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 ――ぼくは弱い。
 どうしてこういう肝心な時に限って、ぼくは無力なんだろう。
 その点、ヴォルトはすごい。
 いつだって自分の力の配分を考えている。あれだけ戦っておいて、まだあれだけの攻撃をできる力が残っていたんだ。
 ヴォルト……大丈夫かな。ぼくはこのまま、ここに居て……いいのかな。
 みんな……みんな大丈夫だろうか……――

 ――重たいまぶたを、上げた。
 どこか湿ったような空気が、頬の周りを取り巻くのを感じる。
 目の前は暗く、でも布のような感覚と、人の手の温もりを感じた。
「おや、目を覚ましてしまったか」
 聞き覚えのない声と共に、ぼくの目の前がゆっくりと明るくなっていく。
 手を退けられた視線の先には、また見覚えのない男性の姿があった。
 その瞳は、今まで見たことのない赤と青のオッド・アイ。少し顔色が悪そうだ。
 裂けた跡を隠すように縫われた口元が、ニコリと持ち上がる。
「おいおい、ロスト。妙なことするなよ」
 笑い声交じりに、ランスさんが言った。
 重たい機械音がする。とすると、ここはラボラトリーか……。
「中身が面白い子なんでね、ちょっと見てみようと思ったのだけれど」
 ロストと呼ばれた男性が、そう言って体を起こした。
 ぼくは軋む指先をゆっくりと動かし、次に肘、肩の順で体の動きを確認する。
 そして首が回ることを確認し、ぼくはゆっくりと起き上がった。
「あなたは……?」
 ぼくは重たい体をふらつかせつつ、黒マントに包まれた男性に問いかける。
 すると、男性は頭に乗せた黒いシルクハットを取り、胸に当てると、うやうやしくぼくに頭を下げた。
「私は帽子屋。以後、お見知りおきを」
 そんな丁寧な挨拶をされたことがなくて、ぼくは思わず引きつった。
 しかし、帽子屋さんはシルクハットを頭へ戻すと、小さく笑みを零した。
「そう硬くなることはないよ、私は単なるキヨハルの友人。皆ロストと呼ぶ。君もそう呼んでくれ」
 ロストさんはそう言って、また縫われた口元を上げた。
 どこか不気味な雰囲気のある人だけれど、悪い人ではなさそうだ。
「はぁ」と曖昧に返事をしつつ、ぼくも一応頭を下げる。
「いやぁ、目を覚ましてよかった! よくあの体で立っていられたね」
 パン、とファイルを閉じる音と共に、ランスさんが歩み寄ってきた。
 そしてぼくの腕や足を持ち上げたり、まぶたを思いっきり指で押し開けて、瞳を確認したりする。
 公司館で公司がぼくらの体を点検する時の仕草と、そっくりだ。
 服を捲り上げられ、背中の点検が終わった頃、ようやくランスさんが「異常はなし」と呟いた。
「大変だったよ、まったく。外も中身もボロボロ、交換の難しい部品はコゲついているとまできた」
 ランスさんは強引に服を引っ張って背中を隠し、ファイルに何かメモを取りながら言う。
 その言葉に、ぼくはあの焼けつくような痛みを思い出し、少し苦笑いした。
「まあ、ある程度の箇所は修理したけれど、食事はまだできなそうだ。大きめの部品しかなかったから、中で場所を取ってしまってね。その分消化器官を外してしまった」
「はい」
「それと無理な運動はせぬこと。セイには気をつけろ、君が起きたとわかったら、きっと引っ張り回されるから」
「は……はい」
「それともうひとつ、もう少し仲間を信用しなさい」
 どこかで聞いたその言葉に、ぼくはうつむきかけていた顔を上げた。
 ランスさんが困り笑いをし、ぼくの額に手を当てる。
「君は少し抱え込みすぎだ。何のために私たちが居るんだい。すべてを守ろうなんてしなくてもいい。私たちにも守りたいものがあるのだから。その力があるんだからね」
 ランスさんはそう言って、いつものようにニッコリと笑ってみせた。
 その言葉に、ぼくは眉を寄せる。喉が詰まりそうになった。
 そういえばマルシェさんも、そんなことを言っていた。
 ヴォルトもいつか、そんなことを言っていた気がする。
 そうだ――ぼくには、仲間が居るんだ。
 ぼくはムズムズとつり上がってくる口元を抑えられないまま、頷いた。
「あの、みんなは……」
「無事さ。彼のおかげでね」
 ランスさんが軽くウインクして、ロストさんを指した。
 ロストさんのオッド・アイが、切り傷のように細められる。
「いいや、私は少し力を貸しただけさ。ほとんど、アンドリュー君の手柄だろう」
「確かに、彼には驚いたね。前から少し変わった子だとは思っていたけれど、あれほどの能力を持っていたとは」
「あの、それで……どうなったんですか?」
 二人の会話を遮って、ぼくは訊いた。
 二人は顔を見合わせ、そしてランスさんが大げさに目を見開いた。
「消しちゃったんだよ。パッと、全員ね」
 パッ、と両手を開いてみせるランスさんに、今度はぼくが目を丸くした。
「ぜ……全員!?」
「そう、あれには驚いた。瞬きする間にはもう、あれほどの公司が全員居なくなっていたんだから」
 魔法のようだったよ、と話すランスさんに、ぼくはただ唖然としていた。
 だってあそこには、見渡す限りに公司が居たじゃないか。マーシアという女神の刺激を受けて、目をギラギラさせて、常時戦闘体勢で。
 ぼくらだってあんなに手こずったのに、それなのに、全員なんて、どうやって……――。
「強制テレポートさせたのさ。逆に公司の能力を利用して」
 まるでぼくの考えを読んだかのように、ロストさんが答えを出した。
 ぼくははっとし、口から漏れていたのかと、口を手で押える。
 すると、ロストさんは目を細め、クスッと小さく笑った。
「彼は賢いね。若い頃のキヨハルにそっくりだ」
「キヨハルさんに……?」
 ぼくが眉を顰めると、ロストさんは「そう」と頷いた。
 そしてまるで遠くを見るように、少し目線を上げる。
「彼の力は底知れなかった。いつもの笑顔の裏に隠された、莫大な能力。この私でさえ、量りきれないほどに」

