第七話 旅立ちとオオカミ
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 魔法使いになりたての十四歳、初めての旅立ち――
 それは、想像よりもはるかに過酷なものだった。

「もう、しっかりしてよ! 一人前の魔法使いでしょう!?」
 薄暗く湿った魔の森に、ミス・ロビンのキーキー声が響く。
 ロビンはミス・ロビンの遥か後方で、体を屈めて何かを引きずっていた。
「だってまだ……なりたて……だもん」
 まだ魔の森に入ったばかりだというのに、ロビンはすっかり息を切らせ、ゼイゼイとあえいでいた。
 その原因は、メイファのくれた誕生日プレゼント、バカでかいほうきのせいだった。
 ロビンはメイファに「いってきます」を言った後、早速ほうきに乗ろうとしたが、札を剥がすなりほうきはジタバタと暴れ、頑なにロビンを乗せようとしなかった。
 あの手この手で言うことを聞かせようとしたが、どうやらほうきはロビンを主人だと認めていないらしく、触れることすら拒み続ける。
 昨日ロビンを乗せたのは、きっと創造主であるメイファの命令に従っただけだったのよ。ほうきと殴り合いのケンカをするロビンを、ミス・ロビンは呆れながらそう言って諭した。
 知っている限りの呪文をいくらかけても、ほうきはジタバタをやめない。ロビンは結局ほうきに札を貼ったまま、引きずって魔の森を抜けることにしたのだった。
「この、ほうき……オスカーって名前にしようと……思ったけど……やめる。この役立たず」
 ロビンがあえぎながら悪態をつくと、役立たずとは何だ! とほうきは暴れ始めた。
 ロビンは暴れるほうきにしがみ付き、念入りに封印の札を擦り付ける。まだ文句言いたげに震えていたが、結局創造主の呪縛には勝てず、ほうきは渋々暴れるのをやめた。
 もうどれほど歩いたのだろう……ロビンはほうきを持つ手を変えながら、ふと背後を振り返った。
 前も後ろも太い木の幹に挟まれ、湿気た気の滅入るような空気が漂っている。足元は泥だらけで、せめて日の光が少しでも射していれば気が晴れるのに、これではまるで森の上だけに雨雲がかかっているのだと錯覚してしまいそうだ。
 どこまでも続く泥沼の道と、役立たずの重たいほうき。旅立ち早々ぶち当たった難関に、ロビンは重いため息を零した。
「飛び足使っちゃダメかなぁ?」
「無理よ、森の外に出る前に魔法が尽きるのがオチね。情けないこと言わないの」
 ミス・ロビンがわざわざ引き返し、ロビンのくるくる頭を大きな翼で叩いていく。
 ロビンは頭をさすり、楽々と飛んでいくミス・ロビンを羨ましそうに見つめた。
「ミス・ロビン、大きくなって僕を乗せてって」
「いやよ。楽しようとしないの」
 あっさりと自分を置いていくミス・ロビンに文句を言い、ロビンはまた渋々歩き出した。
 力いっぱい引きずって歩くほうきは、ロビンの旅立ちを阻む錘のように、心なしかずんずん重くなっていく。
 すっかり赤くなった手を時々ローブで拭いながら、きっとこれはメイファの日頃のいたずらの仕返しなんだ、とロビンは思った。

 *

 ロビンはしばらくの間、重たいほうきを引きずり、必死にミス・ロビンの後を追って歩いた。
 ぐう、と腹が鳴り、朝ごはんもまだだったことに気付く。
 あともう少し、せめて日の当たる場所に出てから食事にしようと頑張ったが、しかし進むにつれブーツに泥がまとわりつき、ぬかるみが邪魔をして思うようには進めない。
 ロビンは汗の伝う額を拭い、腕まくりをするためにいったん足を止めた。
 立ち止まったロビンに気付き、ミス・ロビンが引き返してくる。
 その時、森のどこからか、低い唸り声が聞こえてきた。
 その声に、ロビンははっと動きを止める。ミス・ロビンもその音に気付いたようで、すぐさま近くの枝にぴったりと体を寄せた。
 黒い森に響く、低い低い威嚇のような唸り声――。これは聞き違えようがない。しかも、今回は複数だ。
 ロビンには、その唸り声がまた違ったように聞こえていた。まるで悪魔が囁くように、耳のすぐそばで低い声が口々に囁く。獲物だ、食い物だ、と。
