073 涙なんか出なかった。
こういう時、普通だったら、遺体に抱きついて、大声で泣いたりするんだろう。
俺は、それはしなかった。
できなかった。
認めたくなかった。
呆然とキヨハルを眺める俺の後ろで、誰かが動いた気配がした。
俺は振り返ることもせず、ただ、乾いた唇だけを動かした。
「誰だ」
俺の出した声は、カラカラに擦れていた。
力を持った、誰かが後ろに居る。だが立ち上がって、戦闘体勢になる気力もない。
その時、不思議な声が聞こえてきた。
『タツミ=キヨハル。死亡確認』
幾重に重なった、不思議と頭に響く声で、そいつが言った。
空っぽだった俺の頭に、そいつの言葉で意識が戻ってきた。
抑えきれない怒りをぶつけようと振り返った瞬間、アイツの気配はすでに消えていた。
フランが、どこか遠くで悲鳴をあげた。駆け寄ってくる音がする。
キヨハルに抱きつき、縋り、そして俺を殴っている。
俺に当たるんじゃねぇよ。他の公司に当たれ。
それは出来ないか。俺も、フランも、あいつらを消してしまった。
怒りに任せ、無意識のうちに。
意識が戻った今、
誰に、この悲しみをぶつければいい。
誰に、この憎しみをぶつければいい。
誰を、殺せばいい……!!
「そして、奴は居なくなった」
マルシェさんは物語の最後のように締めくくり、話を終えた。
ぼくは、まるで大長編の映画を見終わった後のように、その世界からすぐに抜け出せないまま、マルシェさんの顔を見つめていた。
キヨハルさんが殺された事が、はっきりとわかった。やっぱり、キヨハルさんを殺したのはあいつだ。
それより、ぼくはマルシェさんの言ったある言葉に、呆然としてしまっていた。
赤い眼を……見た……?
そんなぼくに向き直り、マルシェさんはニヤッと笑う。
「それから数年間は、奴らは俺やフランの力を恐れて、俺たちに近づくことはなかった。だかな、そう、もう半年前になるのか……ついに俺たちを捕まえに来たんだ。俺はフランを逃がした。あんな生意気女でも、キヨハルの女だ。そして、俺は単純に逃げ遅れ、公司に捕まった」
マルシェさんはその後のことを簡単に述べ、どこか悲しそうに、少しだけ目を伏せた。
「俺は、今でもキヨハルが一番恐ろしい。もしかしたら、ひょっこりどこからか出てきてよ。俺に向かっていつものように笑って、「久しぶり」なんて、手を振るんじゃないかって思うんだ」
そう呟くマルシェさんに、かける言葉が見つからなかった。
ぼくは行き場のない手を無意味に動かし、情けない顔で、言葉の出ない口を上下させる。
マルシェさんはそんなぼくを見て、また少し笑った。
そして、声のトーンを落とす。
「わかっているんだよ。あいつは、もう戻ってこない」
そんなつもりじゃない。そう言うつもりだったぼくの言葉は、喉の部品にさえぎられた。
マルシェさんは細い膝を抱いて、体を縮める。
「わかってはいるんだ……認めたくない、それだけなんだ。そうさ、ようするに、俺はまだガキなんだ。英雄は不死身だとかいう、バカげた幻想を夢見るような子供だ」
ぼくは、黙ってただ頷く。それだけしかできなかった。
「……一体、俺たちが何したっていうんだ……」
マルシェさんが、小さく呟く。
「元はといえば、ただ、俺たちは公司の考え方にはついて行かないと、そう言っただけじゃないか。別に、公司を攻撃したわけでもない。ただ、あいつらの考えは、しょうに合わないと言っただけだ」
「そうさ、たった……それだけだ……」
うつむくマルシェさんに、ぼくは何も言うことができなかった。
ぼくは、マルシェさんの親友を、キヨハルさんを、消した奴を……殺した奴を、知っている。
ぼくはここで、あいつの名前を言うべきだろうか。
言ったら、マルシェさんはどうなるのだろうか。
きっと、今にでも復讐をしに飛んでいくだろう。絶対に、今すぐにでも。
どうしよう、ぼくは、どうしたらいい?
ぼくはぐっと顔を顰め、薄明かりの中でうずくまるマルシェさんの足元を見つめた。
マルシェさんは、復讐をしたがっている。
ぼくがもしマルシェさんの立場だったら、少しの情報でも欲しいと思うだろう。
ぼくは、そんな経験をしたこともないはずなのに、なぜだか、マルシェさんの気持ちを痛いほどに感じていた。
まだ言葉のない口を開けっ放しで、情けない顔をしているぼくの肩を、マルシェさんは軽く叩いた。
「今日は、まだここでじっとしていよう。明るくなれば、俺も思い出すかもしれない」
マルシェさんが、小声で言ったその言葉が、ぼくを少し楽にしてくれた。
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