第十七話 リディア村
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「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
 森を抜ける頃、小さなランプの明かりと共に、高く澄んだ声が二人のもとへ飛んできた。
 門番のように並んだイチイの木の間で、小さな手をめいっぱい高く振っている姿が見える。
 人間の女の子だった。数十メートルをたった三歩で進み、ダナは女の子の手前で注意深く足を止めた。
「森に入ってくるなって言っただろ。ここはお前の思うより危ないんだ」
「入ってないわ。見てただけ」
 女の子はけろりと言い返し、持ってきた新しい服をダナに渡す。
 その時、ダナより深いアンティックゴールドの瞳が、小脇に抱えられたロビンを見つけた。
 ダナがロビンを差し出してみせる。
「こいつは俺の妹のエレン。こっちは魔法使いのロビン。森に居たのはこいつだった」
「そう……こんにちは、ようこそリディアへ」
 一瞬驚いた表情を見せたものの、エレンはバラの髪飾りを揺らし、にっこりと手を差し出した。
 しかしロビンは挨拶を返さず、珍しいものでも見るかのように、エレンをまじまじと観察する。
 細い肩に丸みを帯びた体。手はやわらかそうで小さくて、満月色の大きな目が、不思議そうに瞬きをする。
「ど、どうかした?」
「僕、女の子ってあんまり見たことないんだ」
 不思議なことを言う不思議な少年に、ダナとエレンは顔を見合わせた。

  *

 人狼から人の姿に戻っても、ダナは力持ちだった。
 ロビンと荷物とオスカーを両脇に軽々と抱え、妹のエレンと共に村へ入っていく。
 きれいな村だ、と言うだけあり、リディア村は本当に美しかった。
 規則正しく並んだ家々の軒先には、必ず小さなともし火があり、森に囲まれたリディア村を幻想的に見せている。
 優しい炎の色が揺らぐ中を、ロビンはダナに抱えられたまま、キョロキョロしながら進んでいった。
 丸太を積んで作る、木造の暖かそうな家々の軒先には、不思議と燃え移らないともし火と共に、必ず大きな鈴がついている。
「あれ、何? あの大きな鈴」
「魔除けの鈴よ。村の家には必ずつけるの。おじいちゃんの魔法で全部の鈴がつながっているから、魔物が村に近づくと大きな音で鳴るのよ」
 ロビンの問いに、エレンが身振り手振りで答えてくれた。
 そして今度は、エレンからロビンへ質問をする。
「あなたはどこから来たの? ロビン君」
「あぁ。僕、魔の森から。ここの森じゃなくて、あっちの魔の森」
「黒の魔の森!?」
 ロビンの答えに、エレンが思わず声をあげた。
 慌てて口を手で押さえ、ダナに似た満月のような目をぱちくりさせる。
 その反応が良いのか悪いのかわからず、ロビンはとりあえず苦笑いした。
「え、何?」
「黒の魔の森から来たのか、お前……よく生きてたなぁ」
 今度はダナが関心したようにそう言った。ロビンは首を捻ってダナを見上げ、不思議そうに眉を寄せる。
「そりゃあ、生きてるさ。だってあそこに住んでたんだもん」
「住んでたって!?」
 今度はダナが大声をあげた。
 その途端手を放され、ロビンは哀れにも顔面から地面へ落下する。
 ロビンのフードの中で、ミス・ロビンが批難の声をあげた。
「ごめん」
 ダナが慌ててロビンを拾い、再び抱えなおす。
 ロビンは今日だけで二回も強打した鼻を押さえ、思わず緑色の目を潤ませた。
「どうしてそんなに驚くの?」
「だって、あそこは悪魔の森よ。一度入ったら、もう出て来られないって」
「あんな所に住めるのは、エメラルドウィッチかヴァイオレットウィザードぐらいだろ」
「僕、そのエメラルドウィッチの弟子だもん。ヴァイオレットウィザードって何?」
 あの魔女の弟子! ダナとエレンは再び飛び上がり、またロビンを落とすところだった。
 今度こそ落っこちまいと、ロビンはダナにしがみつく。
「それ、本当かよ?」
「嘘は言わないよ。うん……時々しか」
 歯切れの悪いロビンの頭の後ろで、「しょっちゅうでしょ」とミス・ロビンが一人ぼやいた。
 ロビンはそんなミス・ロビンの悪口を感じ取り、引っ張り出してやろうとフードの中を掻き回す。
「それで、ヴァイオレットウィザードって?」
「あぁ、上級魔法使い軍団の名前さ。世界に百人と居ない、選ばれし戦士たちなんだってよ」
 まぁ、実際会ったことも見たこともないけどな、とダナが答える。
 ロビンは興味ありげにまぶたを上げ、さらに質問しようとしたが、その前にエレンが覗き込んできた。
 そして、おずおずと問いかける。
「本当に、あのエメラルドウィッチの弟子なの?」
「本当だよ。メイファは僕の育ての親なんだ。僕、捨て子だったから」
 あっけらかんとしたロビンの返答に、エレンがはっと口を押さえた。
「ごめんなさい」
「どうして謝るの? 別に悪いこと言ってないよ」
 申し訳なさそうにうつむいたエレンに、ロビンはニッコリと笑う。
 そして何のためらいもなく自分の頭をぽんと撫でた少年に、エレンはほんのりと頬を染め、恥ずかしそうに頷いた。

