「…伏犠、いつになくいい男ぶりだな」 「はっはっはっ」 いつもと同じ冷めた口調に呆れの色を乗せた女カの言葉を気にした様子もなく、伏犠は朗らかに笑い返した。 その様子に相変わらずだとひとつ嘆息をついた女カは、目の前の赤く腫れた頬に細い指をするりと伸ばす。 少しばかり力を入れてそこを押すと、あいたと伏犠に似合わぬ気弱な声で泣き言を言う。 仙界でも屈指の戦闘能力を誇る伏犠にこんな傷がつくなんて、一体なにがあったのだろか。 「ここに来る前に坊主に会ったんだがなぁ」 「坊やにやられたのか?」 どちらかといえば体力よりも知力で勝負したがる太公望にはあるまじき所業である。 確かに伏犠は常から太公望をからかって遊ぶ傾向があるが、ここまでされたのは初めて見る。 女カは首を傾げて伏犠の言葉の続きを待った。 「それがのう、儂は明日から人間界の視察に下りることが決まってな」 「それはそれは」 遠呂智の作った二つの世界を合わせた異空間。 諸悪の根元である遠呂智を打ち倒すことは出来たものの、彼が作り出した世界を元のあるべき姿に戻すことは叶わなかった。 しかし無理やり繋げられた世界が今後も今のように安定を保っていられるかは誰にも分からない。 だからこそ仙界は、定期的に仙人を送り経緯を観察することにした。 今回それに選ばれたのは、伏犠らしい。 ちなみに三ヶ月程前に行われた際は女カであった。 「じゃから誰か言伝なり何なりある人間はおらんかと聞きに入った途端にこれだ」 「それはお前が悪い」 間髪入れずに言われた伏犠は不満げに唇を尖らせた。 伏犠としては親切心から声をかけたというのに、思い切り殴りつけられたのだ。 その上に非は自分にあると言われると、いくらなんでも悲しくなってくる。 仙術を使ったのだろう、冷たく心地よい女カの手に頬をあずけてむすりと問いかけた。 「何故じゃ」 「人間界に一番行きたかったのは、多分、坊やだからさ」 「どういう意味だ?」 「なんだ、知らないのか」 いったい自分が何を知らないというのか。 含みを帯びた女カの笑みに、伏犠はぱちりと瞬いた。 「人間界に思い人がいるんだ。とびきり愛しい人間がね」 「坊主が、人間に?」 伏犠の目が驚きに丸くなる。 見守るべき対象である人間を"人の子"と呼び、上から見下すような態度で接していた太公望が、人間に恋をした。 信じられない言葉に思わず眉を寄せると、女カの口からくすくすと笑い声が漏れる。 自分の知らない間にそんなことになっていたとはと、ただただ驚きばかりがわいてくる。 「誰じゃそいつは」 「坊やが世話になった国の主だ。なかなかの男ぶりだったな」 「ほほう…」 顎に手を当てて斜め上に視線をやる伏犠に、なんとなく面倒な匂いを感じ取った女カは冷やし終わった頬をぺしりと叩いた。 気付いて視線を移して来た伏犠の瞳は、楽しそうに輝いている。 「……良からぬ事を企んではいまいな」 「なあに。挨拶ぐらいなら坊主も許してくれよう」 「…程ほどにな」 こんな忠告ではなんの意味もなさないだろうと予想はついたけれど、女カはそれ以上口を出すのは止めた。 そう簡単に止まる男ではないと分かっていたから。 ばれて太公望が更に激昂しなければよいけれどとちらりと思ったが、ばれないほうが難しいと、顔を輝かせる伏犠にため息をついた。 俄然、やる気がでました。 (楽しんでいるのは一人だけ) title by AC |