056 今のぼくに、一体何が出来るだろう。
目の前のものすべてが溶けていきそうだ。
何をするべきか、
ぼくに何が出来るか、
ぼくは何をするべきか、
今のぼくに、何が出来る?
ぼくは、ただ、何もする気が起きずに、いつものあの赤い廊下の真ん中で、ポツンと一人、立ち尽くしていた。
あれから数日間、ずっとこんな感じだ。ぼくの中身を、全部どこかに落としてきたような感じ。
体中が、からっぽで、空き缶みたいに軽い。
それほどまでに、ぼくにとって、ヴォルトはとても大きな存在だったんだな……――
「ゼルダ」
聞き覚えのある声が、ぼくの片割れを呼んだ。
しかし、今呼ばれたのは、ラボにいる口の悪いぼくじゃなく、今、情けなく突っ立っている、空っぽのぼくのほうだろう。
「……やあ、シオン」
ぼくは軽く苦笑をし、目の前に現れたシオンに挨拶をした。
シオンは相変わらず、無表情で、半分伏せた青い目で、ぼくのほうをじっと見つめている。
そして、音もなく、浮き飛ぶようにぼくのほうへ近づいてきた。
ふわりふわりと揺れる一枚布の服は、目の前の光景の不思議さを、奇妙な方向に引き立てる。
ぼくの前まで来ると、シオンは少し、頭を下げた。
「お久しぶりです」
いつものように少しも唇を動かさず、シオンが挨拶をする。
ぼくは苦笑いした顔のまま、「そうだね」と頷いた。
シオンは、わかっているんだろう。ぼくが、“ゼルダ”ではなく、“アラン”だということを。
しかし、シオンはお父様絶対主義者だ。だから、絶対にぼくのことをアランと呼ぶことは、ないだろう。
「……元気だった?」
ぼくはただなんとなく、ありきたりな会話を初めてみた。
シオンは、前からちょっと苦手なんだ。話が続かなくて。
さぁ、なんて言うかな……。
「No,6は、自業自得です」
突然、青い瞳でじっとぼくを見つめ、シオンはそう言った。
その言葉に、一瞬、ぼくは動きを止める。
今、何て……?
眉を顰めるぼくを見つめながら、シオンは続ける。
「お父様に刃向かい、あのように公司館を破壊するなど、言語道断。お父様は大変お怒りです。No,6は、お父様に暴言を吐きました。それでいて、修理を乞うなど、あってはならないことです」
少しも動かない唇を見つめながら、ぼくは目を見開いた。
ぼくの中から、ふつふつと熱いものがこみ上げてくる。
気づいたら、ぼくの目の前は、真っ赤に染まっていた。
お父様に対する憎しみと、シオンの言葉に対する怒りが、ぼくを暴走させようとしている。
ダメだ、今ここで、シオンと一戦交えたら、決して良い事にならないことは、目に見えている。
そうだ、抑えろ、抑えなければ……。
「貴方もお父様に刃向かうおつもりなら、こちらにも考えがあります」
シオンはそう言って、静かにぼくの横を通り過ぎて行った。
ぼくの目の前が、いつもの色を取り戻していく。
しかし、シオンの次の言葉が、ぼくにとどめを刺した。
「明日、No,6の処分を」
空っぽだったぼくの中を、憎しみが満たしていく。
悔しい……!
ぼくは振り返り、シオンを一点に睨みつけた。
自分でも驚くほどの速さで、目の前が赤く染まる。
ぼくが手のひらを宙に向け、サッと横に振ると、薄い水の膜が、ぼくの周りを包んだ。
それに気づいたように、シオンが振り返る。
しかし、さして動揺している様子はない。
ただ、いつものように澄んだ虚ろな瞳で、何もかもを見透かすようにぼくを見つめている。
ぼくは素早く、右腕をシオンに突き出した。
行け!!
音もなく、音速の速さでぼくの回りの水壁が、一気にシオンを襲った。
ぼくが祈ったのもつかの間、すぐに、パン、と軽い音がして、シオンの一歩手前で砕け散るように跳ね返された。
ぼくは返ってきた攻撃を避け、さらに右手を振り上げる。
その時、
いつも、表情をまったく変えないシオンが、大きく目を見開いた。
その表情と、ガラス球のようなその瞳に、ぼくは思わず動きを止める。
いや、シオンの瞳に、止められたわけじゃない。
ぼくの一番嫌いな、あの、体中を鷲掴みにされるような威圧感が、後ろからぼくを襲ったからだ。
ぼくは、ぴくりとも動かなかった。いや、動けなかった。
今振り返ったら、ぼくは確実に、強制終了をされる。
それも、強制終了された瞬間なんて、気付かないままで、気づいたら、あの冷たいラボラトリーに寝かされているんだろう。
それほどの力が、ぼくを襲ってきている。
地を這うような――何かを引きずるような、嫌な音がぼくに近づいてくる。
緊張と恐怖で張り詰めるその場で、ぼくはシオンに向けた右手も下げることが出来ず、ただ目を見開き、シオンを見つめていた。
ぼくの頬に、水滴が伝う。
「GX.No,1……」
シオンが、ぽつりと呟いた。
それと同時に、ぼくをもの凄い力が襲った。
ぼくは、倒れた。
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