第二話 魔の森散歩 あんなまずいもの二度と食べさせられるのはごめんだと、ロビンは急いで家を飛び出した。
メイファはロビンを追うことはせず、ただ機嫌が悪そうに、木製のちょっと曲がった扉を力任せ、もとい魔法任せに閉め直す。
あれはロビンがまだ幼い頃に、メイファの魔法薬にいたずらをして、大爆発させたときのなごりだ。
僕のいたずらだって生まれ持った癖のようなものさ。ロビンは振り返り、見えないのをいいことに“あっかんべー”をしてみせた。
メイファはいつまで経っても変わらない。人の性格は、年をくえばくうほど丸くなるものだって本で読んだのに。もしかしたら、これもひとつの若づくりの魔法なのかな。
扉の向こうで何やら騒がしく音がする。かと思いきや、扉の隙間から泥のような液体があふれ出し、凝固して扉を隙間なく封鎖してしまった。
うわぁ、メイファ、相当怒ってる。
確かに、ご自慢の庭に魔獣草なんて生やしたのは悪かったけど、最後の捨て台詞は事実だからね。
ロビンはバンソウコウを剥ぎ取り、ヒリヒリする口を拭って庭のほうへ回ってみた。
日当たりのいい二階建ての家の南側に、屋根をも越す勢いで今も伸び続けている、こぶしほどの太さの緑色の茎。
そのてっ辺には、ロビンの予想通り、うろこがたっぷりのワニの口をし、ライオンのようなたてがみを持つ顔が、花の代わりにくっついていた。
普通の魔獣草は、こうも不気味なものではない。鳥やネズミなんかの顔がヒョッコリとてっぺんについていて、時々可愛らしく鳴くだけだ。
魔獣草はしゃがれた声で空に向かって吼え、その付け根にはよだれで小さな沼ができている。
その時、二階のロビンの部屋の窓から、ヒュッと黒いものが飛び出してきた。ミス・ロビンだ。
「ほらね、やっぱり心当たりがあったんじゃない」
ミス・ロビンはおすまし顔で辺りを一周し、ロビンの伸ばした腕にぶら下がった。
メイファの怒鳴り声が聞こえ、キッチンの窓から赤い液体が魔獣草にむかって投げられる。
しかし魔獣草は茎をくねらせ、器用にそれを回避した。
「でも頭はいいみたいだよ」
ロビンがそう言うと、鋭い爪がロビンの腕に食い込んだ。
ロビンが「いてて」と腕を振り下ろす。ミス・ロビンは飛び立ち、ロビンの周りをくるくる回り始めた。
「少しは反省しなさい」
「ふんだ、もういいよ。僕、散歩に行く」
ロビンは唇を尖らせてそう言い、足元に転がる木の枝を拾い上げた。
「いやだ、近場にしましょうよ。久々に飛んだから、ついていく自信ないわ」
「ミス・ロビン。そんなんだから、いつまでたってもおなかがでっぱったままなんだよ」
懲りずに憎まれ口をたたきながら、ロビンは地面に魔法陣を描いていく。
ミス・ロビンは悲鳴じみたキーキー声をあげ、魔法陣を描き続けるロビンを追い回した。
*
少しいびつだけれど、ようやく魔法陣が出来上がった。
ロビンは「上出来」と満足げに魔法陣を見回し、ミス・ロビンを腕にぶら下げたまま、魔法陣の中心へ移動する。
「失敗しないでね」
ミス・ロビンが翼で顔を覆いながら、少し不安げに漏らした。
「大丈夫だよ、飛び足魔法はもう何度も使っているもん」
ロビンは自信満々にそう言い、魔の森と向かい合うように魔法陣の中心に立つ。
魔の森は、猛々しく育った真っ黒な木々の集まりで、メイファとロビンの住む家をぐるっと囲んだ樹海だ。ロビンはこれから、自分の何十倍もある森の木の上まで飛ぼうというのだ。
ロビンはミス・ロビンがちゃんとくっついていることを確認し、大きく手を広げると、その場で軽く飛び跳ねた。
そのとたん、ロビンの体がまるでバネ人形のように飛び上がり、魔の森の木々などすっかり追い越してしまった。
ロビンは行き過ぎたことに慌てて、手をばたつかせて位置を調整する。
「び、びっくりしたぁー」
「びっくりしたのはこっちよ!」
ミス・ロビンがキーキー声をあげ、ロビンを引っかいて宙へ飛び立った。
