第六話 特別
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 ロビンはそれから何度かほうきに乗ろうと試みたが、ほうきのくせに暴れるし、ほうきは大きく、その分重いから持ち上げるだけでも大変で、しばしの格闘の後、渋々ほうきに乗るのを諦めた。
 家に戻ってから、メイファの用意してくれたごちそうを思う存分頬張り、終いには、木の実のケーキを一人で半分もたいらげた。
 ミス・ロビンが「端っこはくれるって言ったのに!」と散々騒いでいたけれど、メイファにおやすみを言って二階へ上がる頃には、ロビンと同じく食べ過ぎたお腹を抱え、怒る気力もないようだった。
 ロビンは部屋へ上がるなり、月明かりに浮かぶ使い古した小さなベッドに倒れ込んだ。
「食べてからすぐ寝ると太るわよ」
 ミス・ロビンが膨らんだお腹を重たそうにしながら、部屋の隅の定位置へ飛んでいく。
 ロビンはそんなミス・ロビンを横目で見ながら、「お互い様だよ」と返した。
「今日は疲れたんだ。いろんなことが、いっぺんに起こりすぎた感じ」
「そうかしら? 私は楽しかったわよ」
「そりゃあね、ミス・ロビンはずっと逃げてたんだもん。どうせ僕が食べられたって、知らんぷりしたでしょ」
 ロビンがふんと鼻を鳴らしてそう言うと、ミス・ロビンはそんなことないわ、と首を振った。
「ちゃんとメイファを呼んできてあげる」
「その頃は僕、もう胃の中で溶けてると思うけど」
 ロビンはミス・ロビンに向かって舌を出し、ミス・ロビンが反論してくる前にブランケットを頭からかぶった。
 ついさっき一人前と認められたにも関わらず、相変わらず子供っぽい行動をする。ロビンに白い目を向け、ミス・ロビンも翼の中に頭を引っ込めた。
 シンと静まり返る部屋の中。遠くで、切なげな遠吠えが聞こえる。
「……ねぇ」
 ほんの少しの沈黙の後、ミス・ロビンが翼の中で小さく鳴いた。
 ロビンはブランケットから両目を覗かせ、じっとミス・ロビンを見つめる。
 ミス・ロビンも翼から顔を出し、若いクロスグリのような目でロビンを見下ろした。
「ロビンはどうして特別は嫌なの?」
 ミス・ロビンの問いかけに、ロビンはふと視線を落とした。どこか不安げに眉を寄せ、ミス・ロビンに質問を返す
「……特別って何?」
「ちょっと他と違うこと、かしら。それとも、ちょっと普通じゃないこと、かしら」
 ミス・ロビンが答えると、ロビンは「ほらね」と呟き、毛布に顔をうずめた。
「みんなと違うなんて、いやだ」
 ブランケットの中から聞こえるくもった声に、ミス・ロビンが首を傾げる。
 沈黙にミス・ロビンの行動を感じ取ったのか、ロビンがまたぽつぽつと話し始めた。
「僕ね、メイファと暮らし始めてから、ずっとこの森の家で育ってきたんだよ。皆は外に住んでるのにさ、僕は外に出ちゃいけないんだって。それは僕が“特別”だからだって……。旅に出てさ、僕の目とか、動物と話せることとかがさ、変だって思われたらどうする? 森に帰れって言われたら? クライヴに言われて思い出したんだけど、僕が小さい頃、「メイファはどうしてここに住んでるの?」ってきいた時、メイファは困った顔して言ったんだ。「私も“特別”だったのよ」って……」
 ぽつりぽつりと呟くロビンの声が、消え入るように小さくなっていく。
 そんなロビンを見かねて、ミス・ロビンがロビンの側へふわりと舞い降りた。
 ブランケットの上に着地したミス・ロビンに気づき、ロビンもまた少しだけ顔を覗かせる。
「……僕って特別?」
「そうね……ちょっとだけ。でもそれを言うなら、私だって特別でしょ」
 ミス・ロビンがいつものすまし顔で言うと、ロビンは「かなりね」と苦笑した。
 ミス・ロビンは体を伏せ、ロビンの色の違う左右の瞳をじっと見つめる。
「だけどあなたもメイファも、私を嫌いにならなかった。こうやって、家族にしてくれたでしょ。大丈夫よ、人ってそんなに冷めてない」
 そう言って翼で額を撫でるミス・ロビンに、ロビンはようやく小さく笑った。
 そしてブランケットから顔を出し、みの虫のように体を包んだままベッドに横たわる。
 ロビンの額にちょんと鼻をつき、ミス・ロビンも定位置に戻っていった。
「あのね、ミス・ロビン。僕、旅に出たらさ、世界を全部見て回るんだ」
「そうね。それが終わったら、私とメイファをしっかり守ってね」
 ミス・ロビンはそう言って「おやすみ」と翼に顔を引っ込めた。

