075
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 ――とても優しい、笑顔が見えた。

 まるで、周りのもの全てを、包み込んでくれるような。

 慈愛に満ちた、微笑みを……――


「おい、アラン、起きろ」
 マルシェさんの声と、肩を掴んで揺らされる感覚に、ぼくははっと目を開いた。
 待機中になっていたぼくの体内が、重たい起動音をたてて動き始める。
 コンクリートの壁にぽっかりと開いたガラスのない窓から、清々しい朝日が射し込んでいた。
 ぼく、いつの間に寝ていたんだろう。
「あ……おはようございます」
 ぼくは目の前に居るマルシェさんに、寝ぼけ眼で朝の挨拶をした。
 マルシェさんは「ああ」と頷き、体を起こす。
 そして、威張るように腰に手を当てると、いつものようにニヤッと笑った。
「思い出したぞ、やっと」
 マルシェさんの言葉に、ぼくは途端に目を見開き、椅子から飛び上がった。
「本当!?」
「ああ、嘘を言ってどうなる。懐かしい夢を見てな。その中で、ようやくわかったよ」
 目を細めて笑うマルシェさんは、太陽に当たっているせいか、ずっと顔色がいいように見えた。
 ぼくは期待に胸を膨らませ、抑えきれない質問をする。
「どこですか? 今、近くですか? その入り口はどんな所なんですか?」
「焦るな。すぐ側だ、ほら、ここだ」
 マルシェさんはただ一点を指差し、そこに向かって歩み始めた。
 ぼくは振り向き、マルシェさんが指している場所を追うが、それはただのコンクリートの壁で、何もない。
 まさか、寝ぼけているんじゃ? 思い切り顔を顰めてみたけれど、マルシェさんはただ何の変哲もない灰色の壁を指さしているだけ。
 そして、今度はその指をぼくのほうに向けた。
「そこを動くなよ」
 マルシェさんはそう言って、ぼくに釘を刺す。
 そして、また壁のほうに向き直ったと思ったら、壁を手のひらで撫で始めた。
 わけのわからない行動に、ぼくは顔を顰め、首を傾げる。
 何をしているんだろう? ねえ……ヴォルト?
「何だよ」
 ぼくの頭の中で、ヴォルトが返事をした。
 胡坐をかいて、ぼくに背を向けたままでの短い返事は、何だかぴりぴりしたような声だ。
「ヴォルト? 何をしてるの?」
「話しかけるな。設計図作ってるんだ」
「設計図……ああ、ヴォルトの?」
「ん」
 ヴォルトは少し頭を動かして頷き、また黙り込んだ。
 ぼくはまだ壁に手を当てているマルシェさんをチラッと見て、頭の中でそっとヴォルトのほうへ歩み寄った。
 ヴォルトの上から覗き込むと、大きな紙に、人の形をした簡単な絵と、細かい書き込みがたくさんしてある。
 頭部……胸部……腹部……あ、強制終了スイッチの場所が移してある。
 わからない単語もたくさんだし、何よりヴォルトの走り書きは、縮こまったミミズのように見えて、ぼくには解読不可能だ。
 しかし、読めるところもある。手の長さや、足の長さの単位……身長が30cmも伸びている。
 ぼくが思わずブッと吹き出すと、振り向いたヴォルトに顔面パンチをくらった。
 データといえど、強烈なヴォルトの攻撃にクラクラしていたら、マルシェさんがようやく声をあげた。
「あった」
 独り言のような呟きに、ぼくはすぐさま反応した。
 思わずマルシェさんのほうに駆け寄ると、マルシェさんがすばやく振り向いた。
「動くなって言っ……」
 マルシェさんの言葉は遅かった。
 まるでティーマにいたずらにひざ裏を蹴られたような、ガクッと落ちる感覚に、ぼくは思わず膝をついた。
 屈んだ目の前に見えるのは、四角くくり貫かれたようなコンクリートの壁で、よく見ると、その奥には押されて下がった壁の一部が見えた。
 しかし、じっくり見ている暇もなく、ぼくは床と共に下へ下へと降りていく。
 さすがにこれには、ヴォルトも関心して声をあげた。
「すげぇ、なんだ、これ!」
「バカ、動くなと言っただろ」
 ヴォルトの気持ちを思わず声に出していたら、マルシェさんがぼくの後ろ側へ乗ってきた。
 そうか、いきなり下がってはぼくのように転んでしまうから、床が下がり始めるまで待っていろ、ってことだったんだ。
「すいません」
 ぼくはそう言って苦笑いし、立ち上がった。
 しかし、足元がグラグラ揺れるせいで、上手く立っていられない。
 それはマルシェさんも同じようだ。マルシェさんは「慣れないな」と呟き、下がり続ける床に腰を下ろした。
 ぼくも同じように床に腰を下ろし、マーシアの太陽光の射し込む頭上を見上げた。
「太陽にしばしの別れを言っておけよ。地下の地下に太陽を作り出す妖精なんて居ないからな」
 マルシェさんの言葉を最後に、太陽の光がほとんど当たらなくなった。
 ゆっくりと下がり続ける床の周りは、同じようなコンクリートの壁だ。ぼくの下から重い機械音がしているので、機械で動いているのだとわかった。
 エレベーターのようなものなんだな……なるほど、これで地下へ行くんだ。
「あんな小さなスイッチ、よく思い出しましたね」
 ぼくはさっき見た四角のくぼみを思い出し、マルシェさんにそう言った。
「ああ、さっきも言ったが、夢を見たんだ。俺が仲間の子供たちを連れて上に買い物に行った帰りに、子供たちは誰もがこのスイッチを押したがってな、その取り合いをしている様子を見たんだ」
 マルシェさんは懐かしそうにそう言って、「子供はああいうものが好きだろ」と付け足した。
 それからぼくらは、ほとんど無言のまま、ゆっくりと地下の地下へと向かっていった。



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