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 いったい、何が起こったんだ……?
 信じられない。突然の出来事に、ぼくの造られた脳みそは機能しなくなっていた。
 見開いた目を、閉じられない。体が、震える。
 貫かれた体。堪えるように、見慣れた黒い服が震える。
 ど……どうして――なんで? ヴォルトが……ここに……?
 ドグラスの舌打ちが聞こえ、ヴォルトの体から、ゆっくりと腕が引き抜かれた。
 ヴォルトの、茶色の髪が、揺れる。
 ――倒れる!
「ヴォルト!」
 ぼくはとっさに手を伸ばし、崩れ落ちるヴォルトを受け止めた。
 ヴォルトの腹部には、片手では隠しきれないほど、大きな穴が開いてしまっていた。
 ドグラスの腕などより数倍大きなその穴は、ドグラスの力そのものを現しているように見える。
 そこから不気味な色の液体が漏れ出し、地下世界の地面に染みていく。
「は……、信じらんねぇ……こういうのは……予測してなかったな」
 ヴォルトが苦笑いし、擦れた声を出した。
 明るい茶色の瞳が、虚ろになっていく――い、いやだ! 閉じたらいやだ!
「ヴォルト! どうして、どうしてこんな……!」
 体の奥が揺さぶられる。急げ急げって、何かに急かされているかのように。
 まだ、ぼくの声が聞こえたのだろうか? ヴォルトがゆっくりと、ぼくを見上げた。
 指さえ伸ばせなくなってしまったのだろうか。丸まったままのヴォルトの手が、ぼくの頬に当たる。
「今、お前のこと壊したら……あいつら、アンダーグラウンドのやつら……絶望するぜ」
 とても小さな声で、ヴォルトが笑う。
 いつもぼくをからかって笑ったヴォルトの表情が、苦しみを交えて消えていく。
 そんなふうに笑わないでよ……いやだ……いやだよ……!
 熱いものがこみ上げてきた。のどの奥で何かが引っかかる。
 苦しい――うそだ――誰か――誰か助けて……!
「い、今……だ、誰かを呼んでくる……!」
「無駄だ」
 立ち上がろうとしたぼくに、ヴォルトがきっぱりと言った。
 ヴォルトから流れる液体が、さらにじわじわと広がっていく。
「無駄なんかじゃない! ヴォルトは、ヴォルトは……!」
「いい、無駄だ。それより……お前に話したいことがある」
 ヴォルトの言葉に、ぼくはぴたりと動きを止められた。
 半分貫かれてしまったヴォルトの胸が、苦しそうに上下する。
 必死に閉じまいとするまぶたが、ゆっくりとヴォルトの目を覆っていく。
「セイの……家族を、殺したの……俺だ」
 擦れた、小さな声で――それでもヴォルトのその言葉は、しっかりとぼくに届いていた。
 ヴォルトを支えたぼくの手が震える。そんな……
「お前じゃないんだ……俺が……やったんだ……まいるよな、あの兄弟……本当にそっくりだったんだぜ」
 苦笑いし、ヴォルトが咳をする。それと共に、地面に広がる液体と同じものが吹き出された。
 ヴォルトの顔が、苦しそうに歪む。
「も、もう話さないでよ……! わかったよ……! もう……もういいよ……!!」
 ぼくはヴォルトを守るように身を屈めた。苦しくて、痛くてたまらない。
 ぼくのほうが死んでしまいそうだ。これ以上見ていられない……! いやだ……ヴォルト……!
「俺は……あ、あいつらを、守ってやれない……だからお前……お前に……」
 ヴォルトの顔が、初めて泣き出しそうなほどに、歪む。
 ぎゅっとぼくの服を握ったヴォルトの力は、悲しいほど弱々しく、ぼくの喉を最後まで締めつけた。
 唇の端をほんの少し持ち上げるだけのヴォルトの笑顔が、ぼくを見上げる。

