その人は、毎朝大学に行くのに通る道にある花屋の店員だった。 藤色の恋 ボクが今の大学に通っているのはある人に毎日会うための口実作り。 いや、でも『会う』と言ってもボクが一方的にその人を見ているだけだから正しくは『見る』ため、だろう。 名前を『藤崎』という。 下の名前は知らない。 苗字を知っているのは彼がバイトをしている花屋で付けているネームプレートを見たから知っているだけ。 本当は話をしたり、ボクのことを知ってほしいけどそんなことは花屋の常連にならないと無理な話で、一人暮らしをしているボクには花を買うようなお金はないし、彼と話す勇気もない。 −−−ボクが一瞬で彼に恋をしてしまった様な、明るい笑顔を見てしまったらきっとすぐにこの気持ちを知られてしまうだろうから。 今日も学校に向かうために花屋の前を通る。 少しでも彼のことを見ていたくて、最初は便利だし早いからという理由で自転車を使って駅まで向かっていたが今は徒歩で駅まで歩くようにしているのだ。 ちょうど花屋の前にさしかかり中を見ると、彼の姿が見えない。 いつもならこの時間には来てるはずなのに、と思っていると後ろから「あ」という声がして、びっくりしながら振り返ると、あの、藤崎さんが立っていた。 「す、すみません! 毎日ここ通ってるなぁと思ってたんで! そんで今目の前にいたから、声勝手に出ちゃったみたいで! あぁぁぁあ…もー! 何言ってんだ…。」 わたわたと慌てて弁解をする姿があまりにも可笑しくて笑うつもりはなかったのに笑ってしまっていた。 「あー! 笑わないでくださいよー!」 「す…すみません、」 どうにか笑いを抑えて返事をする。 こんなに藤崎さんが近くに居るのに普通にしている自分に感謝しながら。 …嬉しい。 あの藤崎さんがボクのことを知っていてくれたのだ。 一人そんなことを考えていると 「ぇと、時間あります?」 少し遠慮がちに尋ねられた。 本当はこれから大学の講義があるのだが、それよりこっちの方が大事だと判断して(普段は休まず全て受けているし) 「はい」 と答えると店の中へ招き入れてくれ、しかもお茶まで出してくれた。 「さっきの話の続きしてもいいですか?」 さっきの話…。 思い当たらず首を傾げる。 「毎日ここ通ってるなぁと思ってたとかっていう話ですよ。」 その話か!と理解し、頷くと藤崎さんは話し始めた。 「最初に見たのは去年の夏、雨の日だったんです。 朝から凄い雨で夜になってもまだまだ強い雨。 皆傘が折れちゃって走ったりしてる中、一人だけ合羽着てゆっくり歩いてる人が…。 そんでその人がこの花屋に差し掛かった時にかなり雨が強くなってですね。 店に入って椿の花を見て笑ってたのが印象的で、ずっと覚えてたんです。 そのとき、話し掛けることを思い付かない程に見惚れてて…オレ。」 あぁ、ボクが初めて藤崎さんを知った日だ。 「まぁ毎日花屋の前を椿さんが通ってたからっていうのもありますが。 そしたらさっき裏から出たら目の前にいきなり居るから驚いちゃって…!」 興奮しつつも恥ずかしそうに藤崎さんは話す。 でも何かおかしい…。 違和感をふと感じて、少し考える。 そういえば今藤崎さんはボクのことを『椿さん』と言わなかったか…? ボク達は店に入ってからこの話しかしていないし、外に居たときに自己紹介もしてないはず。 「あの、藤崎さん。」 「はい?」 「…なんでボクの名前知ってるんですか?」 「え、あ、」 「いえ、まだ自己紹介してないのに何でボクの名前が分かったのかなと…。」 みるみるうちに藤崎さんは顔が赤くなり、俯いてこう言った。 「だからずっと話しがしてみたかったって言ってるじゃないですか…」 「え?」 よく意味がわからずに聞き返す。 「椿さんが友達と歩いてるときに呼ばれてるのを聞いて知ったんです!」 ボクは思わぬ告白をされてしまった様だ。 まさかここまで気にしてくれていたとは夢にも見ていなかった。 いや、見ていなかったというよりも『見れて』いなかった。 というよりそもそも友達と一緒にこの店の前を通ったのなんてきっと1度くらいしかないはずで、しかもそれはボクの記憶がおぼろげになるほど前の話しだと思う。 この人はボクをこんなに喜ばせてどうしたいんだ…! 肩を震わせていると今度は藤崎さんから質問をされた。 「でも…なんで椿さんもオレの名前を知ってるんですか?」 さっき普通に藤崎さんと呼んでしまっていたことに今更ながら気がつき、急いでネームプレートを見てみるが今日はちょうど悪くつけていない様子。 ネームプレートをつけてくれさえいれば「今見たんです」という言い訳が出来るがそれさえ叶わない。 ならば本当のことを言うしかないだろう…、と腹をくくってボクは話し始めた。 「今藤崎さんが話されていたその日にボクも初めてあなたを見たんです。 その時にネームプレートを見て、ずっと覚えてて…。 つまり…その、なんというか、藤崎さんとほとんど同じです…」 これは確かに恥ずかしい。 藤崎さんが言ってくれたからこそ今ボクが話せて、それでもこんなに恥ずかしいのだから実際に最初にこのことを話した藤崎さんはボク以上に恥ずかしかっただろう。 「うわ、困る……やばい嬉しい」 そう藤崎さんは言ったきり、黙り込んでしまった。 変な雰囲気のまま時間が過ぎる。 気まずい…と焦って声を出した瞬間 「「あの!」」 もろかぶった。 タイミングから何からかぶった。 「あ、椿さんからどうぞ!」 「いやいや、藤崎さんからどうぞ!」 「オレはたいしたことじゃないんで!」 「ボクのもたいしたことじゃないんで気にしないでください!」 「そんなこと言わずに!」 あまりにも藤崎さんが必死に奨めるので、ボクはついに口を開いた。 「また、ここに来てもいいですか?」 (貴方に会いに来てもいいですか?) |