弐.

龍真と約束を交わしてから、何事も起こらぬまま、ひと月、ふた月と、静かに時が過ぎていった。
貢物は確かに届いていたが、龍真が自ら持ってくることはなくなった。どうやら儂の眠っているうちに、家のものが森の入り口にひっそりと積んでいくのだろう。奴の親族といえど、さすがに鬼と盃を交わしたがる酔狂な奴はいないらしい。
夏があけ、森の木々が葉を落とし、落ち葉の上に雪が積もった。
瞬く間に年が明け、一年、二年。十年、二十年。そして百年と時が過ぎたが、いっこうに龍真との約束が果たされることはなかった。
最初の数ヶ月で、薄々解ってはいた。律儀に贈られていた貢物も、年を追うごとに回数を減らしている。今では誰一人として、東風家の人間はこの森に近付こうとはしない。
人の寿命が如何程か、いくらなんでも知っている。
龍真は死んだのだろう。そして人の子らは儂の存在を忘れた。
待っておれよ、と笑って逝った我が友よ。その言葉が儂らをどれだけ縛るのか、お前なら理解しておっただろうに。
人間の裏切りに対し、妖怪が取らねばならぬ手段はただひとつ。その“約束”を果たすことだ。



何百年と時が経とうと、鬼を見た人間の反応など変わりはしなかった。
こちらに向ける武器が火矢から銃へと変わろうが、人間の武器など鬼の体には何の効果もない。どれだけ威勢良く喚こうが、やがて命乞いをしながら逃げ惑うことになる。
蟻の子を散らすように人間の村を抜け、高台に建つ東風家を目指した。
騒ぎを聞きつけたのだろう。横に伸びた屋敷の中から、家族や使用人たちが我先にと転がり出てくる。
その中に、確かに龍真の血を引く男を見つけた。摘み上げてやれば男は悲鳴をあげ、許してくれと取り乱す。

「すまなかった、本当に鬼が住んで居るとは思わなかったんだ。一生かかっても今までの分を捧げるから、どうか、どうか命だけは」
「そのようなことはもうよい。儂は龍真との約束を果たして貰いに来たのだ」
「何のことか解らない。私はただ、鬼への貢物を絶やすなとしか。助けてくれ、助けてくれ」

赤子のように腕を振り回して泣きわめく男に、これ以上は何を言っても無駄だった。
龍真よ、お前の子孫はとんだ腰抜けに成り果てたぞ。

「龍真は儂にいつもとは違う贈り物をやると言っておったぞ。早くそれを寄越せ」
「知らないんだ、本当に、本当に。龍真様はとうの昔に亡くなられた。私たちは何も聞いていない。彼が大事にしていたという蔵も、死後は誰も鍵を開けられぬままで」
「ふん……どこまでも腹の立つ男よの。どれ、儂をそこへ案内せい」

龍真の子孫を摘んだまま門をくぐろうとし、びりりと体の芯を走ったものに足を止める。
龍真め、何が友じゃ。

「結界が張ってある。儂はこの中には入れぬ。ふむ……仕方ない。おい人間、しばし時間をやろう。よいか、人の暦でひと月後、約束の贈り物を持ってこい。もちろん酒もだ。今度この約束を破れば、龍真の代わりにこの土地の人間は全て我が腹の足しになると思え。逃げ出してみよ、地の果てまで追いかけて、お前を家族諸共噛み砕いてやるからな」

喉笛に爪をくい込ませてやると、男は金切り声で「必ずや、約束する」と叫んだ。
約束など、もう聞き飽きたわ。腰抜けを屋敷に放り入れ、門を閉める。
そして地面をひと踏みすると、ごうと地鳴りをあげて屋敷の周囲にひび割れが起きた。
もとより蟻一匹逃がすつもりはないため、蜘蛛の巣のように張り巡らせた妖気を使い、縄張りから人を逃がさぬ呪いをかけてはいる。
だがこうして目に見えるようにしておけば、よもや腰抜けも逃げ出そうなどという、愚かな真似もすまい。
しかし“見る”力もない、喚くしか能のない龍真の子孫を見ていると、腹の中でふつふつと燃えていた怒りも、まるで水をかけたように燻っていった。
くだらぬ、実にくだらぬ。人間とは、こうもつまらぬ生き物だったのか。
この男が龍真の図々しさのひと欠片でも受け継いでいたなら、もう少しかまってやっても良かったものを。
龍真との贈り物の約束がなければ、今に食い殺してやりたい気分だった。





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