051
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「うそだろォ、おい!」
 ランスさんが立ち上がった。
 その途端、建物が唸りながら揺れ、天井からバラバラと小石が落ちてくる。
 ボルドアさんが、すかさずランスさんの足を蹴り、再び床に突っ伏させる。
 ランスさんが顔面を打ちつけ、鼻を押さえて文句を言っているのが聞こえた。

 そうだ、今、思い出した。
 マルシェさんは、目が見えなかったんだ。
 なのに、ぼく、何の手助けもしないで、放ってきてしまったんだ……!

 ぼくは、ボルドアさんの腕が少しはなれた隙に、立ち上がって駆け出した。
 まるで暴れん坊な雷が公司館を荒らしまわっているような、凄まじい爆音が響く。
「行くな! 危ない!」
 ボルドアさんが、太い声で叫んでいる。
「外へ行って!!」
 ぼくは叫び返しながら、再びいらつく螺旋階段を駆け上がった。

 よじれた絨毯に足をとられながら、ぼくは地下三階へ向かった。
 さっきより壊れたところが多い。壁は崩れ、床には亀裂が入っている。今では絶えずどこかで爆発音が響き、建物は常に激しい横揺れに襲われていた。
 ヴォルトが、まだ元気に大暴れしているという証拠だろう。
 人間ならば、こういうときに冷や汗というものが滝のようにあふれるものなのだろうか。
 少なくとも、ぼくも、胸の辺りが嫌にひんやりとしているのを感じていた。
 どうか、牢が崩れていませんように。
 絨毯に滑って半分落ちながらも、精一杯急いで階段を駆け下りた。
 赤い廊下を走り、そして石壁が目に入ってくる。
 しまった、だいぶ崩れている。明かりもない。
 壁が崩れた瓦礫が、ぼくの足の邪魔をする。
 ぼくは飛び跳ねるようにしてそれらを避けながら、奥へ奥へと進んだ。
 奥へ進むごとに、壁の崩れは激しくなっている。
 気づけばいつの間にか、腕で岩を掻き分けて進んでいた。
 ここでぼくらの力を使ってもいいのだけれど、下手をしたら、瓦礫を撤去しようとして地下三階を破壊しかねない。
 地道に手で掘り進むしかない。
 ぼくの頭の中を、絶望の文字が何度もよぎる。
 いやだ、マルシェさんが、
 死んでいるなんて、考えたくないよ。

 やっと見つけたんだ。

 この世界を変えられる人を、

 たった一人のヒーローを、

 ヒーローになれる人を。

 鈍い音がして、目の前の大きな瓦礫が向こう側に滑り落ちた。
 それと同時に、周りの小石たちも勝手にボロボロと崩れ始める。
 ようやく天井が見えた。ぼくは思い切って瓦礫の山によじ登り、滑るようにして瓦礫の向こう側へ飛び降りた。
 瓦礫の壁の向こうは真っ暗だった。ぼくは指先に明かりをつけるのも忘れて、勝手に暗視モードに切り替わった目でさらに奥へと進んでいく。
 そしてついに、牢の格子が見えてきた。
 壁から飛び出た岩たちが、崩れた牢の中にごろごろと転がっていた。
 ほとんどの牢は半分ほど壁の岩に埋まっているだけで、全壊してはいなかった。しかし、ランスさんの居た牢の天井は崩れていたし、肝心のマルシェさんの牢の前には、突き当りから崩れ落ちた壁が積み上がり、切り崩したはずの鉄の格子はほんの四分の一ほどしか見えていなかった。
 ぼくはその隙間から腕を突っ込み、指先に明かりを点け、大声で叫んだ。
「マルシェさん!!」
 その時、
「やっと来たか」
 マルシェさんのうんざりした声が聞こえて、ぼくはかぶりつくように牢の中を覗いた。
 ぐっと手を伸ばすと、指先ライトに照らされて、薄汚れた服が目に入る。
「俺は目が見えないって、いくら言ったらわかるんだよ」
 マルシェさんが、ぶつぶつと文句を呟きながら、牢の端っこでくつろいでいた。
 奇跡だ。今にも崩れ落ちそうな、牢獄の中で!
 ぼくは唖然とその光景を見つめながら、言葉の出ない口を無駄に動かした。
「あいつらを置いて来たのか、バカだな。あいつら絶対お前のこと待ってるぞ」
 マルシェさんが顔を顰める。
「戻れ。行け。俺のことはいい。なんとかなる」
 マルシェさんの言葉に、ぼくは首を横に振る。
「ダメだ、置いてなんかいけないよ! 今にもここは崩れそうなのに!」
「俺を誰だと思ってんだ」
 ぼくの慌てた言葉にも、マルシェさんはすぐにそう切り返した。
 どう言ったら動いてくれるのだろう。もしこの瓦礫がなければ、無理にでも腕を引っ張って連れて行くのに。
 その時、また頭上で爆発音が轟いた。腹の奥を揺さぶる音はかろうじて天井にしがみついていた瓦礫を落とし、マルシェさんの頭をかする。ぼくのほうがゾッとした。
「人間は脆い! 一度壊れたら、直す事は出来ないんだから!!」
 ぼくは一心不乱に叫んだ。
 なくしてたまるもんか。やっと見つけたのに。やっと見つけたのに!
「行け!!」
 その時、マルシェさんが大声を出した。
 まるで何かの波動をくらったように、肌がビリビリとする。
 ぼくは思わず腕を引っ込ませ、目を見開いた。
 暗い牢の奥で、マルシェさんがぼくを睨みつける。
「馬鹿野郎! お前が行かなかったら、あいつらはまた引き戻されるんだぞ!!」
 黒い瞳が、ぎらりと光る。
 ぼくはぐっと唇を噛み、再び駆け出した。



 ごめんなさい。


 ぼくって、

 なんて浅はかでバカなんだろう。

 いつだって考えなしさ。

 これなら、ヴォルトに能無しって言われても反論できない。




 ぼくはバカだ。



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