098 ――ほんの、一瞬だった。
ぼくに掴まれたままのシオンの表情に、初めて感情が浮かび上がっていた。
しかし、それは決して喜びの表情などではなく、強い悲しみに打たれ、苦しむような……――
「あの方は、私たちを道具としてしか見ていなかった。ただのモノとしか見ていなかった。わかっていた。それでも私たちの父はあの方だけだ。永遠にあの方が私たちの支配者だ」
シオンが淡々とそう言いながら、自分を掴むぼくの手にそっと手を添えた。
そして、その手で軽くぼくの胸を突き、ぼくを離れさせる。
「私たちは造られたもの。私たちはあの方の幸せのために造り出された。あの方の願いを叶えなければ、私たちの存在は……いったい何だったと……――?」
天を仰ぎ、今にも泣き出しそうなぐらい顔を歪ませるシオンに、ぼくはただ目を見開き、シオンを見つめることしか出来なかった。
シオンは知っていたんだ……あの人がぼくらをただのモノとしてしか見ていなかったことを……
それでもこんなにあの人を想い、忠義を誓ってきた――。
ぼくがもう一度手を伸ばしたその時、シオンがはっと目を見開いた。
そして突然苦しそうに顔を歪め、両手で頭を抱える。
「お父様……!」
搾り出された言葉に、ぼくははっと反応した。
シオンが体を大きく震わせる。まるで罰を受けている時の自分の姿に重なって、ぼくは動くことさえできなくなっていた。
「うわああああ!!」
シオンがぼくを振り払い、叫んだ。そして頭を抱え、ただ痛みに顔を歪める。
強制的に瞳が赤く染まっていく……――しまった。
次の瞬間には、シオンの瞳に迷いの色はまったく見えなくなっていた。
まるで獣のように顔を歪ませ、歯を食いしばってぼくを睨みつける。
シオンが片手を上げ、そして勢いよく振り下ろした。
爆発音のような音が響き、まるでハンマーで叩きつけられたように、地面が跳ね上がる。
ぼくはとっさに防御壁を作り、落ちてくる瓦礫を防いだ。
しかし、防ぎきれなかった公司たちが、大量の瓦礫の下敷きになる。
ぼくは思わず目をそらし、シオンを見上げた。
初めて見た――これがぼくらGXの、強制自己防衛機能。
真っ赤な目に意思はまったくない。だけど、あの瞳の向こうでは、しっかりと自分が人を傷つけるのを見せられているんだ。
シオンはぼくと同じように、争いなんか望んでいなかったんだ! それなのに、あの人は……――!
「いい加減にしろ!!」
ぼくは左腕を押さえ、気づけば噛みつくようにそう叫んでいた。
シオンの中のあの人に、かつてはぼくらの主だった、あの悪魔のような人間に。
ぼくらはあの人のために造られ、あの人の思うように操られ、あの人の絶対的な束縛の中にあった。
でも今は違う。ぼくには意思がある。あの人にも触れられない、決意がある!
ぼくはシオンが重力をかけてくる前に、シオンに向けて手のひらを広げた。
ドッとぼくの手のひらから水柱が上がり、シオンに向けて一直線に発射される。
しかし、シオンは空中で素早く身をひるがえし、ぼくの攻撃を避け、今度はシオンがぼくのほうへ手を向けた。
途端にぼくに重力が圧し掛かり、足元が沈む。
衝撃に耐え切れず、傷ついた左腕がついに肩から千切れ落ちた。
ぼくは体を走る激痛に顔を歪め、思わず目線をシオンからそらしてしまった。
シオンはそれを見逃さなかった。すぐに無差別に公司を引っ張り上げ、ぼくに投げつけてきた。
ぼくはとっさに公司を受け止めたが、シオンはまた何人もの気絶した公司を投げつけてくる。
これではぼくも強い攻撃ができない――また犠牲を増やすなんて、嫌だ!
