「いやぁ、本当にまいっちゃうよ」 そうやって言うわりに常と変わらぬしまりのない顔で笑う風来坊に、いつも以上に眉間に皺を寄せた小十郎は深いため息をついた。 「俺はさ、いつもの通りまつねえちゃんのご飯をつまみ食いしただけなんだぜ?」 「…つまんだのか」 「お腹すいてたからね。鍋からひょいっと」 あっけらかんと言ってのける慶次に、小十郎の頭はずきずきと痛みを訴えはじめていた。 鍋から直接ということは、毒味もしなかったということだ。 いくら信頼のおける者が作った料理とはいえ、毒の有無を確かめもせず口にいれるなんて、当主の縁者である自覚がなさすぎる。 前田家の炊事を取り仕切るまつねえちゃん、つまり慶次の叔母の料理の腕が一流であることも、薙刀を扱わせれば並の男ではかなわないことも小十郎はよく知っている。 それ故に、毒味という武家にとっては当たり前の概念が前田家に根付かなかったのかもしれないが、その甘さが今回の事態を招いたのは間違いない。 小十郎は鋭い視線に呆れの色をにじませながら、目の前に座った慶次の頭のてっぺんから足先までを改めてまじまじと眺めてみた。 「…その鍋で、そんなことになったのか?」 「うーん…鍋っていうか、入ってた野菜のせいかな」 「野菜?」 「それがさ、西のおかしな教団の特製だったみたいで」 たった一言にも関わらず、小十郎は目の前のありえない状況に納得できてしまった。 なにせあの珍妙な集団は、理解の範疇を越えた技術や能力をこれでもかと見せびらかしてくるのである。 一度でも彼等の本拠地に足を踏み入れた者ならば、ザビー教のせいだと言われれば大抵のことに頷くことができるようになるだろう。 今の小十郎は、まさにその状態だった。 「まつねえちゃんは行商人から野菜を買ったんだけどさ、そいつが教団の回し者だったんだよ」 「前田家を潰しにかかった、ってことか?」 「いや、突然変異で珍しい野菜ができたから、家なら高く買ってくれるかもってわざわざ売りに来たんだって」 まつねえちゃんを言葉巧みに騙すなんて!と慶次は憤慨しているが、彼女以外は決して引っかかりはしなかっただろうと小十郎は思う。 なにせあの教団の作りだす作物は野菜を愛する小十郎でさえ手を出す気にはなれない見た目をしているのだ。 どれだけ美辞麗句を並べ立てられたとしても、口に入れる勇気はとても出ない。 よく慶次の叔母は買う気になったものだと妙な感心を覚えながら、小十郎は小さく首を傾げて口を開いた。 「その野菜は全部前田家で買ったのか?」 「いや、ちょっと残ってたんだけどさ、行商人とっちめるついでに燃やさせてもらったよ。勿体なかったけど、こんなになるって分かってるのに、売りさばかせるわけにはいかないだろ?」 「そうか…よく捕まえたな」 言った瞬間に「褒められた!」と顔を輝かせて抱きつこうとしてくる慶次の頭を、小十郎は反射的に片手で押さえつけていた。 不満そうに唇をとがらせて見上げてくる慶次の顔は、見慣れたものより一回りほど小さい。 そればかりか、いつも身につけている赤や黄色の派手な着物ではなく、紫を基調とした袴姿に身を包んでいる慶次の身体もまた、全体的に縮んでしまっていた。 そうでなければ、似たような背格好の慶次が小十郎を見上げるなんてできるわけがないのだ。 この時点で十分におかしな事態なのだが、ザビー教特製の野菜がもたらした変化はそれだけではすまなかった。 小さくなった慶次の頬や肩は柔らかな丸みを帯びており、着物の合わせ部分は確かな膨らみを主張している。 一体なにがどう作用したらこうなるのか、今の慶次の身体はすっかり女性へと変貌を遂げていた。 「で、どうかな?」 「…どう?」 「俺が女になったわけだけど、付き合ってる身として、小十郎さんの感想はどうってこと!」 こいつは本当に自分の現状を理解してんのか。 真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなって胡乱な目つきになる小十郎をよそに、慶次は期待をこめた眼差しで小十郎を見上げてくる。 「自分で言うのは何だけど、顔も身体もそこそこいい塩梅だと思うんだ。ね、どうだい?」 「…一生そのままって訳じゃねぇんだろ?」 「え、うん。効果はせいぜい三日程度だって」 「そうか」 「…それだけ!?」 ひどいよ小十郎さんと大げさに嘆いて見せる慶次に、小十郎は無言で冷ややかな視線を容赦なく浴びせる。 そんなつれない態度にもめげずに、慶次はもう一度「どう?」と同じ問いを繰り返す。よっぽど答えが気になるらしい。 ならばこのまま放っておいても諦めないだろうし、煩くて敵わないに違いない。想像するだけで面倒くさい。 そう判断した小十郎はもう一度大きなため息を吐いて、掴んだままだった慶次の頭から手を放した。 「……中身がお前のままなら、なにも変わりないだろう」 「え?」 「俺は前田慶次って一人の人間と付き合ってるわけで、男だとか女だとかは関係ねぇよ」 「…小十郎さん…っ!」 感極まったかのように口に両手を当てた慶次は、瞳をきらきらと輝かせながら頬を上気させた。 「小十郎さん、ほんとかっこいい…大好き…」 「…馬鹿にしてんのか」 「本気だって!こんなかっこいい小十郎さんが俺を好きになってくれて良かったって、本気で思ってるよ」 へらりと頬を緩ませる慶次に、小十郎は気づかれないように小さく息を飲んだ。 なんだかんだと言いながらも、小十郎だって慶次を好いているから恋仲なんて間柄になっているのだ。 とろけそうな笑顔で真っ直ぐに好意をぶつけられれば、悪い気はしない。 そんな心持ちになっていたからだろう。 「じゃ、俺そろそろ行くよ」 なんて言いながらよいしょと立ち上がった慶次に完全に不意をつかれて、「は?」と間抜けな音が小十郎の口から飛び出していたのは。 「せっかくだし、謙信とかすがちゃんにも見せびらかそうと思ってさ」 「ほう…」 「絶対びっくりするよな。謙信の驚いた顔、すごい楽しみなんだ!」 今にも部屋を飛び出して行きそうな慶次に、小十郎の胸の奥がじりりと焼ける。 好き放題に心中を乱すだけ乱して落とし前もつけないなんて不逞な真似、見過ごすわけにいかない。 衝動に突き動かされるまま、小十郎は慶次を畳の上に押し倒していた。 「こ、小十郎さん?」 「…俺以外に、見せびらかす必要があるとは思えねぇがな」 とびきり低い声で囁いてやると、突然のことに驚きに満ちていた慶次の顔が、みるみるうちに喜びに染まっていく。 「ほ、本当に?」 「こんな下らない嘘つくと思ってんのか」 「ううん!…っ、嬉しい…」 抱きついてこようと伸ばしてくる腕を、今度は邪険にすることなく受け入れる。 普段ならば絶対に言わないような言葉を口走ってしまった気がするが、それもこれも慶次が女になってしまったりするからいけないのだ。 首に回った腕の柔らかさを味わいながら、小十郎はそんな無責任なことを考えていた。 I love you just the way you are.(そのままの君が好きだよ) title by 瑠璃 |