069
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 ズウン、と公司館の大扉が閉まる音と、ぼくの嫌いなあの尾を引きずるような音を聞いてから、もう何時間経っただろう。
 あれからずっと、ぼくはマルシェさんの指示に従い、街中を縫うように歩き続けていた。
 何度も同じ道を通るようだから、「ここはもう通りました」とマルシェさんに話しかけても、マルシェさんはむっつりと黙ったまま、「そのまま行け」とあごで指図するだけ。
 頭の中でヴォルトに相談してみても、「今は歩け」と、マルシェさんと同じようなことを言われる。
 ぼくは、なんだか自分だけ仲間外れにされたようで、少し嫌な気分になっていた。
 だけど、それがなぜなのかは、しばらくして、ぼくにもわかった。
 ぼくが三回も通った細い路地に入りかかった頃、ぼくの足音でも、マルシェさんの足を引きずる音でもない音が、ぼくらの後ろで小さく響いた。
 ぼくは、ぴたっと足を止める。誰か着いて来ている。
「気づいたか」
 マルシェさんが、ぼくに囁いた。
 ぼくは黙ったまま、道に迷ったふりをし、また適当な方向に歩き出した。
 そうか、マルシェさんは、これを撒こうとしていたんだ。
 マルシェさんは、すごい。誰よりも感覚の鋭いヴォルトが気づくのと同じぐらいのスピードで、なんていったって、ヒトがぼくより先に、追っ手に気づくなんて。
 もしかしたら、目が見えないからこそ、人一倍そういう感覚が優れているのかな。
 改めて実感したマルシェさんの能力に、ぼくはまた期待を膨らませ、マルシェさんの指示通り、迷路のような路地をさまよい続けた。
 何人居る? 普通の人間じゃないことは、わかっている。疲れているといえど、GXであるぼくに気づかれずに着いてきたのだから、少しは腕の立つ公司だろう。
 戦闘態勢に入れば、すぐに人数や表情、家族構成なんかの細かな公司のデータまでわかるけれど、こんな街中で一騒動起こすわけにはいかない。
 今のぼくじゃあ、周りのものをすべて、ふっ飛ばしかねない。まだ力の制御が難しい。
 さっきの細い路地に、四回目の一歩を踏み出そうとしたその時、マルシェさんがぼくの肩から起き上がった。
 まだフラフラしているので、ぼくが手を貸そうとしたら、いい、と跳ね除けられた。
「面倒だ、片付けよう」
 マルシェさんはまだ体力が回復していないようだったが、(当然だろう、心臓をひとつ抜いたのだから)ぼくたちが止まった頃、同じように止まった足音のほうを、見えない目でじろりと睨んでいる。
 ほんの少しマーシアの太陽が当たっているマルシェさんは、牢獄に居る時より、かなり若く見えた。
 しかし、相変らず顔色は悪いし、髪ボロボロ、衣服もボロボロ。それに、だらしなく無精髭が生えっぱなしだ。どこからどう見ても、弱々しい貧民にしか見えない。
 マルシェさんは、何気なくコンクリートの壁に寄りかかり、止まった足音のほうを、ずっと睨み続けている。
 きっと、こんな人を相手にしても、簡単にやっつけられると公司たちは思ったんだろう。
 ぼくらのすぐ前に、公司たちが飛び出してきた。
 そして、壁に寄りかかっているマルシェさんへ、一斉に飛びついた。
 危ない!
 ぼくが飛び出そうとした瞬間、ぼくの目が何も見えなくなった。
 思わず顔を背けずにはいられない激しい突風と共に、大量の砂煙が、ぼくの視界を塞ぐ。
 ものすごい風の音で、周りの音がまったく聞こえない。
 巻き上げられた砂埃が、ぼくの顔や手に穴を開けようとぶつかってくる。
 ぼくは、とにかく思い切り手を伸ばした。
 しかし、伸ばした手はバチッ、と叩き返されるように、何かに跳ね飛ばされてしまった。
 マルシェさんはこの中に居るのだろうか? 一体誰が攻撃を仕掛けたのだろうか? マルシェさんは立っていられるのだろうか?
 様々な心配事がぼくの頭の中を駆けまわっても、激しい砂煙にぼくはついに抵抗を諦め、腕で顔を覆った。
 しばらくそのまま目をつむり待っていると、徐々に風がやんでくるのを感じた。
 まだ目の前は砂埃だらけだけれど、目を凝らせば、ぼんやりと建物の輪郭を見ることができた。
 砂煙が引けてきた。ぼくはすぐに、マルシェさんが寄りかかっていた場所へ目を向けた。
 しかし、何もない。本当に、何もない――
 マルシェさんが、居ない!
 ぼくは青ざめた。きっと、また捕まってしまったんだ!
 ぼくのせいだ。ぼくがもうちょっと注意していれば!
 どうしよう、何をすべきだろう。まず、公司館に戻るべきか?
 いや、そんなことしたら、ぼくもヴォルトも捕まってしまう。
 でも、だからといって、マルシェさんを放っておくわけにはいかない。
 とにかく、前へ進もう!
 その時、踏み出したぼくの足元に、ゴツンと何かがぶつかった。
 なんだか覚えのある感覚に、ぼくはぎょっとして下を向く。
「痛え……」
 低い唸り声……マルシェさんだ。
「マルシェさん!」
 ぼくが蹴とばしていたのは、マルシェさんの頭だった。
 ぼくはほっとしてその場に崩れた。よかった――捕まっていなかったんだ。
 でも、公司たちはどこに?
「お前と俺の頭は、本当に相性が悪いな」
 マルシェさんは二度もぶつけた頭をさすりながら、ぼくの伸ばした手を取る。
 ぼくは苦笑いして、マルシェさんを助け起こした。
 マルシェさんは砂まみれになった顔を払いながら、辺りをじっと見回す。
 しばらくたってから、マルシェさんから鋭い眼光が消えた。小さく頷いたのは、「もういない」ってことだろう。
 本当に、公司たちは一人もいなくなっていた。飛び出して来た時には、少なくとも五、六人は確認できたのに……。
 ぼくはまだ埃っぽい路地を見ながら、不思議そうに首を傾げた。
 そんなぼくに、マルシェさんがクックッと笑い声をあげる。
「追っ手は、どこへ?」
 ぼくはむっとして、聞いた。
 マルシェさんはぼくの肩に捕まり、にやりとして答えた。
「公司館へ、逆戻りさ」
「マルシェさんが?」
「ああ、そのぐらい、俺にだってできる」
 残った砂埃に、マルシェさんがゴホゴホと咳き込む
 なるほど、そうか。マルシェさんは、公司たちを一瞬にして強制テレポートさせたんだ。
 なんて力だろう。並の人間より優れた能力を持つ公司を、五人もいっぺんに送り返してしまうなんて。
 一般的な能力者の力では、絶対にそんなことはできない。もしも公司のような優れた能力者でも、たった一、二人を強制テレポートさせるにも時間をかせがねばならないし、何より相手の抵抗を抑えつけ、相手の倍以上の力を注がねば逆に吹き飛ばされてしまう。
 だけど、マルシェさんは公司たちに精一杯の抵抗させる前に、一瞬で飛ばしてしまった。
 今頃公司館に着いた公司たちは、きっと何が起こったのかわかっていないだろう。
 公司館のロビーで顔を見合わせる公司たちを想像して、ぼくは思わず小さく笑った。
 やっぱり、マルシェさんはすごい人だ。
「さあ、行こう」
 マルシェさんはにやりと笑って、自ら足を踏み出した。



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