 *

 ――いい? ロビン。私は、私の知っているすべての魔法をあなたに教えるわ。
 だから、きっと私の代わりに世の中のために魔法を使ってね。
 決して自分の好き勝手に使ってはだめ。
 あなたの生まれ持ったその力は、人の助けるために授かったものなのだから。
 でもね、ロビン。それを不公平だなんて思わないで。
 あなたが人を助けた分、きっとその人もロビンに何かを与えてくれるはず。
 大丈夫、あなたなら出来るわ。
 だってあなたは、“特別”なんだからね……――

 ぐっすりと寝入っていたロビンの頬を、暖かい朝日が照らした。
 太陽の光をたっぷりと吸い込んだ、やわらかい布の匂いがする。
 心地良い……もうずいぶん日が昇っているみたいだけど、メイファが怒鳴って起こしにくるまで、もう少し……もう少しだけ寝よう……。
 ロビンはぼんやりとそんなことを思いながら、枕を抱きこもうと、手探りで枕を探した。
 しかし、いくら手を伸ばしても枕がなく、手に当たるものはチクチクとくすぐられるような感覚だけ。
 もしかして、またひっくり返って寝てたりして……。ロビンはうっすらとまぶたを上げ、自分の状況を確かめようと、ぼんやりとした目を擦った。
 青々とした芝生が見える。チクチクした感覚の正体は、これか……。
 僕、いつの間に外に……そ……外に?
 ありえない自分の状況に気付き、ロビンは勢いよく体を起こした。
 白っぽい太陽の光が目覚めたばかりのロビンの目を覚醒させ、そしてはっきりとその光景を映し出す。
 ロビンの目の前にあるものは、相変わらず真っ黒な魔の森と、その中心にある見慣れた草むら。
 そして自分の手が掴んでいるものは、やわらかいブランケットではなく、几帳面なメイファに短く刈り込まれた野草だった。
 突然のことに、まったく事態が呑み込めず呆然とするロビンを、昇りかけの太陽の光が煌煌と照らす。
 ロビンは恐る恐る辺りを見回し、そしてゆっくりと振り返った。
 そして、すぐに気付いた。気が付かないわけがなかった。そこにあるべきものが、ない。
 家、が、ない!

