部屋の壁にかけられたカレンダーに書かれているのは
“お帰り、はじめ”と

はじめの字を真似て書いた私の字だ。




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はじめとは、もう五年のつきあいになる。
大学生のときに 同じ学科を専攻していたはじめのことは
ただの同じ学科で、口数の少ない少し冷たそうな男の人という印象だった。

…そして、沖田君とは仲がいいみたいだから余計それに拍車をかけて
私にとって彼は、近寄り難い存在だった。






そのころの私には、ある日課ができていた。

大学の裏手に、一匹の子猫が捨てられてることに気づいた私は
行き帰りの際に、その子猫に、餌を与えたりしていた。
時間の許す限りその子猫の傍にいた。





『私が飼ってあげられたらよかったのに…』





最近の悩みはそれだった。
来れない日もあるのに、こんな中途半端に接 してしまったことに
後ろめたさを感じてくるようになったの。

子猫を箱から抱きかかえて、その薄碧の瞳を みつめる




『…そういえば君……、名前、まだだったね』




“何がいいかな” そうつぶやきなから、子猫を箱に戻す。
家からもってきた小皿に、さっき買ってきた缶のキャットフードをのっける。


“また、来るよ”

そう言って、振り返るとまた期待をさせてしまうから
またいつものように走って帰った。



“明日も来るよ”…そう言わないのは
その明日に、私が子猫のところへ行けなかったときの
罪悪感を少しでも和らげるため。






『……あ、名前……………』





その日も、大学へ向かう朝
いつもの通り子猫のもとへ向かった私は
ある光景に目を見張った。





『……斎藤、くん』

「………!!名前か…」





はじめが、そこであの子猫を抱きかかえていた。

ネコ、好きなのかな。
いつから、気づいていたのかな。


私の名前、ちゃんと知ってたんだ。







『……可愛いよね、その子猫。三週間前らいから、そこに…』






はじめに近づいて、抱っこされているその子猫の耳元を指で撫でる。
子猫は気持ちよさそうに目を細めた。







「……あんたが、ずっと…」

『ん。そう』







はじめは、子猫から
私の持つスーパーの袋に視線を移していた。







『残酷なことしてるのは、分かってる。子猫のため、施設にも……でも…。』

「…俺はあんたが、残酷などと思っていない。 」

『………』

「…俺には、あんたの考えのどれが正解かは分 からん。人によっては、あんたの言うとおり 残酷だと思う奴もいる。……だが、その子猫がいま、こうして安心して眠るこの場所を、俺 は壊したくはない。」

『………。』






はじめのことばは 少し、私の首もとをギューギューさせた。



それからは、大学が早く終われば一緒に
ズレたり予定が合わないときは、行ける人が子猫のお世話を。
自然とそういう流れができていった。

それは、子猫をみつけたときには全くもって想像していなかった出来事で

そして、はじめに対する印象も
初め抱いていたものとはかなり、変わっていた。







『ネコくん』

「…先日までは、子猫ちゃんと呼んではいなかったか?」

『いーの。この子、もう子猫じゃないと思うし。』

「だから、ネコくん…か。」







“猫にネコか、…案外悪くもないものだな”

そう言って笑うはじめに、私はだんだんドキドキしていった。


それははじめも同じだったみたいで、私たちが付き合うようになるのにあまり時間は要さなかった。


あまり喧嘩のないカップルだったと思う。
むしろ、仲の良いカップルだとよく言われるくらいだったから。

私とはじめが、大学を卒業して別々の会社に入社したころ
はじめの提案で 私たちは同棲をはじめた。

慣れない会社勤めから帰宅すれば大好きな人に会える。

その大好きな人も、同時に癒すことができる。

たったそれだけのことだったけど
確実に私は、はじめとの愛を確認できていた。

…でも

順調かに見えたはじめとの恋はだんだんと掠れはじめてきていたの。








『………今日も?』

「…あぁ。すまない、また埋め合わせはする」







お互いに仕事ですれ違いが生じ スケジュールがあわない。

同じ家で暮らしているのに 見たいときに、相手の顔を見ることも出来ない。

一緒にいる時間が少ないから
寂しさを埋めることも出来ないし、術も知らない。

そんな毎日の中での







「……名前、すまない。」

「お前と、これきりなどにはしたくない。だから………待っていてくれ」








こんな状態で転勤話しだなんて狡い。

中途半端に突き放すくせに
私に別れは告げないだなんて。

狡い。




今年のカレンダーの、隣に飾られた昨年のカレンダー
その今日の日付のところに書かれた文字は その時 駄々をこねた私を落ち着かせるために
はじめが私の手に自分の手を重ねて、書かせ たものだった。

