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 疲れているから、起こさないでやってくれ。そう言って笑ったランスさんの顔が浮かんだ。
 アンダーグラウンドを守るために、力を貸して、疲れきっていたんじゃなかったのか?
 どうして……どうして、
 マルシェさんが、どうしてここに居るんだ――?

「その名で、私を呼ぶな」
 低い声と、太いしわがれた声。二重に重なった声が、嫌悪に顰められた顔から零された。
 見間違いじゃない。確かに、ぼくの目の前にはマルシェさんが居る。
 だって、あの目も、あの顔も、あの姿も――全部、全部、ぼくの知っているマルシェさんそのものなのだから。
「ど、どうして……マルシェさんが……!」
「私は奴ではない!」
 動揺を隠せないぼくの声に、マルシェさんは突然怒鳴り声をあげた。
 その声に、ぼくの後ろでティーマが飛び上がる。そしてぼくへ駆け寄り、ぼくの手をぎゅっと握った。
「おとう、さまは?」
 ティーマが不安げに呟き、ぼくとマルシェさんを交互に見つめる。
「私がそうだよ、ティーマ。こちらへおいで」
 マルシェさんが微笑み、そっと手を差し出した。
 それは、ぼくが暗闇で見た手のひらと同じで――喉の奥が、また震え始める。
 二重の声に、ティーマが戸惑って落ちたコンピューターとマルシェさんを見回した。
「ティーマ、おいで。頭を撫でてあげよう。いい子だ」
 マルシェさんのその発言に、ティーマがようやく嬉しそうな表情を見せた。
 そしていとも簡単にぼくの手を離し、マルシェさんのほうへ駆け寄っていく。
 ティーマの頭が、すっぽりとその手に包み込まれた。
 なんて、奇妙な光景だろう。あのマルシェさんが、ティーマを撫でているなんて。
 だけど、その光景には確かに違和感があった。あの人はマルシェさんだけど、マルシェさんじゃ――ない。
「あなたは……誰?」
 ぼくは顔を顰め、目の前の人物に問いかけた。
 すると、満足げなティーマを撫でていた手が止まり、そして顔が上げられる。
 盲目の、黒い瞳が……真っ直ぐに、ぼくの前で止まる。
「この地下世界を治める者。公司長だ」
 わかりきっている答えが、マルシェさんの声で返ってきた。
 胸のあたりが、ざわざわと震える。
「ギルバート=アリックス……」
 ぼくは、その名を呟く。何のためらいもなく、「そうだ」と頷かれた。
「それじゃあ、マルシェさんは一体何者なんですか? どうして、同じ姿をしているのですか……?」
 ぼくは、核心を問いかけた。体の奥で唸る音がする。
 答えを聞くのが怖い。ぼくの何かが、必死に願った。否定してくれ――否定して――
「奴は私だからだ。奴は今、ここに居る」
 胸に手を当て、お父様はきっぱりとそう答えた。
 マルシェさんが、お父様? でも、お父様はマルシェさんじゃない……マルシェさんは、そこに居る?
「私は私だ。ギルバート=アリックスという名を持ち、そしてこの世界の頂点に居る。だが、奴は私であって、私ではない。勝手に生まれ出て、勝手に私の体を使い、そして違う人生を歩みだそうとした」
 顔を顰めるぼくに、お父様は淡々と説明を返した。
 ぼくの脳みそが唸る。自分であって、自分ではない、自分……。
 まさか――二重人格。
「そんな……まさか」
 押さえきれないぼくの思いが、薄く開いた口をついて出た。
 そして疑問が、次々と溢れ出てくる。
「それじゃあ、どうしてあなたはあの地下三階の牢獄に居たんです? なぜ、アンダーグラウンドに居たんですか?」
 ぼくはためらうことなく、質問をぶつけた。手が震える。湧き出る疑問が、抑えきれない。
 お父様はティーマを放すと、ふっと笑みを零した。
 口元を片方だけ上げるその笑い方は、あまりにもぼくの知っているマルシェさんにそっくりで、ぼくは思わず口をつぐんだ。
「奴を殺してやろうと思ったのだ。私は簡単に死ぬ体ではない。だが、奴はそれを知らない。衰弱しきっていけば、奴は自分は死んだのだと思い込み、私の中から消え去ると思っていた」
 お父様が答えた。ティーマが不満げにお父様を見上げ、腰にしがみつく。
 お父様はそんなティーマの頭を撫で、そしてまた口を開いた。
「しかし――奴は、意外な所で役に立った。奴は私の休んでいる間に、いつの間にかあの男へ近寄り、そして仲間となっていた。私が長年探し続けた、あの男のテリトリーへ、いとも簡単に入り込んでいたのだ――。目覚めた私は、思い立った。奴を使い、この男へ復讐ができると。そう……思い知らせてやりたかったのだ。私たちをこの闇の世界へ置き去りにし、去った……あの男と、その仲間へ」
 お父様の顔が、憎しみに歪む。
 あの男って――キヨハルさんだ。
 自分の顔が、これ以上ないぐらい引きつっているのがわかる。嘘だ。信じたくない。
 そんなぼくに、お父様はまた不敵な笑みを浮かべる。
「裏切ってやろうと思ったのだ……。奴を精一杯信用し、そして仲間と認めた奴らを、この姿で殺してやろうと。だが……あの男はいとも簡単に死んでしまった。私が手をかけるほどのことではなかった。残念ながら、その最後を見届けたのは、私ではなく、奴だったがな。奴はそれを前に、衝撃のあまり一時的な盲目となったが、それは完全ではなかった。馬鹿な奴よ、それを永遠と信じ、自分の意識へ自分は盲目だと思い込ませたのだから」
 お父様が、また口元を片方だけ上げて笑う。
 それじゃあ……マルシェさんは、何も知らなかったんだ。
 大切な友人を殺した犯人を、あんなに恨んで、恨んで……復讐しようと、立ち向かっていたのに――
 でもその犯人は……自分自身だったというのか……?