 ロビンはさっと青ざめ、まくりかけの袖を放した。
「とっても嫌な予感がする……すっ……ごく」
「私も」
 ミス・ロビンがそう返したとたん、地面を蹴る音と共に、複数の咆哮が響き渡った。
 ロビンはとっさにほうきを抱え、やみくもに走り出す。
 その一瞬後、先ほどまでロビンたちの進行方向だった木の陰から、三匹のオオカミが飛び出してきた。
 オオカミたちは逃げるロビンの背中を見つけるなり、喜々として吼え声をあげ、スピードを上げてロビンを追ってくる。
「もう! なんでオオカミが居るの!」
 ミス・ロビンがなるべく高くを行こうと木々の枝を避けて飛び、キーキー声をあげた。
「きっとここはメイファの結界の外なんだ!」
 ロビンは重たいほうきを肩に担ぎ、振り返る間もないほど必死になって泥の道を駆け抜ける。
 背後から猛スピードで迫ってくる足音がする。ミス・ロビンがいやだ食べられたくないと騒いでいたが、ロビンはまた別のことで興奮していた。あれほど重たかった邪魔者のほうきが、今では嘘のように軽く感じる。
「すごいや、ねぇミス・ロビン、火事場の馬鹿力ってすごい!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 何か魔法を使ってよ! 追い払ってよ!」
 ミス・ロビンがヒステリックに叫び、何度も急降下してロビンの頭をペチペチ叩いた。
 自分は遥か上の安全な位置にいるくせにと思いながらも、ロビンはローブのポケットを探る。
 と、早々に指先が何かが当たった。石のようにかたくて丸い……これ、何だろう。あぁもう、なんでもいいや!
 ロビンは振り返らず、ポケットにあったものをありったけの力で後ろへ放った。
 とたん、オオカミたちが怯んだような声をあげて立ち止まる。きっと当たったんだ!
 しかし次の瞬間、とんでもない爆発音と共に、強烈な閃光がロビンを背後から襲った。しまった、この前作ったいたずら爆弾だ!
「まちがった!」
「何やってるのよ!」
 ミス・ロビンが絶望的な悲鳴をあげ、森の木の陰に飛んでいく。
 パニックしたミス・ロビンを追い払うだけでなく、ロビンのいたずら道具は、どうやらオオカミたちの怒りをあおってしまったようだった。
 しかもあれは、音と光だけを増幅させ、メイファを驚かすためだけに作った全く偽物の爆弾。せいぜい数秒の目くらましになるぐらいで、床に焦げ目さえつけられない。
 案の定オオカミたちはワンワン吼えながら、さっきよりも躍起になってロビンを追ってくる。
 ロビンは両手でほうきを抱え、ぬかるむ泥道を必死に駆けた。
 しかし、人間がオオカミから逃げられる時間などたかが知れていた。あっという間に追いついた先頭のオオカミが大きく跳躍し、ロビンのローブに飛びついた。
「うわぁっ!」
 後ろに引っ張られ、ロビンのブーツは泥の上を滑った。汗ばんだ手からほうきが離れ、たくましい木の幹に当たって泥だまりへ投げ出される。
 ロビンはなす術もなく背中から地面に叩きつけられ、ついに唸り声の主に取り囲まれてしまった。
 三匹は狂ったように「獲物だ」と何度も繰り返し、耳元まで裂けた口からだらだらと涎を垂らす。
 絶望的な現状にロビンは苦笑いしつつ、薄情にも自分だけ逃げたミス・ロビンを心の中で恨んだ。
 オオカミたちが順番に鼻を寄せ、どこから食おうかと今日の獲物の見定めを始める。
 ロビンは慌てて両手を顔の横に上げ、降参の意を表した。
「ぼ……僕、わりとおいしくないよ」
 ロビンが引きつった声でそう言うと、オオカミたちは驚いて目を丸くし、とたんに飛び退いた。
 どうやら、三匹とも話せる人間に合ったのは初めてのようだ。ロビンはこれはチャンスだとひらめき、ゆっくりとその場に立ち上がった。
 案の定、オオカミたちは威嚇の声をあげつつも、ゆっくりと後ずさりしていく。
 今なら逃げられるかもしれない。しかし、骨のように痩せ細ったオオカミたちの体に気付くと、ロビンは肩から下げたかばんに手を突っ込んだ。
 また変なものを出す気だと、オオカミたちが怯んで声をあげる。
「違う違う、もう驚かさない」
