第一話 いたずらのおしおき
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「こら! どこに行ったの! いたずらロビン、出てきなさい!」

 メイファの怒鳴り声が聞こえる。あの頭のてっぺんから噴火する、ぞっとするような金切り声だ。
 ほんの数時間前、向かい合って穏やかな朝食を取ったのがまるで夢のようだ。今ごろ、今にも牙をむきそうな鬼の形相をはりつけて、どすどすと簡素な小屋を踏み荒らしているに違いない。
 メイファが僕を怒ってる。ようするに――なんかバレた。
「ねぇ、ねぇ、ミス・ロビン」
 ロビンは自室の机の下に身を隠し、小声で天井の隅にぶら下がる友人に呼びかけた。
 丸太の梁の隅に、大きな黒いかたまりがある。かたまりはロビンの声に反応して、もぞもぞと翼を震わせた。
「なあに?」
 翼の陰からヒョコッと顔を出したのは、ルビーのような赤い目をしたコウモリだ。すました声で返事をし、しきりにがらくたをかき集める相棒を見下ろす。
 ロビンは散らばった魔法具を急いで足元に集めながら、かすれ声で友人に訴えた。
「召喚魔法がまだちゃんとできてないんだ! どうしよう、メイファに怒られる」
「できる魔法で遊んでばっかりいるからよ。それに、今回はもう他の事で怒らせているんでしょ。私、関係ないわ」
 ミス・ロビンは無情にもツンと言い放ち、また翼の中に隠れてしまった。
 冷たい対応に、ロビンはむっとして言い返した。ただし、小声で。
「僕、何もしてないよ!」
 ロビンの言い分に、ミス・ロビンは呆れた、と大きく翼を広げた。
 それをもったいぶって体に巻きつけ、わざと上ずった嫌味な声で鳴いてみせる。
「あらぁ、私には心当たりがいっぱいあるわ。メイファの鏡に魔法をかけて、「おばさん」としか言わなくさせたでしょ。台所の鍋に魔法をかけて、一晩じゅううるさい宴会を開かせたでしょ。物置のノブに噛みつき草を忍ばせたでしょ。それに、私のお気に入りの髪どめを、金歯オバケにしちゃったのは誰?」
 つらつらとあげられる嘘も脚色もない自分の悪事に、ロビンは渋々唸り、頷いた。
「それはまぁ、僕だけど……。ていうか、前から聞こうと思ってたんだけど、こうもりってどこに髪留めをつけるの? おしりの毛?」
「失礼ね!」
 ミス・ロビンはメイファそっくりのキーキー声をあげ、ロビンめがけて一目散に飛びかかった。
「痛い! いたいいたい!!」
 大きなこうもりに顔面を思い切り引っかかれ、ロビンは思わず悲鳴をあげる。
 はっと口を押さえた時には、もう遅かった。その声は間違いなく階下に届き、どしん、どしん、と階段を踏みしめて上がってくる音がする。
 ロビンは慌てて魔法具の山からチョーク石を取り出し、床に簡単な魔法陣を描いた。
 円の中に六芒星(ヘキザグラム)、その周りに素早く効果を現す呪文を書く。ロビンが魔法陣の中心を指で突いた瞬間、間一髪で部屋の扉が跳ね飛ばされた。
 見事な白髪を振り乱し、義母が飛び込んでくる。その形相にはもう、ポテトオムレツを上手に作る母親の面影はない。
 森ひとつ吹き飛ばしそうな鼻息も荒く、燃えるエメラルドの瞳が散らかった弟子の部屋を睨みつける。
 ロビンはそっと身を乗り出し、義母の行動を観察した。弟子の姿がないことに、メイファはそうとう苛立っているようだ。靴の先をコツコツと何度も鳴らす仕草からしても、今のところは、怒りレベル3というところだろう。5ぐらいだったら、間違いなくもう家を爆破してる。
 今、ロビンは見えない壁に守られていた。メイファが入ってくる寸でのところで描きあげた魔法陣のおかげだ。ロビンからメイファの憤怒した様子はよく見えるが、メイファからすれば、ロビンの居るところは何もない机の下の暗がりになっている。
 メイファが舌打ちをし、麻のローブを揺らしてきびすを返した。どうやら諦めて部屋を出ていくらしい。
 優れた魔女である義母に見つからなかったことですっかり得意になり、ロビンはまたひとつからかってやろうと、そっと身を乗り出した。
 その時、まるで弾かれたようにメイファが振り向き、何のためらいもなくロビンのほうへ向かってきた。
 ロビンはあっと頭を引っ込め、慌てて奥へ逃げようとする。
 しかし、メイファはすでに机の下に腕を突っ込み、ローブのフードをがっちりと掴んでいた。
「こんな所に居たのね、バカロビン! 隠れようったって無駄よ。エメラルドウィッチをなめないでちょうだい!」
 力いっぱい引っ張り出され、ロビンは机の角で思いきり頭をぶつけた。

