014 マルシェさんは、不思議な人だ。盲目のはずなのに、どこに何があるのか、見えているように行動するし、時々ぼくの考えていることを、ずばり言い当てる。
まるで、頭の中を読まれているようだ。
そうだとしたら、ぼくがマルシェさんの友人を“退治して”しまったのかもしれないと思っていることが、ばれているのかもしれない……。
そう思うと、とても怖くなった。
「マルシェさんは、ミュータントなのですか?」
ぼくは、三杯目のミルクを注ぎながら、何気なく聞こえるように質問した。
「あぁ、そうさ。ここに入れられたときは、体力がほとんどなくてな。力は使えなかった」
マルシェさんはミルクを一気に飲み干して、またぼくにコップを差し出す。
「今じゃ、使えるぜ」
マルシェさんはそう言うと、人差し指を誘導するように軽く動かした。
すると、ぼくの手からミルクのビンが離れ、ふわふわと宙を浮く。
「本当だ」
ぼくは笑って、そのビンを掴んだ。
「でも、だめですよ」
「ちぇっ、いいじゃねえか。皆の分はあるんだろ」
そう言うマルシェさんに、ぼくは首を横に振った。
「だめです。これは……お供えする分だから」
「あぁ、そうか……」
マルシェさんは、鎖につながった腕を柵にかけ、中腰に立ち上がった。
「そこと、そこだろう」
そして重たそうに鎖をひきずりながら、右斜めと、その隣の牢屋を指す。
またぴったり、当たった。ぼくは驚いた。
「なぜ知っているんですか?」
ぼくは言う。すると、マルシェさんはにやりと笑い、今度は自分の瞳を指差した。
まるで「見た」と、いうように。
マルシェさんは、目が見えない。それは本当だ。よく何かを手で触って、それが何かを確かめているのを何度も見たことがある。
だから、牢どころか、目を合わせているぼくさえ見えないはずなのに……。
黙り込んで不思議そうな顔をするぼくに、マルシェさんはクックッといつものように低く笑った。
「魂をな、見たんだ」
不思議な回答に、ぼくはさらに首を傾げる。
すると、マルシェさんはぼくに向かってにやりとし、身振り手振りで説明しだした。
「俺にはな、魂が見えるんだ。体から抜け出た、直後の姿だけどな」
骨張った細い指を、打ち上げ花火のように動かし、
「憎しみのこもった魂は、燃えるように赤い。安らかに眠った魂は、だいたい青い。そして、この世に未練があるものは、どろどろした紫だ」
そう言いながら、指をさらに上へと動かす。
そして、「バン」と呟き、手を開いた。
「未練のあるものは、はじける。そして、この世界に散りばめられるんだ」
マルシェさんは目を細め、思わず寒気がする、妙な笑みを浮かべる。
「永遠に、この世を彷徨うのさ。切り離せない未練を、胸にな」
その言葉に、ぼくは、ぞくっとした。
ぼくを一点に見つめる、マルシェさんの見えない瞳が、こわい。
まるで、追い詰められているような、
ぼくの罪を、攻められているような……
「許さない」
ぼくの言った言葉が、再びぼくに突き刺さった。
ぼくは、どれだけの憎しみのこもった魂と、未練のある魂を、生み出してきたのだろう。
そしてこの人は、どれだけの魂を見てきたのだろう。
そんな考えが、ぼくの中を走る。
ぼくがうつむいて恐怖と必死に戦っていると、マルシェさんの小さな笑い声が聞こえてきた。
ぼくは、引きつったままの顔を上げる。
「そんなに怖がることはない」
マルシェさんが「怖がらせる気はなかった」と苦笑いする。
「奴らはな、青かった」
安らかに、眠った……。
その一言で、ぼくはほっとした。
それでいて、驚いていた。
こんなところに入れられて、もしかしたら、ランスさんのようにほんの少しの罪だったかもしれないのに、こんなところで、消えていくなんて、公司やぼくらがさぞ憎いだろうと思っていた。
それなのに……人間は、すごいな。
「奴らはな、自分の罪を、心から悔いていた。牢に入れられて、当然のことをしたと思っていたんだ」
突然マルシェさんが言うから、ぼくはまた驚いた。
まさか、またぼくの考えを読まれたんじゃ、なんて。
「奴らは、俺と同じ罪を犯した」
マルシェさんが、虚ろに目を伏せる。
同じ……? 同じ、罪は……――
「そ……んな、まさか……」
「あぁ、そうだ。殺人さ」
ジョークを言うように軽く言われたその言葉に、ぼくはゾッとした。背筋が震える。
「奴らは、自分が犯してしまった罪を、時が経つにつれて、とても悔やんでいた。自分が地獄に落ちる以外、償う道はないと――だが、俺は……」
マルシェさんの表情が、歪む。
修羅のようなその顔に、ぼくは釘付けになった。
「俺は、当然のことをしたまでだ」
マルシェさんの黒い瞳が、まるで火がついたように、燃え上がる。
憎しみのこもった視線が、ぼくを貫いた。
「奴らは間違っている。なぜ俺がここに入れられて、奴はなぜここに入らない!?」
マルシェさんが大声で叫び、鎖を鉄格子に向かって投げつけた。
金属がぶつかる大きな音に、ぼくは飛び上がる。
「間違っている」
マルシェさんは宙を睨み、もう一度繰り返した。
ぼくの心に、再び言葉の刃が突き刺さる。
「許さない」
その言葉が。
マルシェさんが最後に一言、相当の憎しみを込めて唸った。
「半身半獣の……化け物め……!」
体に、ビリッと電流が流れたようだった。
半身、半獣の……化け物……――
それは、ぼくがよく知っているものだった。
マルシェさんの友人をやったのは、ぼくじゃなかった。
ぼくじゃなかった。
向こうの牢の中で、ランスさんがくしゃみをした。
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