2020/03/30
- Side. A - おれは前世で早死にしたらしい。 だからなんだという話だが、おれの兄弟だと宣うこの男──サボというらしい──にとっては、随分と大事なことらしかった。 サボは街中でおれを呼び止めた。やわらかそうな金髪を振り乱し、おれに追いついたコイツは、震える声で何度もおれの名前を呼んだ。 とにかく参った。なんだって、知らねェ男が、おれを見ながらぼろぼろと涙を零すんだか。うわあ、とおれがドン引きしたのも、無理のない話だ。 できることなら関わり合いになりたくねェ。 ……それだというのにおれときたら、話がしたいだとかというコイツの提案に、気がつくとつい、こっくりと頷いていた。 しまった。と、思った時にはもう遅かった。 だからおれはせめてもの抵抗の証として、連れて行かれた喫茶店のテーブルを、食べ物の皿で埋め尽くすことに決めたのだった。 「……それで、おれ達三人は盃を交わしたんだ。あの日のことは、今もよく覚えてるよ」 カチャリ。 コーヒーのカップを置きながら、差し向かいに座るサボが、長い脚をゆったりと組み直す。それがまた、妙にサマになる男だった。 面白くねェな、と思う。おれがそれを真似したら、間違いなく鼻で笑われるのに。たとえば、マルコあたりに。 「ふうん……」と、おれは雑に返してやる。 サボは身を乗り出して、何かを確かめるように、おれの目の中を見た。 「どうだ、エース、何か思い出さねェか?」 「いや、なんも」 「これっぽっちもか?」 「これっぽっちもだ」 「そうか……」 サボは、あからさまにがっくりした。 そんな奴の様子に、なんだか、いたたまれない心地になる。 おれは皿を下げるウェイターにお冷やを頼み、つまようじで歯をせせりがてら、眼前で肩を落とす姿に、「あのよォ……」と、切り出してみることにした。 「なにもよォ……そんなふうに、前世ってヤツに、こだわる必要はねェんじゃねェか?」 「こだわる?」 おうむ返しする声に、「ああ」と応じる。 「お前のソレが本物だとしてもだ。もう終わったことだろ。そんなの忘れちまって、自分の人生、生きろよ」 ああ、おれ今、結構いいこと言った。 自画自賛に浸りながら、どんなもんだい! と奴に目をやる。 ギョッとした。 苦しそうな顔だった。青い目を見開いて、唇をきつく引き結び、何かに耐えているかのような。 それからサボは胸元のシャツを、押さえるようにして鷲掴んだ。もし布地に意識があるのなら、今にも悲鳴を上げそうなくらい、シワクチャのメチャクチャに。 おい……と、見かねたおれが声をかけるよりも早く、サボが微笑んだ。 「それは無理だ。……ごめんな」 へたくそな笑顔だった。笑ってるのは口元ばかりで、眉も目尻もべそをかいていた。 サボはほんとうに、泣き虫な男だった。 おれはサボにペーパータオルを押し付けながら、そっぽを向いた。 「……謝るなよ」 「そうか。すまねェ」 「謝るなって。男だろ」 「関係あるのか?」 「……男はそう簡単に謝らねェし、泣かねェもんなんだよ」 「昭和の親父臭ェぞ、それ。……でもよ、エースらしいな」 サボはそう言うと、ニッと白い歯を見せた。 今度こそ上手く笑ったその顔に、おれは唐突に既視感を覚える。 キィン──。 金属を叩いたような、耳鳴りがした。目の前が白く染まる。 気がつくとおれは、どこかに立っていた。いや、どこかじゃあない。おれはここがどこなのか、よく知っている。船の上だ。 見渡す限りの空の青。遠く向こうには白い雲が浮いている。がぶつく波が足元を揺らし、頭上には太陽。ここではいつだって、強い日差しが肌を焦がしていた。目を閉じれば鼻をくすぐる磯の香り。 すべてが泣けるほどに懐かしい。 ずっと、海に焦がれて生きてきた。 「エース……!!」 誰かがおれの肩を掴んで、揺さぶっていた。 はっと顔を上げる。 目の前にある青い瞳、金色の髪。おれを心配そうに見るこの顔立ち。 「サボ……?」 「大丈夫か、エース。お前変だったぞ。急にぼーっとして……どこか悪いのか?」 言いながら、おれの汗ばんだ額に手のひらを当ててくる、この男は。 「……サボーー!!」 