はじめは、一年なんてあっという間だと言った。

でも私の一年は、耐え難いものだったよ。



はじめが本社から 一年の転勤を言い渡されて

今日がちょうど一年


今日、帰ってくるんだ
はじめは、あの約束を忘れず

私のもとに帰ってくるんだ。





『……………ふぇ、…ぅ、…ズ………』




でも、はじめからは 何の連絡もない。

いつ、帰るとも
転勤が延びたとも

新しい女ができたとも

今から、帰るよ………とも。




『……………、』

「目が覚めたか、」

『は、じめ…?…………はじめっ…』





待ち疲れてしまったのかもしれない。
目が覚めるともう、翌日の朝で

はじめが、帰ってきた





『はじめ……おか、え』

「名前、話しがある」







はじめは、私の手をひいて寝室をでた。

テレビを正面に配置した
ソファに私を座らせる。

一体なんの話しか
はじめの表情がいつにも増して真剣そのものだから


悪いほう 悪いほうと
そんな考えしか浮かんでこない。









「……この一年、よく考えたのだ、………お前とのことを」










そっか

はじめは、考えたんだ
私たちのこと

私が、はじめに会いたいと思っているあいだ

はじめはこの一年、一人じっくり考えて
結論をだしてここに来たんだ。

帰ってきたわけじゃないんだ。









「離れてみて、よく考えることができた。…」








お帰りも言わせてもらえない
だってはじめは、ここに帰ってきたわけじゃないからだ。








「俺は、お前と…」

『もう、いいっ……』








はじめの言葉を遮った。








『もう分かったから、だから……』








はじめの口から 別れの言葉なんて聞きたくない。







『…………ぇ…』

「…………」





何がおこったのか 分からなかった。

ただ、もう随分と前に感じた
はじめの匂いと、はじめの温度が私を包んでいること。







「…何が、分かったんだ?」

『………はじめ、苦しい…』

「答えろ、俺の言葉を遮ったんだ」








相変わらず声のトーンは低いままで
私の背中にまわる二つの腕は、力が強まるばかりで。







「名前、」

『はじめ、だって…結論でたんでしょ?』

「結論、だと?」

『私と離れて、やっぱり私がいると重荷だって 気づいて……よく考えて…』

「……」

『私に、別れ話しを…しに、…………きゃっ ……!!!』

「やはり、何にも分かってないではないか!」

『えっ、…はじめっ……』








はじめは私の手首をつかんで
私の肩を強く押して押し倒した。








「俺がいつ、あんたに別れ話しなどするといった!」

「この一年、俺はどれだけ!……どれだけ、名前に会いたかったか……」

『は、じめ……』

「……気に入ってもらえるかは、分からんが…」









そう言って、はじめは私の手を握る
そして ポケットから小さな箱を取り出して
その中のものを

私の指に、はめた。









『はじめ、これっ………』

「指輪だ。それを頼んでいてな、それで今日は少し遅くなってしまったのだ。…」






そう言うとはじめは、私の顔を覗きこんだ。

私が黙り込んだことに、少し何かを感じたらしい。






「……気に入らなかった、か?」






眉を下げて、私をみつめるはじめ
私は、右手で左手を胸の前で包むようにして、首を左右に振った。

その様子にホッとしてのか
はじめは少し息を吐いて、ソファの背もたれに背中を預けた。

何か言いたげな私の視線に気づいたはじめは 、起き上がり
私の目に溜まった涙を、自分の指で拭ってくれた。








「寂しいおもいを、…させてしまったようだな、俺は……」

『………』

はじめの声に、私は首を振ることで精一杯 だ。
涙が、服や指輪や手を濡らしていく。







「一年。俺は名前に、一年はあっという間だといったが…」





はじめは、私の手を握りしめた。






「名前のいない一年が、こんなにも…満たされないものだとは………初めて思い知った。」

『…………っ…ふ…………ズ…ん』

「今度は、寂しさなんか感じさせはしない。 一生を共にしよう」






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「名前、俺と………結婚、してくれないか?」





これからは 背中にあるこの腕が

私を
安心させてくれるんだ。










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