あれから5年。

俺は平和島静雄という人間を頭から排除するため、研究に没頭する生活を送ってきた。
まるで気違いのように毎日部屋に篭って実験を繰り返し、教授と議論を交わす。

でも、どんなことをしようとも結局最後には彼のことを考えてしまう自分がいた。
自分はあくまで一個体、つまり特定の人間を好きになることはないと思っていたのに。
人生なにが起こるかわからないとはこういうことか。

「池袋は変わったけど、やっぱり変わってないね…。」

誰に話し掛けるでもなく、言葉を漏らす。
多くの思い出が詰まったここは俺が発つ前と変わらずに人が溢れ、喧騒の中心となっていた。
もちろん所々に見覚えのないビルや店がありはしたが、全体的な変化はほぼ無い、と言っていいだろう。

「あ、」

人込みに紛れ歩いていると、これまた卒業した日を思い出させるように雨が降り出した。

生憎、今日も俺は傘を持っていない。

完全にしくったな、と急いで近くにあるコンビニに駆け込む。
入口付近にドレッドヘアのホストみたいな男とバーテン服を着た背の高い男がたむろしていた。
まだ昼間なのにご苦労なことだ。

降り出したばかりだからか、入口にはビニール傘が置かれておらず、雑誌棚とコピー機の間なんていう微妙な位置にあった。
レジでちょうど500円を払い、店から出る。
ジャンブ傘ならではの開いた時のぱんっ、という渇いた音を聞き歩き出そうと片方の足を上げた瞬間、後ろからいきなり抱きしめられた。

「ちょっと!なにすん、」

咄嗟に俺の前に回された腕を渾身の力で掴む。
けれどその腕は全く緩むことはなく、寧ろ、より力強く抱きしめてくる。

「臨也…!」

そして耳に吹き込まれた掠れ気味の声に、体が強張るのを感じた。


間違いない。
―――間違える訳がない。


「っ!………し ず、ちゃ 、」

どうして気付かなかったんだ。
いくら後ろ姿だったからといって、気付いてもおかしくなかったはずなのに。
バーテンなんて、卒業した時と変わってないじゃないか。
髪だってあの頃と変わらず、痛んでぱさぱさしているくすんだ金色のまま。

「……手前、あれはないだろ。」

「…」

「俺の話、これっぽっちも聞かねぇで、勝手に俺の前から消えやがってよ……!」

必死で怒りを堪えようとしている声が聞こえる。

「…っ、」

「ふざけんな、この阿呆。」

「ご 、め、」

俺の肩口に顔を埋める横顔を向いて謝ろうとするけれど、そのとき肩がじんわりと湿り、黒いコートが一部だけ更に黒く色が変わっているのに気がついた。

シズちゃんの瞳から、涙、が落ちている。

「どれだけ俺が手前を探し回ったと思う。どれだけ俺が手前を心配したと思う。どれだけ俺が手前の帰りを待ってたと思う。」

「ぁ…、」

「どれだけ俺が………、手前を、好きだったと思う…?」

「…………ごっ、め、ん な…さい!…ごめ ん、……!」

結局、卒業式の日、俺は逃げただけだったと今更ながらに気が付いた。
シズちゃんから冷たい目で見られるのを何よりも恐れていた癖に、小さい子供みたいにただ自分の気持ちを一方的に押し付けただけ。
好きだと言いつつ、何も考えていなかった。

なのに、そんな俺を今でも好きだと言うシズちゃん。

馬鹿だ。
俺もシズちゃんも、馬鹿だ。

「もう、絶対、俺の目が届かない所へ行かないでくれよ、臨也……なんだって言いたいことは言ってくれて構わないから…!」

「うん、…うん!…ほんと、ごめん…ね、シズちゃん……!」



コンビニの前。
真新しいビニール傘はコンクリートへ転がったまま、二人が冷たい雨の中、何よりも温かいキスをしているのを静かに眺めていた。





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