外の景色を眺めた。
さっきはあの男性に気を取られていてよく見ていなかったけれど、驚くほど、そこは普通の街だった。
ひとつ上の世界となんの変わりもない。ただ、太陽がなく、街を照らす明かりは、あちこちに立てられている街灯だ。
それがあまりにも明るい光を出しているために、地下の地下なんかに居る雰囲気はなく、まるで昼間のように感じる。
ぼくの今歩いている所は、どうやら街の大通りのようだ。その横に家々が立ち並び、その形も様々。上を見上げると、天井は暗くて見えなかった。
今通り過ぎた家から、勢いよく扉の開く音がした。
振り返ると、小さな少年がポンと飛び出してきて、向かいの家の前で手招きしている少年に駆け寄った。
少年が合流する頃には、家の前は楽しげに群がる子供たちでいっぱいになっていた。
「あっちだ! 見に行こうよ、またエリックとラルフが喧嘩してるぜ!」
「すげぇよ、二人ともボッコボコだ! エリックなんて鼻血出してる」
ワァワァ騒ぐ中から、そんな声が聞こえる。最後の一人が集まると、子供たちは家の向こうへ一斉に走っていった。
その声に反応して、真っ直ぐ進んでいたマルシェさんが立ち止まり、振り返った。
「エリックとラルフが喧嘩だぁ? あいつら、いつまで経っても成長しないな」
マルシェさんは顔を顰めてそう呟き、反対方向に歩き始めた。
「仕方ない、アラン、ちょっと寄り道だ」
「あ、はい」
ぼくはまだキョロキョロと辺りを見回しながら、短く返事をしてマルシェさんの後に続く。
すごい、本当に街ができているんだ。家の前には花も咲いているし、よく見ると、店の看板のようなものまで見える。
酒屋に、パン屋、八百屋、その他の食品店なんてもちろん、仕立屋や、なんと新聞屋まで。
地下の地下なんかに、公司なしでよくここまで……いや、そんなものもともとないほうがいいんだ。
公司だってしょせんは人だもの。人間は、やっぱりすごいな。
ちょうど子供たちが群がっていた家の側を通り過ぎ、右に曲がる。ぼくはマルシェさんの後をついていきながら、ピンク色のカーテンが両脇に結ばれている窓から、そっと家の中を覗き込んだ。
窓際には小さな植木鉢があり、白い花がたくさん咲いている。部屋の中はピンクやテイルの好きそうなフリルでいっぱいで、明らかに女性の家だった。
振り返りつつ、通り過ぎようとしていたら、玄関扉の隣に小柄なおばあさんが見えた。彼女がこの家の住人だろう。
それから三軒の窓際を通り過ぎると、ワァワァと人の騒ぐ声が聞こえてきた。
ぼくはマルシェさんを避けて身を乗り出し、この騒ぎは何なのかと目を凝らす。
大通りより一回り小さい通りで、何人もの人が集まって砂煙を立てていた。
大声で騒ぐその声を聞いて、マルシェさんは一旦立ち止まり、「あぁ」と唸る。
「バカばかりだな、相変わらず」
そう憎まれ口をたたくものの、マルシェさんの口元は上がりっぱなしだ。
喜びと、安堵感とが一緒になって、本当に帰ってきたのだと実感している表情。
マルシェさんは軽くため息を零し、騒ぎの塊に歩み寄った。
「おい」
マルシェさんが声をかける。しかし、騒ぎの音に紛れて聞こえていない。
マルシェさんはさらに足を進ませ、騒ぎの塊に近寄った。しかし、喧嘩をはやし立てる子供たちや、それを止めようとする大人たちは、誰一人としてマルシェさんに気づいていない。
これは、いくら声を張り上げたって、聞こえやしないだろう。ぼくは思わず苦笑いして、耳を手で覆った。
マルシェさんはいらいらと眉間にしわを寄せ、そしてついに右手を煽るように振り上げた。
突風が吹き抜けたように、騒ぎ続ける群がりが将棋倒しにその場に倒される。
しかし、一瞬の沈黙と、少しの間顔を見合わせた後、またギャアギャアと騒ぎ始めた。
今のは誰の仕業だと、今度は大人たちまで眉を吊り上げている。
余計に酷くなった喧嘩に、マルシェさんはさらに顔を顰めた。
どうしよう、加勢しようかな? ……いや、やめておこう。
「おい!!」
ほんの一瞬の隙を狙って、マルシェさんが大声を出した。
それに、ようやく人々が口を閉ざし始めた。徐々に声が止んでくる中、人々の視線はマルシェさんに集まる。
そしてついに、しんと静まり返った。
明らかに、これは誰だ、と顔を顰める子供も居れば、誰だかわかっているのか、驚きにぽかんと口を開け、目を見開いている大人も居る。
そんな中で、マルシェさんは軽く鼻を鳴らし、不機嫌顔を見せつけるように突き出した。
「帰ったぞ」
マルシェさんはニヤッと笑って、ほんの少し気恥ずかしそうに手を上げた。
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