「ごめんな……最後まで……面……倒……かけて……――」



『ピ――……』



 いやだ……――!
「ヴォルト!!」
 高い音と共に、ヴォルトのまぶたが閉じられた。
 しかし一瞬後、もう一度まぶたが上げられた瞬間、ヴォルトの瞳が、真っ赤に染まった。
 大きく見開かれたその瞳に、もう意思はない。
 体に大きな衝撃を受け、ヴォルトがゆっくりと起き上がる。
 しかしそれはもう、ぼくの相棒の“ヴォルト”ではなかった。
 ただひたすらに、たった一人の人間ために殺戮を繰り返す、殺人ロボット、GXだ――
『自己防衛を、開始いたします』
 奇妙に二重に重なった声が、ヴォルトの口から漏れた。
 感情のない、冷たい声。ぼくは思わずゾッとし、体を引いた。
 ヴォルトが体を揺らしながら、不安定な足で立ち上がる。
 そして動けないぼくのほうへ、振り返った。
 頬に液体が伝う。回線を断ち切られ、上手く固定できない首で、赤い瞳がぼくのほうをしっかりと捉えた。
 その目は虚ろに伏せられ、嫌でもシオンの最後を思わせる。
 ヴォルトが手を振り上げた。そして何のためらいもなく、その腕はぼくへ向かってきた。

 ――ヴォルト!

 ぼくはぎゅっと目をつむり、とっさに体をそらした。
 ドン! と音を轟かせ、ヴォルトのこぶしが壁を抉る。
 ぼくはすぐに立ち上がり、ヴォルトから逃げるように距離を取った。
 呼んだって、ヴォルトは帰ってきてくれない。苦しい。
 ヴォルトは壊れてしまった。ヴォルトは、死んでしまったんだ――

「嫌だっ……いやだ……! ヴォルト……お願いだ……!」

 それでも、名前を呼ばずにはいられなかった。
 辛い。痛い。苦しい。
 言い表せないほどの悲しみが、ぼくの首を締めつける。
 ヴォルトが体を起こし、公司館の壁にめり込んだこぶしを上げた。
 ヴォルトの赤い瞳が、再び標的のぼくを捉える。
 そのとたん、ヴォルトの右手からゴッと炎が上がった。
 ヴォルトの右半身を、背丈ほどの炎が不気味に照らす。
 何度も見た、ヴォルトの炎――だけどあれはもう、ヴォルトじゃない。
 悔しいよ……どうしてこんなことになったんだ!
 ぼくが……ぼくがもし、お父様に会いに行くなんて言わなければ……!
 ぼくが思わず一歩引くと、ヴォルトが突然目を見開いた。
 ドグラスのような真っ赤に光る目が、ぼくの足をぴたりと止める。
 しまった――体が動かない。ぼくはこのまま……ヴォルトと一緒に死んでしまうのか?
「や、やめて……!」
 その時、腕を大きく振り上げたヴォルトに、テイルが背後から飛びついてきた。
 振り下ろした炎が、テイルのショールに燃え移る。
 テイルが小さく悲鳴をあげた。その声に、ぼくははっと我に返った。
「テイル、離れて! ヴォルトは……最後は、ぼくが……――!」
「いいえ! いいえ……あなたには、できませんわ」
 テイルがヴォルトを押さえたまま、ぼくに引きつった笑顔を向けた。
 ただ意識のないヴォルトを抱きしめ、燃えるショールを振り払うこともしない。
 ただテイルは、懐かしい笑顔をぼくに向けたまま。いつも綺麗にしていた髪に、炎が燃え移る。
「だってあなたは……優しすぎるんですもの」
「テ……イル」
 ぼくの目の前で、二人が燃えていく。
 徐々に、徐々に、それでも確実に、二人が炎に包まれていく。
 助けなきゃ。そう思うのに、まるで縛りつけられたように、ぼくの体は動かない。
 どうして動けないんだ……早く……早く助けなきゃいけないのに……!
 そんなぼくの目の前で、ヴォルトの赤い目が閉じられ――そして、テイルの笑顔が、泣き出しそうに歪んだ。
「あなたには……生きていてほしい」
 テイルが、ぼくに囁く。

「生きて。優しさを忘れないで。わたくしは……そんなあなたを、愛していましたわ」


 ――テイルの笑顔が薄れ、そして消えた。

 そして同時に、広い広い地下世界の隅から、大きな爆発音が響き渡った。



 ぼくのどこかで

 いつかの黄色い花の

 散った音が した。



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