「あなたにくっついていたら、心臓がいくつあっても足りないわ!」
「そんなふうに言わなくても……別に失敗したわけじゃないじゃん。ちょっと手加減が苦手なだけ」
ロビンは言い返しながら、遥か下に見える自分の描いた魔法陣を見下ろした。
枝で地面を彫った跡が、薄く光り輝いている。それが徐々に薄れていき、すっと吸い込まれるように見えなくなった。
魔法陣の効能が切れたのだ。それを確認し、ロビンはゆっくりと足を進めた。
どちらを向いても終わりのない魔の森。果てのない黒い大地を見回し、ロビンは「あーあ」と頭の後ろで腕を組む。
「何も、あんなに怒らなくたっていいじゃんね。もとはといえばメイファのせいなんだからさ」
ロビンが唇を尖らせてぼやくと、ミス・ロビンが滑るようにロビンの横に飛んできて、くるくる頭をぺちんと叩いた。
「マンドラゴラは栽培の難しい、貴重な薬草なのよ。なのにロビンが調合を間違っちゃったせいで、あんな奇形が生まれちゃったんだわ。それにモルヒムの実のことを、少しでも調べてみた?」
「間違ったんじゃないよ。わざとさ」
「よけい悪いわ」
「どうしてあんなもの、わざわざ調べなきゃいけないのさ。最高にまずくて、食べると気持ち悪くなるってことだけわかればじゅーぶん!」
「食べたですって! あれは猛毒よ!」
ミス・ロビンが悲鳴をあげ、ロビンの脇に飛び込んだ。
ロビンが上げた片腕につかまり、ミス・ロビンは信じられないという様子でロビンを見上げる。
「高熱が出て、うんうんうなされて、幻覚が見えたり、幻聴が聞こえたり、体じゅうに赤い斑点が出てきたりするはずよ。最後には腐ったすいかみたいに体じゅうが溶けて、死んじゃうんだから」
「じゃあ、どうして僕、生きてるの?」
いまさら心配になってきたのか、ロビンは空いているほうの手で自分の体をさすった。
不安げなロビンの問いかけに、ミス・ロビンはぶるっと翼を震わせる。
「さぁ? 幸運だったんでしょ。別の実だったとか、ちょっとしか食べてなかったとかね」
「ううん、メイファに山ほど食べさせられたよ。体をじょうぶにするんだとか言われてさ」
それには、さすがのミス・ロビンも首を傾げた。
メイファはどうしてそんなことをしたのか? それは、同性であるミス・ロビンにも理解できないらしい。
ロビンは、とりあえず今自分が生きているということと、やっぱりあの殺人的なまずさは毒だったんだということを知り、ひとまずはそれで満足だった。
「ねぇ、ミス・ロビン。僕もいつかメイファみたいに、指を鳴らすだけで魔法が使えるようになるかなぁ」
ロビンは魔力を込め、指をパチンと鳴らしてみた。やはりこれだけでは何の変化も起こらない。
「ちょっとやそっとじゃ無理なんじゃない? だってロビンは大雑把なんだもの。魔法っていうのはね、とっても繊細で、やっかいで、複雑なの。知識もいるし、精神力も体力もいる。特に召還魔法はね。何もないところからものを出現させるんだもの。よほどの集中力がないといけないのよ。なのにロビンったら」
ぺらぺらと自分の知識を語り出すミス・ロビンに、ロビンはあぁまたはじまった、と肩をすくめた。
ミス・ロビンはこうもりだが、ロビンなんかよりずっと年上で、物知りだ。
ミス・ロビンの知識は、何かとロビンの好奇心を煽る。おしゃべりなミス・ロビンからよく外の話を聞いては、そのたびにロビンは森の外への脱走を謀るのだった。
もっとも、ことごとくメイファの魔法の罠にかかって、夕飯前には連れ戻されるのがオチ。一度も成功したことはない。
「森の外にも、魔法使いは居るんだよね?」
ロビンは他より高く育ったモミの木を避けて歩き、反対側へ避けたミス・ロビンに問いかける。
「居るわよ。大体、村に一人は賢者と呼ばれる魔法使いが居るものなの。村人にまじないや魔法薬を売ったりして生活しているのよ」