  *

 ともし火が揺れる村の奥へ進むと、突き当たりに大きな木を背にした家が見えてきた。
 近づいてみれば、その家は大樹の前に建っているわけではなく、大樹を中心に巻きつくように建てられていることがわかった。ここがダナとエレンの家、つまりはロビンの出会う最初の賢者の家だ。
 ロビンはリディアの賢者がどんな人なのだろうかと、緊張と興奮で顔を強張らせながら、ダナに抱えられてその家の扉をくぐった。
「ただいま」
 ダナが体を屈めて小さなドアをくぐると、心地よく暖められた空気が、三人を迎えた。
 暖炉で薪が爆ぜる音がし、乾いた薬草の匂いに混じり、どことなく甘い花の香りが漂ってくる。
 パタン、と小さな音を立てて、最後尾のエレンが扉を閉める。ロビンは初めて訪れた他人の家を、興味津々で見回した。
 さすが賢者の家だけあって、メイファがよく使っていた魔法具がいろいろな箇所に飾られている。
 取っ手が蛇の形をした銀のつぼに、ヘキサグラムを模った木の根など、その中にはロビンの見たことのない魔法具もあり、ロビンは新しい魔法との出会いに期待を膨らませた。
 その時、コン、と床を杖で叩きながら、きつくカーブした廊下から腰を曲げた小柄な老人が現れた。
 背丈はロビンの腰ほどだが、白いひげをたっぷり蓄えたしわだらけの顔には、賢者としての威厳が滲み出ている。
 正直、ちょっとおっかない小人のお爺さん。ロビンがリディアの賢者に抱いた第一印象は、決してポロリと口に出来るものではなかった。
「これが賢者ホジ。俺のじいちゃん」
 ダナが祖父のほうを向いた。
 賢者は大きなこぶ付きの杖を体の前に突き、曲がった背中を持ち上げる。
「怪物退治は終わったのか、ダナ」
「あぁ、怪物は居なかったけど、魔法使いを拾ったぜ」
 ダナはそう言って、ようやくロビンを床へ降ろした。
 捕まえたウサギのように首根っこを掴まれ、ロビンはつま先立ちできをつけをする。
 孫が拾ってきた魔法使いを見て、ホジは微かに眉を上げた。
「このチビが魔法使いか」
 訝しそうな満月色の瞳が、じっとロビンを凝視する。
 想像通りの厳格な賢者に覗き込まれ、ロビンは後ろめたいこともないのにキョロキョロと目線を迷わせた。
 一体何を言われるのか、出ていけと言われたらどうしようか。不安と緊張で胃袋がぎゅっと収縮し、ロビンは思わず腹をさする。しかしホジはロビンから目を離すと、何も言わずに背を向けた。
 そしてゆっくりとした足取りで、家の奥へ入っていく。
「エレン、あれほど森へ近づくなと言ったろう」
「わかってるわ。でも、中に入らなければいいんでしょ?」
「ダナ、また森の木をひとつ倒したろう。森の木々は守りの要じゃ。注意しろ」
「してるよ。してるんだけど、手加減ができないだけ」
 なんとなく歩き出した三人の後をロビンも追うが、ロビンの話題は一切出てこない。
 なんだか受け入れられていないような気がして、ロビンは不安げにうつむいた。
 すると、そんなロビンに気づいたのか、ダナが振り返り、ロビンの耳元でこそっと囁く。
「大丈夫。出て行けって言わないってことは、お前のこと気に入ったんだ」
「黙らんか。聞こえているぞ」
 孫の小声話に、賢者がぴしゃりと言った。
「じいちゃん、久々に魔法使いが来たからって、そんな硬い顔しなくてもいいと思うけど」
「この顔は時の表れじゃ。お前たちもいずれこうなる」
 覚悟しろ、と鼻の頭にさらにしわを寄せてみせるホジじいさんに、ロビンとダナは顔を見合わせて苦笑いした。

