静かな夜 ────文久三年。 月明かりに、黒装束を身に纏う人影が 音もなく現れた。 黒く長い髪を、高い位置に一つに纏めている。 その髪がゆらゆらと揺れるたび屋敷に注がれる月光が、反射していた。 影は屋敷の屋根に降り立った。 そして、先にいたもう一つの影に話しかけられる。 「…深玲君、君のわりには、遅かったな」 『……ちょっとね。』 「………」 『山崎くんこそ、いつもと動きがちがったけど。脇腹、やられてない?』 自分と話す深玲が 言葉を濁したことに眉を寄せた山崎だったが 次に降ってきた、血を匂わす言葉に 一時目を丸め、思わず笑みを零した。 二つの影はやがて ある一つの部屋の前へと落ち着く。 部屋の襖からは 僅かに灯りが漏れていて、中の人物がまだ 休息をとっていないことが見受けられた。 それを確認すると 深玲は、微かに眉を寄せる。 ──────この人は、ロクにまた休んですらないんだな。 任務帰りには、毎度毎度こんな状況を目にする。 そして、そのたびに眉を潜める深玲を、山崎もまた毎度毎度目にするのだ。 『…………俚森です。只今戻りました。……土方副長』 「……入れ。」 凛と、響いた声の持ち主は、部屋の中の人物の許可を得て 小さくため息を零した。 後ろを振り返ると、山崎はもういない。 深玲は部屋の中へと姿を消した。 『…これが、報告です。』 「ご苦労だったな。」 『詳しいことは、山崎くんに聞いて下さい。』 報告資料に目を通しながら深玲と話す土方に、こう告げた。 「どうしてお前と、任務の違う山崎が一緒なんだ」 『いや、それも面倒なんで』 「答えろ。」 有無を言わさない土方の鋭い視線くらい 別に痛くも痒くもないが これ以上、任務を増やされてはたまらない。 『途中であったんです。帰りに。』 「…それだけか?」 『……少し、乱闘しました。』 山崎にはバレなかった肩の傷 でもこの人にはバレた。 着物の切れ口に、黒くなった血がついているのだ。 「………倒幕派か?」 土方も、その傷に触れてこようとはしないが 目線は常に そこに感じる。 『残念』 深玲という“女”は 新選組鬼副長を前に、口を弧に描いて綺麗に笑う。 『ただの、浪士だけです』 …────そしてそれから半刻が経つと黒い人影は、部屋を去った。 任務にいくまえにいた、自分の部屋へ向かっていたのだ。 『…動いた』 屋敷の中の人間が、二人…三人 動き出した。 『……いや、違う』 六人…だ。 最初の気配はあいつら… そのあとの三人は、 『……言ってくれたらよかったのに………』 ……騒がしい京のある場所で 血に濡れた浅葱の人影と 明らかに拘束された姿の少年が 屋敷に戻って来たことは ─────それから 程なくしての出来事。 『…私も、行きたかったなぁ』 柱に寄りかかりながら、己の右肩に手を添える。 スルッと着物をずさせば白い肩が露わになった。 スーッと、赤い線が残るだけ。 傷なんてもう 残っちゃいない。 土方さん、あなたはこんな傷にも心を向ける。 『傷なんて、ないんだよ…』 ───土方さん、 ここの人たちは ありもしない私の傷にも、心をいためる。 『……………優しいよ、ここの人たちは。』 back |