「うそ――っ!?」

 ロビンは慌てて立ち上がり、家があったはずの場所へ駆け寄った。
 しかし、本当に跡形もなく無くなっている。母屋も、畑も、物置小屋も、何もかも。円状に開いた魔の森の中心を、ロビンはこの時初めて見渡した。
 ロビンは何度も家のあった場所に手をつこうとしたが、どうやら壁魔法で隠しているわけでもなく、本当になくなってしまっているようだった。
 ただひとつ、玄関があったはずの場所に、ロビンの愛用していた魔法具を詰める斜めがけのかばんが落ちていた。
 その側には、昨日メイファにもらったばかりの、大きなほうきも転がっている。
 ロビンは引きつったまま、恐る恐る荷物のほうへ歩み寄った。
 側に腰を下ろし、かばんを開くと、愛用の魔法具や魔法書と、少しの衣服、そして長持ちしそうな食料が包んであった。
 かばんには何の仕掛けもない。ロビンは何度もかばんをひっくり返したが、本当にこれしか入っていない。
 次に横に転がるほうきに目を移すと、柄に一枚の紙きれが貼ってあった。
 ロビンは重たいほうきを引き寄せ、その紙きれを覗き込む。
 メイファの呪札だ。金縛りの札。ほうきが逃げられないようにしているんだ。
 ほうきが苦しそうに震えたため、ロビンが札を剥がしてやると、ほうきはもう我慢の限界だというように一目散に空へ向かって飛び出した。
 ロビンは慌ててほうきに飛びつき、再び逃げられないように念入りにほうきに札を擦り付ける。
 ほうきがピタリと黙り込むと、ロビンはほうきを放り、ゆっくりとその場に立ち上がった。
 なんとなく、状況がわかってきた。メイファのやりそうなことだ。
 一人前になったのだから、さっさと旅に出ろということだろう。でも、だからって、十四歳になったとたん、家ごと消えなくてもいいじゃないか!
「メイファ!」
 ロビンは朝の魔の森に向かい、大声で呼びかけた。
 しかし、返ってくるのは木々のざわめきだけ。
 ゆるやかに風が止み、そしてまた吹く。ロビンのローブがはためくものの、メイファの返事は返ってこない。
 ロビンは片足を軸に、くるりと一回転してみた。見えるのは、森、森、森――本当に、消えちゃったんだ――。
 ロビンは地面に両足をつき、呆然と風に揺れる森の木々を見つめる。その時、魔の森の中から、ヒュッと何かが飛び出してきた。
 黒いかたまりは猛スピードでロビンへ向かい、ぼんやりしているロビンの頭に激突した。
「いたっ!」
「やっと起きたのね!」
 ミス・ロビンがいつものキーキー声で鳴き、ロビンの腕にぶら下がった。
 ロビンは掴まりやすいように腕を上げ、残っていたミス・ロビンを見て、焦燥しきっていた顔を泣き笑いに歪ませる。
「よ、よかったぁ!」
「よくないわ! 起きたらいきなり家がなくなってて、私は森の木にぶら下がっていたんだから!」
 翼をむちゃくちゃにばたつかせ、ミス・ロビンはキーキー声で喚いた。どうやら、ミス・ロビンも十分パニックしているようだ。
「僕のせいじゃないよ。メイファが追い出したんだ、きっと」
「また何かしたんでしょ?」
 ミス・ロビンが刺々しい声でそう言い、ロビンの腕から飛び立つ。
 しかし、ロビンは「今回は何も」とはっきり首を横に振った。
「約束だったんだよ。十四歳になったら、世界を回る旅に出るって」
 ロビンはローブについた汚れをはらい、再び荷物に歩み寄った。
 どうやらミス・ロビンのおかげで気持ちに整理がついたらしく、呆然と泣き出しそうだった様子はもうない。
 ほうきがばたついて札を剥がそうとしている。ロビンはかばんを拾い上げ、肩から提げた。
「行くのね?」
 ミス・ロビンがロビンの肩に着地し、不安げにロビンの黒い目を覗き込む。
「うん、ミス・ロビンが居てくれてよかった。僕、旅に出るよ」
「私も行く」
「うん」
 ロビンは「ありがとう」とミス・ロビンを撫で、重たいほうきを何とか持ち上げた。
 ほうきの柄を地面につき、すっと大きく息を吸い込む。
 そして色の違う両の目を朝日に輝かせ、はっきりと元気のいい声で言った。

「いってきます、師匠!」

 メイファが、どこかで微笑んでいたような気がした。





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