025 気づいたら、強く念じていた。扉が開くようにと。
通常はセキュリティーが何重にもかかっていて、たとえぼくらGXでも、他のラボに入るには許可が必要になる。
だけど、今はぼくの意識がその厳重な警備をかいくぐって、重たい扉を開くための歯車に直接力を加えていた。
石を引きずるような音をたて、扉は左右の壁に吸い込まれていく。“6”の字の真ん中が割れ、ドライアイスのような冷たいもやが、ぼくの足元まで這ってきた。
ぼくは千切れかけた腕を持ち上げ、そっと中へ踏み込んだ。
薄暗い部屋はとてもひんやりしていて、まるで冷蔵庫の中のようだった。足元のもやで、靴も見えない。
ぼくが顔を上げると、目の前には、円筒の水槽が何台も並んでいた。
それぞれにいかつい機械がセットされ、たくさんの接続コードがぶら下がり、異常やら正常やらを示すランプが、点滅したり消えたりしている。
その中央にあるひときわ大きな水槽を見て、ぼくは、悲鳴をあげそうになった。
「……ヴォルト!?」
冷たい溶液の中に入っていたのは、両腕、両足、そして胸から下がない、ヴォルトだった。
茶色の髪は溶液の中をふわふわと漂い、目は閉じられている。眠っているようにも見えるが、正直――ロボットだってわかっているのに――死んでいるようにも見えた。
ぼくは壊れた手を押さえるのも忘れて、ヴォルトに駆け寄った。
壊れた腕が、床の突起にでも引っかかって、ぼくの肩から抜け落ちる。
落ちたことには気づいていたけれど、振り返って拾っているほど、ぼくには余裕がなかった。
どうしてこんなことに……――!
「ヴォルト……ヴォルト!」
ぼくは水槽を叩き、引きつった声で話しかけた。
すると、ヴォルトがうっすらと目を開いた。重たそうに首を動かして、ぼくを見下ろす。
胸から上だけのヴォルトが、ぼくを見て、眠そうな顔をにやりとさせた。
「……あぁ。なんだ、お前か」
ヴォルトはマルシェさんのような口調でそう言い、くくっと笑った。
変わらない笑顔に、ぼくはようやく、ほっとした。
もう目を開けないんじゃないかなんて思った。
ぼくらは、ロボットなのに。本当に死んだんじゃ、ないかって……。
ぼくは引きつった肩を落ち着かせ、改めてヴォルトに笑顔を返した。水槽の中に入っていても、ぼくらは普通に会話が出来る。ぼくらの声は、喉から出るだけじゃないんだ。
「ヴォルト……ねぇ、どうして、こんな……」
ぼくは円筒の水槽に手をつき、ヴォルトにならって、“喉から出る声じゃない声”で言った。
腕がついていたはずの場所には、今はふたがしてあり、その中心へ、細いコードを束ねた筒が接続されている。コードの先は、天井から吊り下げられるばかでかい機械につながっていた。
ヴォルトは茶色の目を虚ろに伏せて、ぼくを見下ろしたまま、何も言わない。
それでも、なんとなくわかる。きっと、“罰”のせいだ。
確かに、ヴォルトはお父様にとって都合の悪いことをしたんだろう。だけど、それのほうが正解なんだ。間違っているのは、お父様なのに……。
「酷いよ……大丈夫?」
ぼくは、不安げに眉を寄せ、囁くように問いかけた。
「あぁ……まぁ」
ヴォルトは唸るように返事をして、ひとつ離れた水槽の中にある自分の腕を見やった。
肘を機械に固定されている手が、ヴォルトの指令に応じて指先を動かした。まるで地面から手が生えているようで、すごく不気味。
ヴォルトの手が、人差し指と親指をくっつけて、OKのサインを出す。ぼくはヴォルトを見上げた。
「ちぎれても動ける」
人間じゃなくて良かった、と笑い飛ばそうとするその表情が、なんだか悲しそうに歪んで見えた。
「ヴォルト……やっぱり、人を殺すのは間違いだったんだ。お父様は間違っていた。ぼく、わかったよ」
ぼくの言葉に、ヴォルトはかなり驚いた様子を見せた。
虚ろだった目を見開き、何度か大げさに瞬きをすると、怪訝そうに眉を寄せる。
「お前、オヤジにそう言えって言われたのか?」
信じてくれないなんて。ぼくはショックに顔を顰め、首を横に振る。
「違うよ。ぼく、地下三階へ行ったよ。言われた通りね。そこで……」
「マルシェ=マコルフィーに会ったんだろう」
ヴォルトが言った。
「うん」
ぼくは、しっかりと頷く。
そうしたら、ヴォルトがようやく自然に笑った。
「そうか。お前、やっとわかったんだな」
「うん」
やっと、という言葉に、ぼくは頷きながら、苦笑いした。
しかし、すぐにぼくの中に罪悪感が湧き出し、四方八方から体を包み込む。
冷たく、重苦しいものに圧迫されて、ぼくはうつむいた。
「ぼくたち、本当に悪い事していたんだね……それにずっと気づかないで、ぼくらだけ、幸せな顔をしていたなんてさ」
ぼくは前髪で顔を隠しながら、苦笑いをする。そして、さらに顔を伏せた。
頭が、コツンとヴォルトの水槽を叩く。
「ぼく、初めて苦しくなったよ。初めて、ぼく、生きてるんだって、言われたよ」
「……あぁ」
ヴォルトの水槽から、ゴボゴボと泡のあがる音がする。
「ぼく、初めて頭を撫でられたよ。それに、初めて叩かれた」
「あぁ……」
「ぼく……」
「……ぼく、人間になりたいよ……」
ぼくが言った精一杯のその言葉は、いかつい機械の動く音で、易々とかき消された。
しかし、ヴォルトはそれを聞き取っていたようだ。
ヴォルトは自分の声の代わりに泡を吐き、口から出ない声でぼくに答える。
「仕方ないんだ。俺たちは、人間にはなれない。ヒトが姿を変えられないように、花も、木も、動物も、俺たちも」
ぼくは眉を寄せ、ゆっくりと顔を上げた。
ヴォルトはふう、とため息ではなく、水槽の中の液体を吐く。
「俺たちは、ロボットなんだ。それは、どんなことが起こっても、変わることは、ない」
ヴォルトが、ぼくに向かってきっぱりと言った。
ぼくは黙って頷いた。
ヴォルトは、大人だ。背丈ばかり大人のぼくなんかより、ずっとずっと大人だ。
人間になりたいなんて、人間の幼い子供がよく言う、「大人になったら、ぜったいヒーローになるんだ」なんていう、無謀な願いと一緒だ。
ぼくは、苦笑いする。
「そうだよね……」
弱々しく吐いた言葉は、まるで情けなかった。
ぼくは、なんでこんな性格に造られたんだろう。
ヴォルトみたいに、強く賢い性格にしてくれればよかったのに。
ティーマみたいに、天真爛漫な性格にしてくれればよかったのに。
テイルみたいに、従順な性格にしてくれればよかったのに。
マーシアみたいに、前向きな性格にしてくれればよかったのに。
マルシェさんみたいに――してくれればよかったのに。
未練がましく、過去を引きずり、弱っちくて、女々しい。
こういうところが、ぼくのいやなところだ。
心底自分が嫌になり、また苦笑いしたその時のぼくは、
自分のことで精一杯で、ヴォルトが何かを言っていることに、気づかなかった。
ヴォルトが何を注意しているのか、背後で大きな扉の軋む音がするまで――
ギィ……
「ゼルダ。何をしている」
お父様だ。
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