030 シオンの体に巻きつけているこれは、服というより、長い布だ。
指の先まですっぽり隠れるそでがついていて、胸の少し下のあたりを、シオンが“おび”と呼ぶ色の違う布でぐるぐる巻いてある。
裾をひきずりながら、シオンは階段を一歩一歩大事そうに上がっていく。
ぼくは未だ、シオンの体は腕以外、見たことがなかった。
いつでもこの真っ白な布に覆われているから、つま先さえ見たことがない。
もしかしたら、ないのかもしれない。だって、今だってちっとも足音がしないんだから。
階段を上りきると、ふわふわの赤い絨毯の上を、お父様の部屋へ向かって進む。
その間時々、シオンはちらりとぼくを振り返った。何かを気にしている様子だ。
それでも、ぼくは「何?」とは聞かないでおいた。なんだか様子がおかしいし、何かあるのだったら、シオンから話してくれるだろう。
もう、階段を何回上がっただろう。シオンの足元に気をとられ、数えるのも忘れていた。そろそろ、変えたて新品の膝の部品が悲鳴をあげてくる。
まっすぐに歩くのは楽なのだけれど、階段とかで、足を上げたり力を込めたりするのは、メンテナンスのすぐ後だと、新しい部品との折り合いがうまくいかない。
それから三度階段を上がり、ようやく、お父様のお部屋がある最上階へ辿り着いた。
シオンは相変わらず一言も話さず、廊下を直角に曲がり、突き当たりのお父様の部屋へ向かう。
この階には、公司長であるお父様の部屋しかない。
もちろんこの階にも、天井からぶら下がる明かりはなく、赤い絨毯のほんの少し上に、足元を照らすための赤いライトがついている。
赤は、お父様の好きな色だ。それに、お父様は闇を好む。
ぼくはお父様の姿を見たことがない。だって、部屋はいつも暗闇に包まれていて、何もかもが見えないのだから。
ティーマは、お父様に頭を撫でてもらったとか、褒められたとか、嬉しそうに報告してくることがあるけれど。
ぼくはいつでも扉のすぐ側に立って、お父様に言葉で褒めてもらう。それに、こんな大きなぼくが頭を撫でてもらうというのも、おかしい話だしね。
ぼくは足元のランプを意味もなく数えながら、シオンについて進んだ。
やっぱり足音がしない。本当にシオンには足がないのか……今度、お父様にこっそり聞いてみよう……。
シオンは廊下の一番奥にたどり着くと、その前でぴたっと立ち止まった。
見上げても輪郭がどこなのかわからないほど、大きな黒い扉がある。
シオンはまた少し進み、小さな手で扉を軽く叩いた。
「お父様」
シオンが、そっと扉に囁きかける。
「シオンか」
すぐに、お父様の声が、扉の向こうから返ってきた。
「はい。ゼルダも居ります」
シオンは頷き、軽くぼくのほうを振り返る。
その言葉に、お父様は歓喜の声をあげた。
「ゼルダ! そうか、早くお入り」
急かすようにひとりでに扉が開き、ぼくらは中へ進んだ。
ぼくの後ろで、軋む重い音を響かせて、扉が閉まっていく。
それと同時に、真っ暗な部屋の一番奥で、お父様の優しい声が響いた。
「ゼルダ。あぁ……会いたかったよ。一週間も閉じ込めてしまって、すまなかったね」
「いいえ」
お父様の声に、ぼくはにっこりと微笑んで、首を横に振った。
そしてすぐに、申し訳なくなって頭を下げる。
「ぼくこそ、ごめんなさい。なんだか、記憶がとんでしまっていて……あんなことを」
「いいや、いいのだよ。ゼルダ。私の見落としがあった。あぁ、すまなかったね」
お父様が辛そうな唸り声をあげる。
お父様を苦しませてしまった。「本当にごめんなさい」と謝りたい気持ちでいっぱいだったけれど、ぼくは微笑み、首を横に振るだけにした。
お父様は「いい子だ」と呟き、椅子の軋む音をさせる。
「ティーマやテイルがとても心配していた。すぐに顔をみせてやってくれ、可愛い姉妹たちに」
「はい」
ぼくは微笑み、すぐに頷いた。
きっと帰ったら、すぐにティーマのタックルをくらうことだろう。
「あぁ、お前はいつも素直でいい子だ、可愛い我が息子よ。さぁ、行ってやってくれ」
「はい」
ぼくは深く一礼して、一歩後ろへ下がった。
それと同時に、シオンが少し前へ進む。
「シオン、お前は少し私の側に居ておくれ」
お父様が優しく頭を撫でるように、柔らかくそう言った。
「はい」
シオンも返事をして、前を見据えたまま、頷くようにほんの少し頭を下げる。
そしてぼくのほうを向き、「また今度」とぼくに微笑んだ。
ぼくも同じく頷き、お父様へもう一度頭を下げる。
「失礼します」
ぼくはそう言って、一人でお父様の部屋を出た。
黒い扉に背を向けた途端、また重い音が赤い廊下に響き、扉がひとりでに閉まる。
ぼくはそれを合図に、一歩一歩踏みしめてじゅうたんの上を進んだ。
お父様は、いつだってお優しい。普通なら、怒鳴られても、罰を受けてもいいようなことをしたのに、あんなに優しく許してくださった。
ぼくは、お父様のためになることなら、なんでもしよう。
お父様はすばらしい人だ。
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