116 怒りのあまり、瞬きさえ忘れていた。
睨みつけた公司館の一室から目を離せない。暗いカーテンに隠されたあの窓の向こうで、あの人が高笑いしているのが聞こえてきそうだ。
ぼくはこぶしを握った。ぎゅっと握りすぎて、爪が深く食い込む。
爆発音に起こされ、ざわめく地下住民の声が背後から聞こえてくる。
ざわめきの止まない中、ぼくはゆっくりと右足を上げ、そして踏み出した。
踏み出せば早い。公司館の正面扉に手をつき、ぼくはまたその扉を押し開ける。
「アラン!!」
その時、ぼくの背後から、大声がぼくを呼び止めた。
その声に、ぼくはどきっとした。セイだ。
「セイ……」
振り返るか、振り返らないか――ぼくは迷った。
きっと、このままみんなを巻き込まずにぼくは行くべきだ。一人で戦って、死ぬのなら一人で死ぬ。
しかし、答えが出るその前に、セイがぼくの腕を引っ張って振り向かせた。
追ってきたのは、セイだけではなかった。メリサ、アンドリュー、フランさんに、ランスさん――もちろん、顔なじみの他のアンダーグラウンドの住民たちも、大勢だ。
「何があったんだよ! またアンダーグラウンドが揺れたんだぜ。地震みたいに……それで、来てみれば、何だよ……あれ」
セイが目を見開いたまま、どこか怯えた表情で広がる煙を見つめた。
いっこうに消える気配のない煙。今ではまるで雨雲のように、曇り空と一体化を始めている。
ぼくは何も答えられないまま、ただ顔をうつむかせた。
すると、ざわつく人々の中から、メリサがセイそっくりの不安げな表情で進み出てきた。
その隣には、ティーマと、付き添ってきたヒロノブさんが居る。ティーマも口をへの字にした、同じような表情だった。
「この子がおかしなこと言うの……ヴォ、ヴォルト君が……壊れちゃったって」
メリサが唇を押さえながら、ぼくに囁くようにそう言った。
その言葉に、ぼくの頭がズキンと痛む。
「……ヴォルトは死んだよ」
ぼくは少しだけ唇を動かし、呟くように答えた。
その言葉に、メリサがはっとして煙の上がるほうを向く。セイはもっと目を見開き、ぼくの腕を強く握った。
ぼくは少し身を屈ませ、ティーマと目線を合わせる。
「テイルは壊れてしまったよ、ティーマ」
苦笑いさえできないぼくの口から、擦れた小さな声が漏れた。
ティーマは不安げに眉を八の字にして、首を傾げる。
「どう、して?」
「お父様がテイルに危険な仕事をさせたんだ。ドグラスが来て、ぼくを壊そうとした――テイルとヴォルトは、ぼくを守って……死んじゃったんだよ」
ぼくが答えると、ティーマはぐっと眉を寄せ、首を横に振った。
いやだ。泣きそうになりながら、そう否定するティーマを、ぼくは思わず抱きしめる。
ティーマが力なく肩を落としたまま、ぼくの肩に顔を埋めた。
「どこに、いったの? ティーマ、さび、しい」
「そうだね……ぼくも、寂しいよ……」
そう言葉にした途端、急に、また悲しみがぼくを襲ってきた。
嘘だと思っていたかった。ヴォルトもテイルも、きっとまたひょっこりぼくの目の前に現れて、笑顔で手を振ってくれるんじゃないかって。
そう思っていたかった。でも、ティーマが二人の死を認識したことで、その希望は砕かれた。
もう、二人は居ない。ぼくの認識ミスなんかじゃない。本当に、二人はこの世界から居なくなってしまった――。
「泣くな!!」
突然、セイが叫んだ。
耳元に響いた怒鳴り声に、ぼくは顔を上げる。すると、セイがぎゅっと握ったこぶしをぼくの額に押し当てた。
「まだ泣いちゃいけない。まだ終わってないんだ!! オレだって、あいつのこと、結構気に入ってたんだぞ……!」
眉を吊り上げてそう言いながら、セイは青い瞳からぼろぼろと涙を零した。
それに負けないぐらい、顔を覆った手の向こうで、きっとメリサも泣いている。
そう言いながらも、自分では止められない涙に、セイはぎゅっと唇を噛んだ。
そして、腕で強く顔を拭う。
「泣くなよ」
搾り出すようにそう言ったセイと同時に、アンドリューの手がぼくの肩を叩いた。
アンドリューも同じく、心配そうな顔をしている。そうか、ぼくには――こんなに心配してくれる仲間が、まだこんなに居たんだ。
「……大丈夫、ぼくは泣かないよ」
ぼくはセイの水色頭を撫で、微笑んでそう言った。
ぼくの中に、何かがこみ上げてくる。悲しみではなく、進まなきゃ。そう思わせる、ありがたい何かが。
「そう、まだ終わってないんだ」
ぼくは体を起こし、再び正面扉と向き合った。
ガラス張りの向こう側のロビーには、まだ公司たちは居ない。行くなら、今だ。
「待って。行くなら、私たちも行くわ」
扉に手をかけたぼくを、フランさんが呼び止めた。
フランさんのために、人々が道をあける。フランさんはまっすぐにぼくに向かってくると、まるでヴォルトのようにいたずらっぽく微笑んだ。
「計画が少しずれちゃっただけよ。殴り込みの内容は同じ。そうでしょ? リーダー」
「殴り込みね……まあ、いいんじゃない」
ぼくの隣で、アンドリューが苦笑いをする。
そしてぼくのほうへ向き直り、再びぼくの肩を叩いた。
「君が行くなら、僕らも行く。止めたって無駄さ。頑固な仲間たちだからね」
アンドリューのその言葉に、何人もが「そうだ」と頷いた。
きっと――今ぼくが頷けば、みんなは迷うことなくついてきてくれる。
だけど、本当にそうするべきだろうか……?
「で……でも……」
その時、顔をうつむかせ、迷うぼくに、アンドリューがそっと囁きかけた。
「仲間を一人で行かせたりしたら、キヨハルさんに怒られる」
その言葉に、ぼくは顔を上げる。苦笑いして肩をすくめるアンドリューに、ぼくも思わず、引きつった顔がほころんだ。
「……うん」
「OK、じゃあ、もう文句はなしだ。さあ、世界を変えに、殴り込みと行こう。間違っても、当たって砕けたりするなよ。キヨハルさんに怒られる」
「わかってるわよ。行くなら、早く行きなさい!」
大勢のくすくす笑いと、フランさんに押されながら、ぼくは公司館の扉を押した。
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