「おわっっ!?」 がたん、とテーブル越しにサボの肩に抱きつく。卓上のカトラリーが衝撃で落ちかけているのが目の端に見えたが、それよりも今はサボだった。 サボが生きている! しかも、でかくなって! 突如としておれに抱きつかれたサボは、当然ながら成り行きが掴めないようだった。わけもわからない様子で、片手で落ちかけのカトラリーを支え、反対の手でおれの背中を「どうどう」と撫でさする。 猛獣使いか。思わず、脳内で突っ込んだ。 急に頭が冷えた。客観的に今の自分達の姿を想像する。喫茶店で抱き合う男二人。ひどいもんだ。 そそくさと体を離し、椅子に座り直したおれを見つめて、サボが口を開く。 「もしかして、エース……思い出したか?」 おれは頷いた。 「ばっちりな。サボお前、成長したらなかなか男前じゃねェかよ」 「ああ……そうか。エースはおれが生きてるって知らないまま、死んじまったもんな……」 サボが自分を見下ろしながら、呟く。 返事に困った。前世を思い出したばかりで、死に際について語れるほどには心の整理がついていない。 おれは咳払いして、サボに拳を突き出した。 「ともかくだ。……また会えて嬉しいぜ、サボ」 「おれもだ、兄弟」 拳と拳を合わせて、ニッと笑い合う。 コルボ山で盃を交わしたときと同じような、晴れ晴れした気分だった。 互いにひと通りの近情を話し終えたのは、追加注文したメロンソーダを飲み切るのと同時だった。 ズコズコと空気ばかり吸うストローから口を離して、「そういえばよ」とサボに目をやる。 「ルフィの奴はどこだ?」 おれ達の弟だ。おれやサボが生まれ変わっているんだから、当然、あいつもいるに違いない。 期待を込めたおれの言葉に、サボは残念そうに首を振った。 「……分からねェ。あちこち探しはしたんだが……」 「よし、探そうぜ。お前一人じゃ無理でも、二人ならなんとかなるだろ」 「そうだな。エースがいてくれて心強いよ」 そう返すサボがずいぶんと嬉しそうにするので、おれはつい、恥ずかしい気分になる。 「……おめェ小っ恥ずかしいこと言うのは相変わらずなんだな」 「そうか?」 無自覚らしかった。不思議そうに首を捻っている。 まあいいや、とおれはポケットからスマホを取り出した。 「早速だがよ、ルフィ探しだ。詳しいことはまた連絡すっから、サボ、LINE教えろ」 連絡先を交換し終えたおれは、そのまま真っ直ぐ家に帰った。自室のベッドに仰向けに寝転がりながら、二人の兄弟について考える。 前世で先に死んでしまったと思っていたサボ。それが生き延びて、革命軍として自由のために戦っていた。 そしてルフィ。ルフィはおれが死んだあと、海賊王になれたのだろうか。サボは「ルフィに直接聞けよ」と答えてくれなかったが、あいつのことだ、成し遂げたんだろう。 それにしても、頭の隅がモヤモヤした。 おれにはどうも、記憶の中のルフィの他に、別のルフィを見たことがある気がしてならない。前世ではない、今世で。 「すぐここまで、出かかってんだけどよ……」 こめかみを指の腹でさすってみたが、さっぱり思い出せなかった。むしろ思い出そうとすればするほど、遠ざかるような気さえした。 「あー! やめだ、やめだ!」 ベッドの上で寝返りを打って、目蓋を閉じる。わからないことは寝て起きれば解決するというのが、おれの長年の持論だった。 シーツの柔らかさを堪能しながら、とろとろと気持ちのよいまどろみに沈んでいく。 そうやって眠りに落ちる寸前、ふと、雷のように閃いた。 「新聞! 県大会の!」 がばっと跳ね起きて、部屋の隅のプリントの山を崩しにかかる。そう古い新聞ではないはずだ。この山の、おそらく、真ん中の辺りに……。 お目当てはすぐに見つかった。シワクチャの新聞を床に広げて、記事のひとつを丹念に眺める。モノクロの小さな写真に写る、黒髪の少年。そいつはトロフィーを抱えながら、満面の笑みで、カメラに向けてピースサインを作っていた。 「ルフィ……!」 思わず声が漏れた。こんなに近くにいたのか。 とにかく、サボに知らせねェと……。 おれはすっかり高揚して、ベッドに放り投げたままだったスマホに手を伸ばした。 |