 ぼくの脳みそが、勝手に事を組み合わせていく。

 マルシェさんが、なぜ人一倍強い超能力を持っていたのか。それは、公司長であり、ギルバート――この人が、人間兵器として造られた、アーティフィシャル・チルドレンだったから。
 マルシェさんの過去を誰もが知らないことも、まるで見えているかのようなものの言い方も、いつもの黒いスーツも、すべて……。

 次々とパズルのピースがはまっていく。

 ではなぜお父様は、マルシェ=マコルフィーという人格を生み出したんだ?
 不思議と、ぼくはいとも簡単にその答えを考えついていた。
 いや、ぼくだからこそ、この考えに行き着いたのかもしれない。
 お父様は、きっと、完全に――……キヨハルさんを、憎みきれていなかったんだ。
 ふと、ぼくの中にあの古い記憶の映像が浮かび上がる。
 小さな手を、必死にあの人に伸ばした、暗い暗い、あの日の映像――
 きっとお父様――ギルバートは、キヨハルさんを憎みきれず、マルシェという別人格を生み出してしまったんだ。
 そう、まるで……お父様のやり方に自分のどこかで疑問を持ち、ぼくを生み出した、ゼルダと、ぼくのように。
 キヨハルさんを憎んだギルバートと、仲間と慕ったマルシェさん。
 そして、お父様を憎んだぼくと――親と敬愛する、ゼルダのように。


 思わず、体が震えた。


 すべてが――つながった。

 つながってしまった。


「私には見えるぞ、アラン。お前の姿が」
 お父様がマルシェさんのサングラスを外し、足元へ投げた。
 そしてそれを踏み潰し、ぼくのほうへ歩み寄ってくる。
「さあ、こちらへおいで。お前の兄弟は、まだ残っているじゃないか」
 猫撫で声が響き、うやうやしく手が差し出される。
 ぼくは思わず後ずさりした。肌がピリピリと緊張している。
 お父様は、マルシェさんだった。マルシェさんは、お父様だった。
 目くるめくように過ぎたこの数ヶ月間が、ぼくの中に一気に呼び起こされる。
 あの地下三階で出会い、話し合い、助け合い、そして、ぼくの頭を撫でてくれた――
 どこか照れたような、あの苦笑いが思い浮かぶ。
 キヨハルさんの前で見せたあの寂しげな表情も、仲間たちに囲まれた時の困り笑いも、
 暗闇でぼくを罰したあの高笑いも、そして今、残酷にもぼくを誘う、この人の笑みも。

 すべて、同じだったというのか。

「うそだ……」
 ぼくの口から、思わずその言葉が漏れた。
 背後からざわざわと音がするような気がする。一気にいろいろなことが結びついてしまい、頭が締めつけられているような感覚がした。
「嘘などではない。お前は今、現実を見ているではないか。さあ、こちらへ戻っておいで。あんなにも奴を慕っていたではないか。そんなに欲しければ、奴のように、もう一度この手で撫でてやろう」
 お父様が手招きをする。マルシェさんの姿、マルシェさんの声で。
「ティーマも!」
 その時、ティーマが後ろからお父様に飛びつき、ぼくに差し出していたお父様の手を引っ張った。
 そして自分から頭にのせ、ぐいぐいと撫でてもらう。
「やれやれ、困った子だ」
 お父様が笑った。ぼくに背を向けて、ティーマを軽々と抱き上げる。
 ティーマの行動のおかげで、ぼくの中のざわめきがほんの少し静まった。
 でも、ぼくは、どうしたらいいんだ……――? 世界を変えてくれると思っていた人が、今の世界を破壊している人と同一人物だったなんて。
 でも、違う――違うんだ! マルシェさんは、お父様じゃない!
「マルシェさん!」
 ぼくは思わず、その名を呼んだ。
 お父様が振り返る。少しまぶたを伏せたその目は、マルシェさんにそっくりだった。
 思わず、背筋がゾクリとする。
 ……マルシェさん……――?
「……私は奴ではない。奴は、もうすでに消えた」
 口元がニタリと持ち上がり、“お父様”が答える。
 言い表せぬ絶望感が、ぼくの体をずっしりと重くした。

 ぼくのヒーローは――居なくなってしまった。



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