  *

 それからロビンは、とても久々に感じるおいしい夕食をごちそうになった。
 エレンは大変な料理上手で、全員が席に着くなり、山ほどの料理がテーブルを埋め尽くした。
 濃厚なかぼちゃのスープや香草を詰めた丸焼きの鶏。中央にはカリッと焼いた固焼きのパンが積まれ、何皿もの茹で野菜には自家製の甘辛いソースが添えられている。まるで誕生日と新年の祝いが一緒に来たかような豪華な食卓に、ロビンは大興奮で片っ端から口に詰め込んでいった。
 ロビンの食欲が落ち着く頃には、すすめ上手なダナのおかげで厳格な賢者にも酒が入り、いつの間にかエレンに似た人の良さそうな老人の顔立ちになっていた。
 少しひしゃげた鼻の頭を赤く染め、ホジじいさんはしきりに息子は魔法使いになりたがらなかった、だから孫には魔法の力がない、とロビンに愚痴を零していく。
 ダナになんとか魔法を教え込もうとしたが、えんぴつひとつ変化させられなかった、という愚痴を繰り返し三度聞いたところで、賢者はようやくロビンについて質問をした。
「お前さんは、ちゃんとした師について学んだのじゃろうな、魔法を」
 ホジは杯を危なっかしく揺らしながら、ロビンをうつろな目で見つめる。
 ロビンは名残り惜しそうに空になった皿をつつきながら頷き、反応の予想できる返事をした。
「あぁ、うん。エメラルドウィッチから」
「エメラルドウィッチ!」
 ロビンの答えに、ホジじいさんはやはり孫たちとそっくりの反応をした。
 少し白くにごった黄色い瞳が、驚きに瞬く。
 そんなにメイファはすごいのだろうか? ロビンは苦笑いし、目玉が飛び出そうな賢者に少し身を引いた。
「有名なんですね、僕の師匠」
「有名も何も、この世で一、二を争う魔女じゃろうが」
 途端に酔いも覚めてしまったのか、こうしてはおれん、と立ち上がり、ホジは背後にある詰め込みすぎた本棚へ向かう。
 ヨタヨタと頼りない足取りに、ロビンははらはらしながらダナのほうを向いた。
 ダナは飲み残しの酒を口に運び、「大丈夫、まだ頭はイってない」と軽くこめかみを叩いてみせる。
「あの魔女に弟子が居たとは。いや、ここ数年噂を聞かんでな。生きているかも、わからなかったが」
 ホジはその小さな体に山ほどの本を抱え、テーブルの上に投げ落とした。
 ごちそうの皿を遠慮なく押し流す本の山に、ミス・ロビンをすっかり気に入ったエレンが顔を顰める。
「これをやろう。おまえさんならわかるはずじゃ」
 ホジは本の山を叩き、出会った時のような引き締まった顔をロビンに向ける。鼻の頭は赤らんでいたものの、キリリとした真っ直ぐな目線は、ダナにそっくりだ。
 ロビンはなだれ落ちた本をいくつか拾い、うすぼけた金文字の題名を確かめた。
 世界の魔法薬、変身術の全て、魔法円の歴史……いくつか、魔の森の家で読んだことがある。
「これとこれは、もう読んだよ。変身術は、バルナバス著と、フィニアス著のほうもよく読んだ」
 ロビンがそう言うと、賢者ホジは嬉しそうに声をあげ、また背後の本棚に向かっていった。
 その足取りの軽いことといったら。ついさっき杖をついて歩いていた老人とは思えない。ようやく魔法を教える相手が出来たことが、相当嬉しいようだ。
 ダナはロビンと顔を見合わせ、「こんなじいちゃん久しぶりだよ」と肩をすくめる。
 しかし次の瞬間、ゴキン、と嫌な音が響き、賢者は抱えた本の重みで背中を逆方向に反らせていた。



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