眉間にキス ∵
(子供みたい。)
ゆるくウェーブした黒髪を指で梳きながら、眦の下がった寝顔を見つめる。
柔らかな枕にもたれたその横顔は、大人の男性というより、遊び疲れた幼い子のようだ。
(眠っている時まで笑ってるなんて、本当に変な人。)
もう癖になっているのだろう。満足げに微笑む口元を指先でなぞり、頭の中を流れて行く彼の夢を垣間見る。
昼間子供たちと遊んだこと、夕食の内容や、友人たちとの他愛無い会話。あとは夢独特の非現実的な展開や、それに私の顔も少しだけ。
そこに時々、幾ばくかの暗闇や、過去と思われる擦れた映像も入りこむが、大体肝心なところでぷつりと彼の夢は途切れてしまう。
まるで私に見せることを拒否しているようだ。
(確かに、頭の中をのぞかれるなんて、いい気分じゃないでしょうけど――。)
案の定、今日も廃れた病院のような映像を最後に、彼の夢は砂煙に消えていった。
それからは、全くの闇が訪れる。もう私が覗き見るだけのボーダーラインを超えたのだ。ため息をつき、そっと指先を離す。
その時、僅かに感じていた風が、止まっていることに気が付いた。
(――息、してない。)
とっさに胸に耳を伏せると、冷えた頬に熱が触れた。
とくん、とくん、と、微かだが、確かな鼓動が聞こえてくる。
その一瞬後、戻ってきた呼吸が、間抜けな私の髪をふわりと揺らした。
(……何してるの、私。この人が、そう簡単に死んだりするはずないじゃない。)
静かな寝息を聞きながら、胸の上で寝返りをうつ。今度は右胸の鼓動が、左耳から伝わってきた。
この両胸の鼓動に気付いた時、彼は事も無げに微笑んで言った。
――だからね、フラン。もしこれが必要な人に出会ったら、真っ直ぐに僕のところへ来て。
他人を助けるためなら、心臓まで差し出すと言った人。
底抜けにお人好しなあなた。どんな自己犠牲すら厭わない。
あげるわけない。
あげられるわけがない。
あなたの鼓動は私のものよ。
「……どうしたの、フラン」
規則的な音の中に、寝ぼけた声が入ってきた。
人の気も知らないで。燃え上がるような嫉妬に自己嫌悪する間さえ与えてくれない。
「生きてるかなって思ったの」
「そう……ちゃんと生きてた?」
「どっちも動いてた」
両胸に手を置き、体を起こす。胸を押されてうっと声をあげた。
そのまま身を乗り出して、珍しく眉間にできた皺にキスをする。くすぐったいねと笑って、仕返しとばかりにわき腹をくすぐられた。
ぺしんと叩き、寝ぐせ頭を胸に抱く。確かなぬくもりに、どきりとさせられた気持ちが少しだけ和らいだ。
「……いやな人。他の女の子のこと考えてる」
「ん? そんなことないよ」
「ウソね。赤い髪の女の子が好き?」
唇を尖らせて身体を離すと、彼は「あぁ」といつものように気の抜けた笑顔を見せた。
「僕らの未来の娘かもしれないよ、フラン」
「寝ぼけてんじゃないわよ」
能天気頭に二発目をくらわしつつ、気付けばこっちまで笑っていた。
彼は確かな過去も未来も見せてくれない。でも不思議と、今、共に居るだけで十分だという気にさせてくれる。
あなたが私の腕の中に居る――それで十分だ。
「キヨハル」
「なんだい?」
「もしいつか居なくなる時は、私に黙って行かないで」
俯いたままそう言うと、私を見上げて、彼は蕩けるように笑った。
「行かないよ。僕のハートは君が握っているんだから」
気付いていたのだろうか。心のうちを読んだような発言にはっとしつつ、これが読まれる側の気持ちか、と苦笑する。
「行かないよ、フラン」
「約束よ」
そう――言ったじゃない。
白い花に囲まれて眠る姿は、たとえ両胸の鼓動を失っても、いつもと何ら代わりはなかった。
下がった眦をガラス越しに撫で、うっすらと色の残る唇に触れる。
「ウソつき」
ガラスの棺越しのキスは、あの日の温もりをかき消していった。
「#指定されたうちの子をキスさせる」みたいなハッシュタグより第一段。
あのキヨハルさんの眉間にシワ寄せられるのも、そこにキスできるのもフランさんだけだろうな〜って思って。
なんか書いてるうちに色々盛り込みたくなってしまった。
二人に子供は出来なかったんだろうか、とか、フランさんのサイコメトリー能力はキヨハルさんにも使えたのだろうか、とか…なんか書きだすとネタバレだらけになりそうだ。
結果、キヨハルさんは約束を守らず行ってしまったわけですが、
もしかしたら彼には全てわかっていたことかもしれないし、あの瞬間、「あ、フランにまだ言ってないのに」と思ったのかもしれない。
フランさんはきっと、棺の中の彼にありったけの罵詈雑言を浴びせた後、縋って泣いたのだと思いますよ。
泣いて、泣いて、涙も枯れた頃、自分が代わりにアンダーグラウンドを何とかしなきゃって、マルシェと話し合いに向かったんだと思います。
強い人だと思います、ほんと。アンダーグラウンドの本当の大黒柱は彼女じゃないかと思うよ。
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