   *

 メイファ・エメラルドウィッチ。
 通称“緑の魔女”と呼ばれ、この魔の森の中心で、ずっと僕とミス・ロビンと暮らしている。
 捨て子だった僕を拾い、十三年間育ててくれた、僕の義母、メイファ。
 腕の立つ師匠を持つと弟子は苦労するっていうけど、僕が本当に苦労してるのは、魔法の授業より日常生活のほうだ。
 比べる対象がないけど、確かにメイファの魔法は一流なんだと思う。
 だけど、メイファはわざとそれを授業で見せずに、弟子の僕をこらしめるのに精一杯使うんだ。ひどくない?

「メイファ、ねぇ、僕、もうダメだよ。もう指先の感覚がないもん」
 ロビンは頭の先からつま先までがちがちに拘束され、もう何十回も弱音を吐いた。
 しかし、メイファはまったく振り向く気配を見せず、白髪を頭の後ろできっちりと結い、ロッキングチェアを揺らしている。
 何を言っても、あらぁ、鳥が鳴いたかしら、くらいの反応しか見せてくれない。この調子だと、あと一時間は呪縛を解いてくれなそうだ。
 ロビンは柱を背に立たされ、見えない魔力の糸でしばりつけられていた。
 それだけならまだしも、ひざを曲げれなくしたり、背中に鉄板を入れたみたいに真っ直ぐにしておくなどという、陰湿な呪文までもを何重にもかぶせられている。
 おかげで、気分は棺桶の中のミイラ状態。それに、さっき机にぶつけたところがズキズキと痛い。きっと膨れて、ハチの巣みたいなたんこぶになってる。
 ロビンは麻痺した両手の指をもぞもぞと動かし、すがるように義母の背中を見つめた。
「ねぇ、メイファ……」
「三日煮込んだマンドラゴラの魔法薬に、モルヒムの実を混ぜたのは誰?」
 甘えた声に振り向きもせず、メイファはきっぱりと言い放った。
 ロビンは顔を顰める。どうやら、今回のカミナリの原因がわかった。
「……僕」
「そして、魔法薬で溶けたモルヒムを山ほど庭に埋めて、隠ぺい工作を図ったのは誰?」
「……僕」
「じゃあ、誰のせいでうちの自慢の庭にあんな不気味な魔獣草が生えちゃったのかしら!」
 メイファが大げさに声をあげ、窓に向かって指を突き出した。
 とたんに派手な音をたて、突風が吹いたように窓があく。
 窓の向こうには、曲がりくねった太いつるが見えた。時々わななくようにあげる鳴き声からすると、あの先には、きっと肉食獣か何かの顔が花の代わりについているのだろう。
 ロビンは魔法書で見た最もまがまがしい魔獣草の挿絵を思い出し、思わず顔を顰めた。
「……僕のせい」
 ボソリとつぶやき、唇を尖らせる。
「だってメイファが悪いんだ。僕にあんなもの食べさせるから……。いくら栄養があるっていっても、モルヒムの実は絶対に食用の実じゃないよ。苦いし、辛いし、渋いし、どんどん舌がぴりぴりしてくる。それに腐ってるみたいにくさいんだよ。絶対変だよ」
「誰のせいかしら?」
 ロビンの恨みがましい弁解も、たった一言で切り捨てられる。
 こうなってしまっては、素直に謝るまで許してくれないのは百も承知。
 ロビンはしぶしぶ口を曲げたまま、うな垂れるようになんとか頭を下げた。
「わかった、僕が悪かったです。師匠、ごめんなさい」
