060 改めて思う。“お父様”という人間は、どこまで残忍なのだろう。
ヒトの心は、どこまで荒むことができるのだろう。
皆はこの暗闇に満ちた世界を希望の光が射すものに変えたくて、その人柄と優れた能力を認め、お父様に“公司長”という最高の地位を与えたのだろう。
しかし、お父様は皆が信用して与えた、権力と能力を最大限に悪用して、“ぼくら”を造り出した。
自分の邪魔となる人物を、“お仕事”だと騙して、ぼくらに消させるために。
あの人はぼくらを息子や娘だと言っていたけれど、実際には、人間より簡単に言うことを聞く、ただの殺人人形としか見ていなかったんだ。
ならばぼくは、人形としてここに居ることは、もう嫌だ。
“造られたもの”として接されるより、“生きるもの”として認められるほうが、数倍嬉しい。
救世主がこの世界を変えてくれることを、ぼくは望む。
赤い廊下、赤いランプ、時々表れる数個の茶色の扉。
それ以外は何の変化もない廊下を、お気に入りの靴音をたてて、ゆっくりと踏みしめ歩いていく。
そして、次の角を右へ曲がったところで、ようやく変化が訪れる。
突き当たりにぽつんと、まるで一つの絵のように置いてある、いつもの白い両面扉。ぼくらの部屋だ。
扉の両端にある赤茶色のランプのせいで、遠くからはぼやけているように見える。
ぼくは静かに扉に向かって進み、扉の模様まではっきり見えたところで、足を止めた。
その扉を片手で押し開け、真っ先に飛びついて来るのは、
「アラン!」
ほうら、当たった。
腹に強烈なタックルをくらうのも、ずいぶん慣れたような気がする。
それとも、ヴォルトがぼくを丈夫(すぎるほど)に改造してくれたからかな。
「ただいま、ティーマ」
ぼくはいつものように苦笑いして、ティーマの頭を撫でた。
頭の両端についている赤い大きなリボンが、ピョコンと揺れる。
ここで、いつもなら輝く真っ赤な瞳はぼくを見上げ、「おかえりなさい!」と元気な声で迎えるはずだ。
次はそうだろうと思った瞬間、強烈な張り手がぼくを襲い、思いっきり突き飛ばされた。
不意打ちの攻撃に、ぼくは抵抗することも出来ず、頭から背後の扉に突き刺さった。
爆弾か何かが破裂したのかと思うほど喧しい音に、テイルが扉の向こうで悲鳴をあげている。
ぼくはパラパラと落ちてくる木くずを吹き上げ、廊下側へ飛び出た上半身を起こした。
「アラン、いままで、どこに、行っていたのですか!」
ティーマが、扉の向こうでキーキー声をあげている。
確かに、何週間も姿を現さなかったのは悪いけれど、突然全力で吹っ飛ばすなんて、酷いや。
「ティーマ、ごめん。だから、ちょっと、助けて」
ぼくは切れ切れに言葉を吐いて、しっかりとドアに挟まった体を必死に捻った。
ちょうど腰で挟まっていて、動けない。
今更になって、ゼルダの忠告を本気で信じることになるなんて。
まいったな、とため息をつこうとしたら、また突然足を引っ張られた。
バキッ、と嫌な音をたて、ぼくはようやく部屋の中に入る。
床に仰向けに倒れていたら、ティーマが覗き込んできた。
真っ赤な目を細め、まるで二つのボールが頬に入っているかのように、膨れっ面をしている。
怒ってる、怒ってる。
怒らせている本人がぼくなのは確かだけれど、その表情に、ぼくは思わず吹き出した。
反省の色がまったく見えないぼくに、ティーマはもっと頬を膨らませた。
今ではサッカーボールが両頬に入っているようだ。
「ごめん、ごめんよ。ほら、謝るから、ごめん」
ぼくは体を起こし、顔の前で両手を合わせて、困り笑いの頭を下げた。
しかし、今のティーマは土下座をしても許してくれそうにない。
そう思ってちらりと顔を上げると、両頬はりんごぐらいの大きさまでしぼんでいた。
少なくとも、ほっぺたが破裂することは免れたようだ。ぼくはほっとして、立ち上がる。
すると、再びぼくは強烈な突進を食らった。その威力は、思わず目玉が飛び出そうなほど。
ぼくは目玉が飛び出ないようにぎゅっと目をつむり、ティーマを受け止めた。
また扉に突っ込むかと思ったけれど、そこはなんとか踏みとどまった。
ティーマは、ぼくをガチガチに拘束したまま、ぼくの腹に顔を埋めている。
やれやれ、ティーマのこの性格にも、ずいぶん困らされたものだ。
「ティーマ、放してよ。大丈夫、もうどこにも行かないよ」
ぼくは嘘をつく。
さぁ、今度こそ、ティーマを騙し通せるかな。ぼくの嘘やごまかしは、ティーマにきいたためしがない。
案の定、ティーマはさらにぼくを締めつけ、離してくれそうにない。
ぼくはやれやれと天井をあおぎ、大げさに口を開いた。
「あーあ、扉が破れちゃったよ。お父様にお菓子を取り上げられたら、どうしよう」
ぼくがそう言うと、ティーマははっと顔を上げた。
まるで世界の終わりのような表情で、首を横に振る。
あまりにも激しく振ったので、長い髪がぼくを鞭みたいに叩きつけた。
形勢逆転。ぼくはにやりと笑い、ティーマを見下ろす。
「さぁ、どうしよう」
「ティーマ、ごめんなさい、してくる!」
ティーマはすぐにそう言って、半分ぼくを跳ね飛ばし、壊れた扉をさらに壊して駆け出て行った。
今度は倒れずに踏みとどまったぼくは、やれやれとため息を零し、扉の木くずでいっぱいのシャツを拭う。
そんなぼくの後ろで、テイルがクスクスと笑った。
「なんだか、久しぶりな気がするね」
ぼくは苦笑いして振り返る。
「そうですわ、もう二週間も姿をお見せにならなかったでしょう」
テイルは肩をすくめて、そう言った。
「そんなにぼく、居なかった?」
「ええ。ここの所、この部屋に居たのは、ずっと私とティーマさんだけでしたわ」
テイルはそう言いながら、とばっちりをこうむった白いテーブルの上を払う。
そして、いつもばっちり整えている髪を優雅に振り、ぼくのほうを向いた。
「お茶でもいかが?」
テイルの誘いに、ぼくは首を横に振った。
「ううん、今は遠慮しておくよ」
最後の別れは終わった。
そう、ぼくはそろそろ行かないと。
ヒーローが待っていてくれることを、願って。
next|
prev