だが、その殺気がそれ以上交わる事はなかった。
「シーヴァ」
少年が静かに男の名前らしきものを呼んだのだ。
それを合図に、男が拳銃から力を抜いたのが分かった。
「イーグル・カンパニーは無関係です。殺す許可はおりませんよ、元帥」
「ちっ。分かってる」
男は忌々しそうに舌打ちすると、拳銃を腰に直し、踵を返した。
「漏れた情報は排除した。……帰るぞ」
「はい」
堂々と背を向ける男。それは虎南達が攻撃しないと分かっているのか、それとも余裕なのか。
どちらにせよ、男は振り返る事なく、その場を去っていった。
だが、少年の方は返事はしたものも、その場を動く気配がない。真っ直ぐこちらを見据え、ゆっくりと薄い唇を動かした。
「もう二度と、会わない事を願いましょう。……殺しは、したくありませんから」
小さく頭を下げ、少年も踵を返してしまった。
その瞬間、月明かりで見えたのは『F』のエンブレム。
「何なんだ、あいつら……」
呆然とした様子で泉兎は二人が消えていった方向へと呟く。
それと同時に、虎南は思い出していた。
『F』のエンブレムと言えば……。
「ファンタスティック」
「え?」
「あいつら」
今記憶から飛んでいたが、黒い軍服に赤い字の『F』と言えば有名だ。
ただ、暗かったため、軍服だったかどうかは定かではないが。
「あの超大規模な国際連合軍のことか?」
泉兎だってその名は知っている。
虎南は頷いた。
「何にせよ、そのCD-ROMはファンタスティックの情報だったみたいだな」
もう無駄になってしまったが。
「どうする?」
これでは任務は成功とは言えない。だが、どうする事もできないだろう。
「あの様子だ。きっと情報は全部始末されてるだろう」
「だよなぁ。あーあ、仕方ねぇや。帰るか」
泉兎は大きく伸びをした。
その相棒を横目に虎南は溜息をつく。
帰れば大量の報告書が待っている。
泉兎はCD-ROMを壊されたと言うのに、なぜそうも呑気なのか。今日は寝れないかもしれないと思えば、虎南は気が気ではなかった。
だが、今は泉兎を責める気にはならなかった。仕方がなかったと言えば仕方なかったのだから。
ただ、CD-ROMを壊した張本人である、あの二人組だけは許せない虎南だった。
「あー、体のあちこちが固まってる」
あれから丸二日。
二人は報告書の山と戦った。そして、書類と戦い始めて、二日目の昼、ようやく勝てたのだ。
ずっと座っていれば、肩もこるし、体のあちこちの筋肉が固まってしまってもおかしくはない。
唯一の救いは、今日が休みだと言うことぐらいか。
「何なんだ、あの書類の多さは!」
「お前がCD-ROMを壊されるからだろ」
「あれは、その……仕方ないだろ!」
「……」
弁明する泉兎を溜息で虎南は受け流す。
油断していた自分のせいもあるのだから、相棒一人に責任にはできない。
「まぁ、久しぶりの休みだし、今日は羽のばそうぜ」
「あぁ。だから、今日は外食なんだろ」
料理が泉兎のマイブームと言えど、疲れ果てた彼に今日の昼食を作らせる気はなかった。
久しぶりの外食だ。
「なぁ、何食う? 俺的には結構がっつりしたもん食べたいんだけど」
「そうだな。ここ二日ろくなもん食ってないしな」
飯の時間ですら惜しんで仕事をしていたのだから。
思い返せば、疲れがどっと押し寄せる。
考えなければ良かった、と頭を振る虎南に泉兎が「あ」と声を漏らした。
「どうした?」
「や、すげぇ美味しい匂いがするから」
確かに。
何か香ばしい匂いがどこからかする。
「そこの家からか?」
そう言い指差す泉兎の指先には、豪邸。
指差してから泉兎は固まった。その横で虎南がいたって冷静に言う。
「あれだけの金持ちなら、良い飯が出てもおかしくはないな」
良い匂いが漂ってきても、変ではない。
「で、お前は何してんだ」
家にやっていた視線を泉兎に戻した虎南の第一声は、呆れた声色だった。
なぜなら、泉兎がその豪邸の門に張りついていたからだ。
呆れる以外にどうしろと言うのか。
「どんな人が住んでるのかと思って」
思わず、虎南の口から溜息が零れ出た。
「……知ってるか?」
「ん?」
「お前がしているそれは、覗きって言うんだ」
「な! 別にやましい気持ちがあるわけじゃないんだから、良いだろ!」
良くない。
だが、よほど疲れていたのだろう。虎南は言い返す事はしなかった。
そんな時だった。
「人の家の前で何騒いでるんですか。近所迷惑ですよ」
「!」
突然の数日前に聞いた声に二人は驚きを露にする。
言い合いをしていたからか、全然気付いていなかったのだ。いつの間にか、背後にはビルで出会った少年が立っていた。
「お前、この前の!」
「何やってるんですか」
不躾にも指差す泉兎に、少年は不機嫌そうに表情を歪ませる。
「泉兎が匂いにつられていただけだ。騒がしくして悪かったな」
冷静に虎南は少年に対応する。
今はどちらもプライベートだ。争う理由もないだろう。まだ彼らに仕事を増やされた、と言う意識はあるが。
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