「そう、たとえるならば、神」

 微笑を浮かべ、高くを見つめるその様は、なんだか妙にゾッとした。
 言葉一つ一つに深い意味があるように思え、その人そのものが人知を超えた何者かのような気さえする。
 ぼくは不思議なロストさんから目を離せないまま、いつの間にか息を詰めていた。
 すると、ロストさんがぼくに目線を戻し、少しだけやわらかく笑う。
「さて、私はそろそろ仕事をせねば。その神のもとへ行くとしよう」
 ロストさんはそう言い、シルクハットに軽く手をかけた。
 そしてにっこりと微笑むと、いつの間にか、その姿は目の前から消えていた。
 すばやくテレポートをしたのかと思って、目を丸くしてランスさんのほうを向いたら、ランスさんが軽く肩をすくめた。
「彼が来てから、何だか不思議なことばかりが起こってね。あれからもう一週間経ったが、私もまだ彼については謎ばかりだよ」
「はあ……確かに……い、一週間!?」
 気の抜けた雰囲気から抜けられないぼくを、突如殴られたような衝撃が襲った。
 ランスさんはけろりとして頷き、またファイルを開く。
「一週間だよ、ちょうど」
「そんな……! それまでに、公司は来なかったんですか!?」
 ぼくは思わずガタガタと喧しい音をたてて、作業台から降りようとした。
 ランスさんがすぐにじっとしていなさいとぼくを押し戻し、また頷く。
「大丈夫。来たかもしれないが、見つかっていない」
「で、でも、そんなことって……」
「大ありだよ。言ったろう、彼が来てから不思議なことばかりが起こると」
 ランスさんはそう言って、ロストさんが消えたあたりを親指で指した。
 ぼくは何もなくなったその場をじっと見つめ、彼のまとった不気味な雰囲気を思い出す。
「今はね、フランがこのアンダーグラウンドを守っているそうだ。三日前まではマルシェ、次は君かヴォルト君が候補に上がったが、たぶんアンドリューが引き受けるだろう」
「引き受けるって、何をですか?」
「アンダーグラウンドを隠すための力の提供さ。ロストが何らかの方法で公司の目からこの街を隠しているらしいのだが、どうやら彼は能力は使えるが自分では“持っていない”らしいんだ。私もよくわからないのだがね、機械の動力源エネルギーを提供しているようなものだって、終わったマルシェはぐったりしていたっけな」
 たぶんね、と顎に手を当て、ランスさんは何か考えながら言った。
 ぼくは何となく理解し、そして改めて尋ねる。
「あの人は、何者なんですか?」
「さあ? 本人に聞くのが一番かな」
 顔を顰めるぼくに、ランスさんは肩をすくめて笑った。
 曖昧な返事を返したまま、背を向けるランスさんに、ぼくは首を傾げた。
 そして腕や首にくっつきっぱなしだったコードを抜き取り、また軽く肩を回す。
「そういえば、ヴォルトはどこに?」
 ぼくが何気なくした問いかけに、ランスさんがぴたりと足を止めた。
 すぐに返事をせず、黙り込む。何だか妙な様子に、ぼくは眉を顰めた。
「あぁ……彼は、ね」
 ランスさんが振り向かずに、苦笑いしているのがわかる。
 何かあったのか……?
「ヴォルトは……無事だったんですよね?」
「まあ……その、無事といえば無事かもしれないが……いや、何と言えばいいのかな」
 ランスさんが引きつった表情を隠すように、口に手を当てた。
 明らかにおかしい。何か隠しているんだ。
「ヴォルトはどこですか?」
 ぼくは立ち上がり、きっぱりと問いかけた。
 ランスさんがまた無言で肩をすくめる。ぼくは顔を顰めた。
「ヴォルトはどこですか?」
「そうだな……あぁ、そうだな……どこだろう」
 ランスさんの曖昧な返事を最後まで聞かずに、ぼくは早足に部屋の外へ向かった。
 ランスさんが引きとめようと振り向いたが、ぼくはすでに廊下を駆け出していた。



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