短編 | ナノ


いつも騒がしい道場。
どたばたと走る音。叫び声。ブンブンとひたすらに竹刀を振る音や掛け声、笑い声まで。全部が混ざって、一つの聞き慣れた音になっていた。


皆の休憩場所、川辺や小池。
バシャバシャと水を掛け合い、まるで子供のようにはしゃいでいるあの人達に、スイカを差し入れることにした。暑い中ご苦労様の気持ちと、あの人達の中に混ざりたい、でも混ざれない、少しの嫉妬を込めて。


総ちゃんが笑う縁側。
そこには必ず近藤さんが居て、少し離れたところに、いつもの通り不機嫌な顔をした十四郎さんが居る。その平和な光景は当たり前の日常。



……だった。





の足を追いかけて








暖かくてずっと浸っていたいそれらの思い出は既に過去形で。これから先、永遠に見ることが出来ないもの。
そんなこと、重々承知の上で、覚悟をした上で、皆を見送ったつもりだった。だけど、そんな当てつけの覚悟なんてあってないようなものだと、最近身をもって知った。

気付けば朝食を二人分用意してしまう。そして、あぁ、もう総ちゃんは居ないのだ、と現実を突きつけられる。
気付けば道場の前で耳を澄ましている自分がいる。もうそこからあの人達の声がすることなどありはしないのに。
気付けば皆が居た思い出の中にいる。もう決めたことなのに。江戸に行き、一旗あげる皆をここから応援するって。

今更ながら、自分はこんなにも未練がましい女だったのかと思う。
下級とはいえ、武士の家の娘として育ち、ある程度の覚悟はしてきたつもりだった。総ちゃんも、近藤さんも、皆、男だ。いつか故郷を出、御上のために一旗あげる日が来るかもしれないことを。
これもまた、当てつけの覚悟だったのだ。


今も、街から家への帰り道に、もしかして誰か迎えに来てくれるのではないかと、どこかで期待している自分がいる。
総ちゃんが近藤さんに連れられて、道の向こうから手を振って走って来るのではないだろうか。
仏頂面の十四郎さんがふらりとやって来て、さりげなく荷物を持ってくれるのではないだろうか。
もう過去のことと分かった上で、まだ、あの頃に戻りたいと思う自分がいた。


誰もいない家。扉を開けたって、誰も迎えてくれないのは分かっている。
それでも、何も言わないのは寂しすぎるから。誰もいない家に「ただいま」と言って入った。
シン…と静まりかえった家の中。私の声だけが妙に響いて、よけいに虚しくなった。

その時だっただろうか。外から総ちゃんが呼ぶ声が聞こえた気がした。近藤さんの大きな笑い声も聞こえた気がする。その中に混じって、微かに十四郎さんの声も。
まさか、と思いつつも、家を飛び出さずにはいられなかった。
その声が、あまりにもリアルだったから。

外へ出た瞬間、自分の目を疑った。
いる。確かに皆がいる。こっちに向かって笑いながら手を振っている。



…なんてことはあるはずもなく、やっぱり外には私独りで。見上げた赤い空には、カラスが番で山の方へと飛んでいた。




…手紙を書こう。


何の前触れもなく、そんな考えが浮かんできた。

でも、今はまだ駄目だ。未練たらたらな文を書いてしまいそうだから。
そんなことで、あの人達に気を使わせたくない。あの人達に後ろめたい思いをさせてはいけない。
きっとあの人は、十四郎さんは、私の幸せを思って連れていかなかったのだから。だから私は、あの人達を後ろからそっと見守って、微笑んでいるべきなのだ。あの人達がいつ振り返ってもいいように。

手紙には、激辛せんべいでも添えておこう。きっと皆食べれないだろうけど、それで構わない。
ただ、私のことを忘れないで欲しいだけ。皆の中で過去の人になりたくないだけ。…そんな我が儘だから。


願わくは、十四郎さんの目にも触れますように。そして、少しでも思いが伝わればいい。
私にはやっぱり貴方しかいないんだ、と。これまでもこれからも、本気で愛せるのは貴方だけ。


だけど、口にはもう二度と出さない。きっと、お互いの道を邪魔するだけだから。





再び見上げた空には、一番星が光っていた。