第十話 初めての馬車 銀狼のクライヴと別れた後、ロビンはとりあえず荷物を置き、魔法具と共にかばんに入っていた地図を広げていた。
小さく折りたたんだものを広げたらあまりに大きな地図だったため、片端をミス・ロビンに持ってもらっている。
「ねぇミス・ロビン、どこに行けばいいの? そもそも、ここどこ?」
ロビンは細かく書き込みのしてある地図に顔を顰め、まったく見覚えのない地名をまじまじと見つめた。
もちろん文字は読めるけれど、こんな地名聞いたことも見たこともない。メイファも魔法の使い方だけじゃなくて、周辺の地理ぐらい教えてくれたってよかったのに。
「わかんないわ。でも、馬車の走った跡もあるし、この道、人が作った道だと思う」
「じゃあ、この道行けば村に着くかな」
ミス・ロビンは「たぶんね」と答え、辺りを見渡した。
向かって左側は魔の森。右側も森だが、やはり魔の森の木々はずば抜けて大きく、右側の森は猛々しい隣人に恐縮し、身を寄せ合って縮こまっているようにも見える。
ロビンはかばんを探り、コンパスを取り出した。コンパスの針は、真っ直ぐにロビンをさしている。後方が北だ。
「あれ、ミス・ロビン、地図逆だったよ」
「もう! 何やってるの」
そんなもの持ってるなら早く出しなさい! とキーキー声で怒られながら、ロビンはミス・ロビンと位置を交換した。
すると、ロビンのちょうど目の前に、“魔の森”といくつか書き込まれた針山のような絵が現れた。
魔の森は西のはずれにあったんだ。ロビンは魔の森をたどり、そしてもうひとつの森に挟まれている細い道を見つけた。きっと、現在地はここだ。
そのまま目線を上げると、すぐ近くに細かな家の並ぶ絵を描いた場所があった。しかも、家々の中に少しだけ大きな城のような絵がある。どうやら、最初の村は小さな国のようだ。
「“双子国”だって、変な名前」
この時、村の名前に小さく吹き出したロビンは、その国で初めての厄介ごとに巻き込まれるとは、ちっとも想像していなかった。
*
ミス・ロビンと話し合い、まずは双子国の賢者に会うことに決めた。そうして行く先々で賢者に会い、ロビンの知らない魔法を教えてもらうのだ。
そのためには、それなりの実力を見せなければいけないと、ミス・ロビンは言う。
人間だれしもが魔法をいいように使うわけではない。もし教えた魔法を悪用されたら、賢者もたまったもんじゃない。それに、魔法使いになるにはそれなりの条件と才能がいる。魔力を持っていない者に魔法の使い方を教え込んでも、えんぴつひとつ変身させられない。
止め処なく知識を披露するミス・ロビンの横で、ロビンは早速魔法書を取り出し、どれが一番効果的に見える魔法か探り始めた。
一方ほうきのオスカーはロビンの背中にベルトで縛り付けられていた。進むごとにいつの間にかずり落ち、勝手に道の掃除をさせられている。
「ねぇミス・ロビン、やっぱり派手なほうがいいかな? 豪快にさ、こう、ごぉっと火柱でもあげて、僕がその中からジャーンって出てくるの」
「相手は熟練の魔法使いよ? ロビンのいたずらみたいな見かけ倒しに引っかかるわけないじゃない」
ミス・ロビンは相変わらず直球な意見を返し、すいすいとロビンの前を飛んでいく。
ロビンは両頬を膨らませ、炎に関する章から、心理に関する章へ移った。
「拡大魔法。見るものすべてが拡大化される。視力低下の補助のほか、相手を驚かせるのに有効」
「それじゃ同じでしょ。手抜きしないの」
ミス・ロビンがくるくる頭をぴしゃりと叩いたその時、二人の背後から車輪の回る音が聞こえてきた。
その音に、ロビンは本を閉じて振り返る。細く伸びた道の奥から、馬車がこちらへ近づいてきていた。
栗毛と葦毛の二頭立ての馬の向こうで、麦藁のとんがりのぼうしを目深にかぶった男が手綱を引いている。簡素な服装から見ると、農夫のようだ。
初めて見たメイファ以外の人間の姿に、ロビンはとたんに目を輝かせた。
「見て、あれが大人の人なんだ。メイファより大きいね」
「そうね。でもちょっと避けましょ」
ロビンは話しかけたかったが、ミス・ロビンに叩かれながら森に寄り、馬車に道をあけた。
ガタガタと不安定な音をたて、馬車が目の前を通過していく。
すると、森の陰からまじまじと観察していたロビンに気付いたのか、少し行き過ぎて、馬車がゆっくりと止まった。
つばの広いぼうしを少し上げ、農夫が荷台の影からロビンを振り返る。
「どうした、ぼうず。この先に行くなら、乗っていくか?」
少しなまりのあるその言葉に、ロビンはぱぁっと顔を輝かせた。
何度も何度も頷き、小走りに近づいていく。近くで見ると、無精ひげを生やした、メイファよりずっと年上の男性だった。よく焼けた肌、目じりの笑い皺やほうれい線、ぼさぼさの眉毛などを見て、ロビンは彼を“おじさん”の部類と判断した。
「ありがとう、おじさん。いいの?」
