「うぉおぉぉおおおっ!」 静寂を切り裂く大きな声に、近くの木立で羽を休めていた鳥たちが深夜だと言うのに音をたてて飛び出した。 重なりあう羽音はそれなりに煩いものだったけれど、そうさせた張本人である真田幸村の耳には全く入らない。 丑三つ時と言われる刻限に瓦張りの屋根の上で愛槍を握る幸村の意識にあるのは、目の前で悠然と微笑む前田慶次しかなかった。 「さあ来いよ、幸村」 一体なにがきっかけだったかなんて二人はもう忘れている。喧嘩というものは概してそんなものだ。 幸村と慶次は二人で酒を飲み交わしながらくだらない世間話に花を咲かせていたけれど、酔いが回るにつれてだんだんと語調は荒くなり気付けば互いに得物を握っていた。 屋敷を壊さぬようにと部屋を出たのは、二人に残された最後の理性。 今はただ、刃を交えることが嬉しくて楽しくて胸が踊って仕方がない。 幸村は短く息を吐くと、足に力を貯めてその場を強く蹴った。 とっさに刀を構えた慶次の目の前に、赤い塊が突っ込んでくる。 「へっ!まだまだ!」 「どりゃぁああっ」 噛み合った刃がぎちぎちと音をたてる。 眉を寄せて踏ん張る慶次の足下で、瓦が支えきれなくなったのかぐしゃりと形を崩した。 その感触に小さく口笛を吹いた慶次は、力任せに刀を思い切り振り抜く。 力勝負になると幸村の方が僅かながら分が悪い。 吹き飛ばされる前に自分から後方に飛んだ幸村を追って慶次も走り出そうとしたけれど、その鼻先に赤い槍が音を立てて突き刺さった。 飛びながらも幸村が投げたそれに、慶次の動きが一瞬だけ止まる。 その一瞬で、十分だった。 「でやぁああっ!」 「ぅおっ」 地に足がついたのと同時に再び慶次に突っ込んだ幸村は、残った槍を両手で握り、渾身の力を込めて慶次に叩き込む。 慶次も先ほどと同じように大刀でがっちりと受け止めたけれど、片足が奇妙に崩れ落ちた。 先の衝撃で割れた瓦が、今度こそ耐えきれずにばらばらになって屋根を滑っていく。 つられて体勢を崩した慶次が幸村の一撃を押さえきれるはずもなく、慶次は襲い来る力に体を浮かせた。 飛んでいくその先は、屋根の外。 常ならばそれなりの高さがあるそこから落ちても多少の痺れで済むだろうけれど、今の慶次は受け身もままならない。 幸村は我にかえると腕を伸ばしながら屋根を蹴った。 「慶次殿!」 間一髪、慶次の手首に幸村の指が届いた。 握った腕の先で慶次はなにが起きたのか理解しきれていないのか、目を丸くしながら瞬いて幸村を見上げている。 怪我の無さそうなその姿に、幸村は安堵の息をついた。 「すみません慶次殿。頭に血が上ってしまって…」 「んーや、お互い様だって」 にかっと笑みを浮かべる慶次に微笑み返した幸村は、よいしょと慶次の体を引き上げにかかる。 それなりに重さのある体だけれど、甲斐の虎の為にと鍛錬を怠らぬ幸村の苦にはならない。 段々と上昇する体に、幸村を見上げたままだった慶次は、途中でふと笑みを浮かべた。 幸村が不思議そうに首を傾げると、ふふっと楽しげに口を開く。 「なんかさー」 「はい?」 「幸村って、かっこいいな」 「………は、」 思いもよらぬ言葉に、慶次を持ち上げていた腕がぴたりと止まる。 混乱しているだろう幸村の顔を楽しげに眺めていた慶次は、笑みを深めてもう一度、同じ台詞を口にした。 「かっこいいよ、幸村」 その声が耳に届いたと同時に、幸村の腕から力が抜けて慶次の体は大きく揺れた。 My precious darling!(かわいい人!) (ちょ、幸村、落ちるおちる!) (慶次殿が変なことを言うからでござるっ) title by ニルバーナ |