ミス・ロビンがモミの木の向こう側で答え、再び合流した。
ふうんと鼻で返事をし、ふと賢者の姿を想像する。どうも、この姿しか浮かんでこない。
「長い白ひげのおじいさんばっかり?」
「バカ言わないで。じゃあメイファはどうなるのよ」
きっぱりと切り捨てられ、ロビンは顔をしかめた。
「メイファも賢者だったのかな?」
「さぁね、それはわからないわ。メイファは自分の過去を話さないもの」
ミス・ロビンは素っ気なく答え、くるりと一回転すると、体を滑降させ始めた。
ちょうど、魔の森にぽっかりと穴が開いている場所まで来ていた。空を歩いて近くまで来ないと見落とすような小さな空き地で、その中心には、大きな切りかぶがチョコンとひとつ座っている。
ロビンは意識を集中させ、階段を下るように少しずつ魔法の効力を調整していった。
ロビンが帆を進めるにつれ、黒い木々たちはどんどん背を伸ばしていく。ちょうど切りかぶの上に来たところで、ロビンは飛び足魔法を解き、そのまま切りかぶへ腰を下ろした。
これは、ロビンが一年ほど前に苦労して一本の木を切り倒し、ようやく作った木の椅子だ。
メイファのガミガミから逃れてゆっくりと昼寝ができるような、日の当たる秘密基地が欲しかったのだ。
先に下りていたミス・ロビンが森の中から飛び出し、ロビンの伸ばした腕にぶら下がる。
上を歩いてきた魔の森を、今度は下から見回した。
森の木々は何千年もの歳月をここで過ごし、じっくりと自分自身に磨きをかけ、どれもロビンが三人いても囲えないほど、太い幹にまで育っていた。
頭上で黒く生い茂る葉は、絶対に太陽の光など通すものかと、枝と枝とを固く絡ませあっている。
メイファは木同士仲が良くて結構じゃないのなどと言うが、ロビンにとっては、その木々の団結は邪魔にしか思えなかった。
おかげで足元は常に日光が当たらず、乾かなくてぐちゃぐちゃだし、ひとたび雨が降れば、あちこちに小さな沼さえできる。
だからロビンの魔の森散歩には、飛び足魔法がかかせない。
「やっぱりここが一番落ち着くなぁ」
ロビンは自分を照らす太陽を満足げに煽り、ゆったりと背もたれに体を任せた。
ミス・ロビンは大きな翼で体を覆い、ロビンの腕の下でご機嫌そうにゆらゆらと揺れている。
ミス・ロビンは変わっている。こうもりだっていうのに日の光が好きだし、夜はロビンと同じように眠る。狩りや夜の散歩で出かけることもあるけれど、血吸いこうもりのように生き物の血も好むし、肉や魚だって食べる。
仲間内ではごちそうにもなる蛾やイモムシなんかは、見るだけで悲鳴をあげて気絶するほど苦手だ。
「おなかがすいた」
ミス・ロビンが翼の中からくもった声でつぶやいた。
ロビンは温かい光にウトウトとまぶたを下ろしながら、小さくため息を零す。
「そんなんだから……いつまでたってもまん丸のままなんだよ」
「失礼ね。これが私の普通なの。生きていればおなかはすくものなのよ」
「だからいつも言ってるじゃん、ちょっとなら……僕の血を飲んでもいいって」
「ダメ、ロビンの血だけは吸わないの」
ロビンのせっかくの誘いも、ミス・ロビンは毎回頑なに断った。
ミス・ロビンはいつもこうだ。時々メイファからはいただくのに、ロビンの血だけは絶対に吸わない。
どうやら、メイファに何度もダメだと釘を刺されているらしい。女は女の血しかダメってことなんだろうか。それはそれでありがたいけど。
「じゃあ……いい。僕、少し寝る」
ロビンはそう言って、切りかぶ椅子にもたれて楽な体勢を取った。
ミス・ロビンがロビンの腕から飛び立ち、ローブのフードを顔にかぶせる。
「日焼けすると後が辛いわよ」
「うん」
ロビンはミス・ロビンに「ありがとう」とつぶやき、そしてまぶたを下ろした。
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