幼い時分から、槍を振るうと自然と無心になれた。
たとえばどんなに悔しいことがあったとしても、槍を手に鍛練に打ち込んでいると、いつの間にか穏やかな心地を取り戻せていた。趙雲にとっての槍は、自らの意思を貫くための道具であると同時に、心を安定させてくれる相棒と呼べるようなものであった。
それがここのところ、どうにもうまくいかない。
どれだけ槍を持って汗を流しても、荒れ狂う心は少しも落ち着いてくれない。むしろ、胸に宿った炎の勢いがますます盛んになっているような気さえする。
原因は分かっている。
あの日出会った、あまりにも強烈な存在。
劉備玄徳。
彼の人の姿が、趙雲の胸を溢れんばかりに占拠しているのだ。
初めて顔を合わせたのは暫く前のこととなるというのに、その時の己の心情を、未だにどう表現すればいいのか分からない。
それぐらいに、趙雲の頭も体も心も、全てが揺さぶられた。

(ああ、自分はこの人に会いたかったのだ)

自然と心に浮かんだ想いは、決して気の迷いなどではない。彼の行く道を切り開くために自分は槍を持つのだと、確かにそう思った。
けれど、そのまま共に行くことは劉備によって許されなかった。出会う時が少しでも早ければ、とどれだけ臍をかんでも現実は変わらない。己の全てを捧げる人は、出会った時と同じように呆気なくいなくなってしまった。
それでも挫けることがなかったのは、再びまみえた時には、と残してくれた言葉があったからだ。
再会できたときに恥ずかしくないように、趙雲は今まで以上に鍛錬に励んでいる。
だが、どうしても考えてしまう。
なぜ、自分はいま、彼の傍にいれないのかと。今も何処かで戦うあの人のためにこそ、槍を振るいたいと。
それは、ただただ純粋な願いだ。しかし、僅かな迷いが死に直結する戦場に持ち込むには雑念でしかない。彼に再び会う前に命を落とすなんて、想像するだけでぞっとする。
だから、趙雲は己を戒める意味も込めて、今日もがむしゃらに鍛錬に打ち込んでいる。これまでの経験で、槍を握れば迷いは消えると分かっているのだから。
けれど、今回に限っては頼もしい相棒も役には立ってくれなかった。むしろ槍を振るえば振るうほど、劉備への想いが増していく。
いつ再会できるのかなんて、わからない。約束すら交わさなかった。それが余計に焦燥を駆り立てる。

「破っ!」

気迫を込めて、槍を真っ直ぐ前へと突き出す。槍を立て掛けて顔を拭うと、布が汗を吸ってぐっしょりと重さを増した。ふうと息をつくと、体温が高いせいか白く揺れて空気に溶けて消えていく。
胸に巣食う感情もこれぐらい簡単に吐き出せてしまえば楽になるだろう。けれど、それを伝えたい人はここにいない。
見上げれば広がる満天の星空は、きっと彼の人の頭上まで繋がっている。そう思うと少しだけ、胸のつかえが軽くなった気がした。

「…劉備殿…」

いつか直接この想いを伝えられる日が来ても、すべてを伝えきることはきっとできないだろう。自分が武芸以外は不器用なことを、趙雲は自覚している。
けれどもし、ほんのひとかけらでも受け取ってもらえたならば。どんな戦場にだって、我が身を顧みずに飛び込んでいける。
悲哀を期待と希望で包み込んで、趙雲は再び槍を手に取った。


貴方の心臓の中で息がしたい

title by 三秒後に死ぬ



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