ぼくが圧し掛かってくる公司を退け、再びシオンを見上げた瞬間、シオンが大きく両腕を振り上げた。
地鳴りと共に大きく地面が抉れ、津波のように飛び上がる。
少しの逃げる間もなく、ぼくを押しつぶそうと地が落下してきた。
「やめて――!!」
その時、突然女の子の叫び声があたりに響き渡った。
その途端、ぼくを押しつぶそうとしていた土が、ぴたりと動きを止める。
まるで、魔法の呪文でも、かけられたかのように。
「もうやめて!」
また女の子の泣き声交じりの声が叫び、そして足音が駆け寄ってきた。
ピンク色のスカートと、ふわりとしたが金髪が揺れる。メリサだ。
メリサはぼくの前に飛び込んでくると、ぼくを守るように大きく両腕を広げた。
「もう誰かが傷つくなんて、たくさんよ! 出て行って! もう来ないで! ここは私たちの家なんだから!!」
メリサが叫んだ。まるでその声に反応するように、地面がゆっくりと元の位置へ戻っていく。
どうやらメリサ自身も自分の能力に驚いたようで、荒く息を吐きながらも、両腕を広げた体が不安げにたじろいだ。
「どうして? 私、私……――」
「メリサ、逃げろ!!」
その時、セイが叫び、次の瞬間にはメリサを抱いて横へ跳んでいた。
シオンが真っ赤な目を見開き、猛スピードでぼくらのほうへ向かってくる。
ぼくは二人の前になんとか踏み出し、固いシオンの腕を掴んだ。
メリサに届くぎりぎりの所で、なんとかシオンを止めることができた。しかし、さすがに片手では無理がある。
「シオン、目を覚ましてくれ……!」
無駄だとはわかっていても、ぼくはそう言うしかなかった。
戻ってきて欲しい。そのまま消えないで欲しい――ぼくと同じ意思を持った仲間なら、もう一度ぼくらと共に――!
力が入らない――片腕だけの手が震える……もう限界だ。
「セイ!」
ぼくの声に、セイはすぐに反応した。
ぼくと自分たちの状況に気づいたようで、すぐにメリサを抱きかかえ、急いで駆け出す。
ターゲットを失い、シオンが不機嫌そうに顔を顰めた。
ぼくが逃げる間もなく、シオンが容赦なく片手を振り上げ、ぼくの首を怪力で掴んでくる。
「この、出来損ないめ」
その時、シオンが発した太い声に、ぼくははっと目を見開いた。
暗闇の中で聞いた――お父様の声だ。
唖然と見つめるぼくの瞳に、シオンのニヤリと笑う唇が映る。
まるでその声に引き出されたかのように、ぼくの中に記録された残酷な映像が次々に浮かび上がってきた。
――意思とは裏腹に動く自分を……逃げ惑い、怯える人々、赤の海――
虚ろな目が訴えかけてくる。お前がやったんだと――
「負けるわけにはいかないんだ!!」
ぼくはシオンの腕を振り払い、叫んだ。
過去になど負けない! 絶対にもう屈したりしない!
「今まで犯した罪の分、大切なものを守らなきゃいけないんだ! もう誰も傷つけさせない! ぼくは戦わなきゃならない!!」
響き渡るぼくの声に、シオンが歯を食いしばる。
そうだ――戦わなきゃいけないんだ。ぼくはみんなを守らなきゃいけないんだ。
でも、どうすればいい……? ぼくの体には何の力も残っていない。ほとんどからっぽの、ただの人形だ――。
「負けを認め、屈しればいい」
まるでぼくの意思を察したかのように、シオンが太い声でそう言った。
赤い瞳が、ぼくをじっと見下ろしている。絶対的な威圧感が……越えられない壁が目の前にあるように思えた。
弱気になるな、弱気になるんじゃない――。
「負けられない」
ぼくはシオンの瞳を見つめ、きっぱりとそう言った。
シオンの顔がさらに怒りに歪む。ぼくには何の力もない。だけど、絶対に負けはしない。
その時、シオンが大きく手を振り上げた。
壊すなら壊せ。その時はぼくの最後のすべてをかけて、このアンダーグラウンドを守ってみせる――!
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