 しかし、メイファは黙ったまま、膝に乗せた本のページをめくるだけ。
 呪縛を解く様子などまったく見せないメイファに、ロビンはついに抵抗を諦め、少しでも楽な体勢になろうと柱に寄りかかった。
「どうしてわかったの? 僕の壁魔法」
 ロビンはしびれた足の指を順番に動かし、うつむき加減につぶやく。
 すると、ついにメイファが椅子から立ち上がった。
 しょんぼりと頭を垂れる弟子を覗き込み、くせっ毛をくしゃりと撫でる。
「この、くるくる頭が出てたわよ」
 そう言って、メイファはふふっと笑った。
「やっかいな頭」
 ようやくピリピリした雰囲気から逃れることができ、ロビンもつられて笑みを零す。
 メイファがパチンと指を鳴らした。そのとたん、体を締め上げていた魔力が消え、ロビンはほっと息を吐いた。
 凝り固まった体をほぐしながら、ロビンは自分よりほんの少し背の高い義母を見上げる。このごろぐんぐん成長しているつもりだが、まだ少しだけ追いつけない。
「まったく、呆れたものね。もう十四歳になるっていうのに、この調子で一人旅に出られると思っているの?」
 メイファはロビンのくるくる頭をピンとはじき、たんこぶに手をかざす。じわりと温もりが伝わり、少しだけ痛みが和らいだ。
「じゃあくるくる頭をなおせば旅に出られる?」
 そう言って頑固なくせ毛を撫でつけるロビンに、メイファはふっと笑みを零す。
「大丈夫よ、ロビン。あなたの茶色のくるくる頭も、その色の違う両の目も、全部あなたの個性。気にする必要なんかないわ」
 メイファはそう言うと、万能の手を揉みほぐして、再び中断した読書に戻っていった。
 ロビンはくしゃくしゃの髪を撫でつけながら、柱に掛けられた鏡を覗き込む。
 あちこちに跳ねたきつね色の前髪の下にはたんこぶが赤く腫れ、その下には左右色の違う目がついている。右は黒曜石のように黒く、左は若葉のようなフォレストグリーン。ロビンはこの変わった瞳が好きではなかった。
「もう何度も聞いたよ、その慰め台詞。たまには違うこと言って」
「私は嘘をつかないわ。たまには師匠の言うことききなさい。生まれ持ったものなんだから、気にしたところで無駄なだけよ」
 メイファはロビンに背を向けて本をめくりながら、パチンと指を鳴らした。
 すると、せっかく撫でつけた髪が一瞬で巻かれ、元のくるくる頭に戻ってしまう。
 ロビンは声をあげて撫でなおしたが、前よりずっと頑固にくせがついてしまっていた。
 弟子が落胆する様子を、メイファが静かに面白がっているのを感じる。
 ロビンはむっとして振り返り、これみよがしにふんっと鼻を鳴らしてみせた。
「最近、メイファの小じわが一気に増えたのは、僕が鬼婆みたいに怒らせるせいだよねっ!」
 メイファは笑顔で振り返り、また一つ指を鳴らした。
 途端に、バチン! と強烈な音をたて、ロビンの口が大きなバンソウコウで塞がれる。

「ロビン、いい加減にしないと、そのやっかいな口にモルヒムをたっぷり詰めてやるから」



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