 ロビンは身を寄せ合って怯える姿にすっかり恐怖感を失ってしまい、三匹においでと手招きをした。
 かばんの中を探り、メイファが用意してくれていた食料の包みを開ける。
 そして昨日の残りの木の実のケーキと、長持ちする固焼きのパン、つぶして乾燥させた木の実や干し野菜などを、オオカミたちに差し出した。
「これ、あげるよ。結構おいしいよ。僕の師匠の手作り」
 ロビンはそう言って、包みごと食糧を地面に置く。
 すると、オオカミたちは訝しげに顔を見合わせたが、恐る恐る置かれた食糧に鼻を近づけた。
 危険でないものとわかったのか、オオカミたちは我先にとものすごい勢いで食糧を口に運んでいく。
「この森、君たちのごちそうになりそうなものないもんね。全部食べてもいいよ」
 群がるオオカミたちを眺めながら、ロビンはほっと胸を撫で下ろした。
 この森は本当に生物が少ない。家のあった空き地でマレットを見つけた時は飛び上がって驚いたものだし、その分大切に大切に育ててきた。
 そういった思い入れがあるにせよ、ウサギだってオオカミだって、この不毛の地で生きて行くのに必死だったことに変わりはない。
 昨日のオオカミ――クライヴだって、お腹がすいていたんだろうなぁ。
 ロビンがぼんやりと銀毛のオオカミを思っているうちに、オオカミたちはあっという間に差し入れを完食してしまった。
 もっと、とロビンに空の包みを突き出してくるが、もうロビンには持ち合わせがない。
 ロビンがかばんを開いて何もないことを証明すると、オオカミたちは大人しく引き下がった。
「ヨルゴ、ワルタ、パルロ、それは私の獲物だ」
 その時、三匹の背後で聞き覚えのある声が聞こえ、ロビンは背筋を固くした。
 その声にオオカミたちはぴんと耳をたて、すぐさまロビンの背後に回って道を開ける。
 森の奥からゆっくりと現れた銀狼の姿に、ロビンは目を見開いた。
「クライヴ!」
「今日も来たのか、小僧」
 クライヴは大きな口をにやりと歪め、駆けることなくロビンに近寄ってくる。
 三匹のオオカミたちとは違った威圧感を覚え、ロビンは思わず顔を強張らせた。
「そう構えぬとも良い。人は食わん」
 クライヴはこともなげにそう言い、ロビンの向こうで体を寄り合わせている三匹に「先に帰れ」と声をかけた。
 するとオオカミたちはクライヴの命令を従順に聞き入れ、一目散に森の奥へと去っていく。
 三匹の姿が見えなくなった頃、クライヴはやれやれと大儀そうに地面に腰を下ろした。
「どうした、ウサギを食われぬよう、今回はエサをやりにきたのか?」
「違うよ。僕、旅に出るんだ。一人前の魔法使いになったんだ」
 ロビンはそう言って、かばんの中から認定証を出して見せた。
 人の文字がわかるのか、クライヴは頷き、そして泥まみれになってしまったほうきに目を移した。
「それでか?」
「ううん、これ役立たずなんだ。オスカーなんてかっこいい名前付けたのにさ」
「ふん、名ばかりだな」
「うん、そう」
 ロビンはそう言って、ぷっと吹き出す。
 すると、クライヴは重たそうに腰を上げ、ほうきのほうへ歩み寄っていった。
 そしていとも簡単にほうきを咥え上げ、ロビンに差し出す。
「乗れ。外まで連れて行こう。食料の礼だ」
 思ってもいなかったクライヴの申し出に、ロビンはぱぁっと目を輝かせた。
 これ以上歩いたら死にそうだと思っていたロビンには、泥だらけのクライヴが神々しく輝いて見える。
 ロビンは「ありがとう」とオスカーを受け取り、体を伏せたクライヴの背中によじ登った。
 銀狼の背中は先の三匹のオオカミよりずっと大きく、思ったより安定感がある。
 暖かい毛並みにロビンが顔を埋めると、クライヴがゆっくりと歩き出した。
「相棒はどうした? 太ったメスこうもりが居たろう」
「あぁ。女ってね、こういうとこ薄情なんだよ」
「私もそう思う」
 妙なところで気の合うクライヴと共に、ロビンは魔の森をさらに奥へ奥へと進んでいった。





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