「あぁ、どうせ行くのは同じ道だ。荷台にでも腰かけな」
でかい荷物も持っているしな、とおじさんはロビンのほうきを指した。
ロビンはもう一度礼を言い、おじさんの指示通りほうきを先に乗せ、荷台によじ登った。
車輪に大きな箱を乗せた簡単な馬車で、中は藁や形の悪い農作物でゴロゴロしている。品の数から見ると、商品を売った帰りなのだろう。ロビンは少量のかぼちゃの山を避け、景色が見えるよう先頭へ移った。
乗ったか? とおじさんが振り返る。ロビンが頷くと、馬車はまた不安定に動き出した。
初めての人間に、初めての馬車。ロビンは早速旅が楽しくなってきて、尻尾を振って進む馬をじっと見つめていた。
栗毛のほうの馬が、鼻にかかったような声で、そろそろ喉が渇いたなぁ、と呟く。
隣を歩く葦毛の馬が、まったくだ、と渋い声であいづちをうったが、ロビン以外の者にとって、二頭の馬の会話はほんの少しの鼻息でしかなかった。
時々馬の言葉で会話をする二頭の手綱を取りながら、今度はおじさんがぽつりと呟いた。
「変わった目ン玉したぼうずだなぁ」
「うん、ちょっとだけね」
「は?」
おじさんが振り返り、素っ頓狂な声をあげた。
その反応に、ロビンははっと口をつぐむ。しまった、今の、口に出してなかったんだ。
ロビンは「何でもない」と首を振り、慌ててクライヴにもらった眼帯を右目に当てた。
話し声と心の声がこれほど区別がつかないなんて。ロビンは頭の後ろで紐を結び、これは厄介なことになりそうだ、と重いため息を零した。
「ぼうず、一人旅か? 初めてだろう。魔の森の側を歩いて通るにゃ、お前、正気の沙汰じゃないぞ」
「うん、大丈夫だったよ。それに、こうもりも一緒だし」
「こうもり? また変わった相棒連れてるな」
「うん、ちょっとね」
ロビンはそう言ってにやりとし、フードの中で「何よ!」と暴れるミス・ロビンをくすぐった。
小石に乗って大きく荷台が揺れ、かぼちゃがあちこちに転がっていく。
ロビンは足元に転がったかぼちゃを拾い、いくつか積みなおした。
「旅か……いいなぁ。おれも、昔は一人旅に憧れたもんだ」
おじさんが懐かしそうに笑い、我が青春は、と語りだす。
かぼちゃの雪崩を防ぐためにも、ロビンは馬車の横幅いっぱいに足を伸ばし、ふかふかの藁の上に寝転んで、おじさんの話に耳を傾けた。
魔の森の秘密基地で見上げた時と同じ、ちぎった綿のような白い雲が、ロビンの緑の瞳の中を流れていく。
ロビンは乾いた藁のいい匂いを胸いっぱいに吸い込み、ぐっと体を伸ばすと、楽しそうに昔語りをするおじさんの後ろ姿を眺めた。
おじさんが語り、ロビンが時折質問を挟む。それに丁寧に答え、軌道修正。他愛のない会話は途切れることなく、馬車の旅は進んでいく。
ロビンのローブにこびりついた泥が乾いて落ち、おじさんの話が気の強い奥さんとの出会いにさしかかったところで、二人の目に森と空でないものが飛び込んできた。
森の向こうに、二つの大きな塔が見えた。両方のてっぺんに、同じ模様の黄色い旗がはためいている。かなり大きな建物のようだ。
「わぁ、あそこがお城だ!」
「あぁ、双子城さ。また厄介なもんを作ったもんだ」
身を乗り出したロビンを、危ないぞ、と制しながらおじさんが言った。
ロビンは荷台に戻り、興味津々で城を見上げる。
「双子国の、双子城? なんでそんな変な名前なの?」
「あぁ、本当の名前はトモリというんだ。トモリは古語で双子って意味でな、なんでも双頭の竜が生まれた土地だとか、農耕の女神リアヌが貧しい民を気の毒に思い、一度に子を二人授かるようにしたんだとか、昔話はいろいろあるけどな。ようは、昔から双子がよく生まれるってだけの話さ。今の国王も双子らしいぞ」
「へぇ……だから塔が二つあるの?」
「いいや、あれは塔じゃない。城なんだ」
「お城が二つもあるの!?」
耳元で大声をあげるロビンを追い払い、おじさんは続けた。
「今の王は双子で生まれてきてから、何もかもを二人一緒にやってきて、ついに二人で王になったらしいんだ。しかも、先代が歳いってから出来た子供だったから、とんでもなく我がままらしくてなぁ。互いが自分より良いものを持たないように、二つの城をまったく前後左右同じにして、くっつけちまったんだと。聞いた話じゃあ、長年務める家老ですら迷うそうだ」
おじさんの説明に「へぇ」とあいづちを打ち、ロビンはかぼちゃの雪崩対策に置いておいたかばんを引き寄せた。
そして現在地が見えるように折っておいた地図を取り出し、メイファの“双子国”の文字の下に、自分で“トモリ”と書き込む。
ロビンは地図を掲げ、メイファのスマートな文字とは違い、揺れていびつな自分の文字をじっと見つめ、旅の始まりの国に期待を込めた。
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