第四章 紅茶伯爵と四季の庭
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 ――紅茶の中に、落ちた。
 それはもちろん人生初めての出来事で、というかおそらく人類初めての出来事で、むせ返るようなアールグレイの香りの中を進み、そして背中がものすごく熱いものに触れたのを感じた。
 あとは、当然溺れた。息をするとブクブクと泡が上へ上がっていく。
 熱くて目が開けられなかった。もがいたけれど、体が沈んでいくのがわかった。
 どんどん、どんどん、沈んでいった。これはもう死ぬと思った。やっぱりあの伯爵、変人だった。
 ――かと思ったら、突然体が急激な落下を始めた。
 それは水を沈む感覚じゃない。空を落ちる感覚に近かった。
 下から風が吹き上げる。強く両手を握り、恐る恐るまぶたを上げた。
 上げて――後悔した。やっぱり、空を落ちてる!
「うっ……わあああ!!」
 暗がりの中を落下していく感覚に、ダージリンは思わず声をあげた。
 もがけど足掻けど、体はぐんぐん落ちていく。すぐにうっすらと着陸地点が見えてきて、ダージリンはさらに落下に抵抗した。
 しかし、その抵抗もむなしく、「ギャッ」とつぶれた声をあげ、ダージリンは砂に衝突する。
 そう、落下地点は砂だった。夏の砂浜のように、熱を持った柔らかい砂。おかげで助かったが、あまりの熱さにたまらずに飛び起きた。
 砂まみれになった顔面を急いで払い、落下してきたはずの頭上を見上げる。
「ダージリン、どこに落ちた?」
 星ひとつない夜空のような頭上から、伯爵の声が大きく響いてきた。
 のん気なその声に、ダージリンは噛みつくように怒鳴り返す。
「どこだって!? そんなの知るかよ! 紅茶の中だろ!? 暑いんだよ!」
「あぁ、サマー・ガーデンか」
 伯爵が呟いた。ダージリンは袖に入り込んだ砂を叩きながら、その言葉に顔を顰める。
「サマー・ガーデン?」
「そこはね、フォーシーズンズ・ガーデン。不思議な四季の庭さ。ほら、目の前に他の季節の入り口があるだろう? 君が今居るのは、サマー・ガーデン。夏の庭だ」
 伯爵が答えた。ダージリンはさらに鼻の頭にしわを寄せ、辺りを見回す。
 確かに、目の前にはうっすらと板のようなものが三つ並んでいる。これがその入り口のようだ。
 辺りは薄暗い、けれど、真っ暗じゃない。まるで夜明け前のようだ。
「夏だって? 確かに暑いけど、真っ暗じゃないか。ぼんやり明るいけど……今は夜なのか?」
「いいや、サマー・ガーデンに夜は来ないよ。つまりね、そのフォーシーズンズ・ガーデンは壊れてしまっているんだ。おそらく四季全部が狂ってしまっているから、それを正しい形に整えてくれないか?」
 サマー・ガーデンに響いた伯爵の提案に、ダージリンはぴたりと動きを止めた。目の前にうっすらと樹木の林が見える。


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