できるならばその頬に思い切り拳骨をかましてやりたい。 こみ上げてくる苛立ちを必死に全神経を使って押さえつけた劉備は、卓の上に置いた己の右腕にべたりと貼り付いて絶え間ない嫌悪感を与えてくる手のひらの持ち主に、一部の隙もない笑みを向けた。 卓を挟んで正面に腰を下ろした曹操は、そんな劉備に口角を上げて答える。 けれどその瞳はまったく笑いの色なんて浮かべていなかった。 劉備の腹の内を読もうとでもするかのように、冷たくじっとりしている。 会話の途中、丸い卓の中心に置かれた急須に手を伸ばしたところを突然捕らえられてからしばらく経つ。 奇妙な沈黙に耐えられなくなった劉備は、ぐっと腹に力を込めて気合いを入れてから口を開こうとした。 「劉備」 「っ…」 それを見計らったかのように、曹操の落ち着きのある低い声が劉備の名を呼ぶ。 虚をつかれた劉備は出しかけていた言葉が喉につまって、誤魔化すように首を傾げて答えるだけで精一杯だった。 本当に時機を計っていたのか、曹操はそんな劉備の様子に満足げに鼻を鳴らしてから口を開く。 「人を屈服させる、最も効果的な方法はなんだと思う?」 一体どこからやってきたのか分からぬ話題に、劉備は眉をひそめて思案した。 こんな明日になれば忘れてしまうようなどうでもいい気まぐれの話に付き合いたくは、ない。 けれどいまの劉備の命は曹操の手のひらの上にあるようなもの。 逃げられるはずも、なかった。 だから劉備は、渋々(もちろん悟られることのないように)口を開いた。 「…金品、でしょうか」 「より多く与えられる者が現れれば、そちらに靡くだろう」 「では、権力」 「時勢によって簡単に奪われるぞ」 そんな時勢で覆るようなものに今の私は縛られているのですね。 そう自虐的に思いながら、劉備は空いている片手を上げて降参の態度を示した。 曹操はしばらくそれを楽しげに目を細めて眺めた後、左の指でするりと劉備の肌を撫でる。 まるで愛撫のようなそれに、劉備の肩がびくりと揺れた。 「…身体、だ」 「からだ…ですか?」 「嫌悪されても罵られても力ずくで無理やり身体を開かせる。泣き喚いて懇願しても放さずに教えてやればいい」 曹操の鋭い眼光が、劉備に突き刺さる。 彼がなにを思いながら言葉を紡いでいるのか、劉備には分からない。 それでも、怖いと、思った。 そして同時に、哀れだった。 そんな考えしか出来ない曹操が。 「お前は私よりも弱い。私に反抗するなど、できもしないのだと」 「それは…」 思わず心のうちをそのまま口に出そうとして、劉備はきゅと唇を噛んだ。 けれど曹操はその無言を許さない。 だから、劉備は取り繕うように、言った。 「それは、とても、怖いですね」 目の前に座る人はどこか不満そうに見えたが、この問答に飽いたのか劉備の腕から手を除けた。 まだ曹操の熱が残っている腕を胸に抱いて、劉備は先ほど口に出しかけた言葉を胸の中で呟く。 (それは、いつか、私を抱いた時の言い訳にするのでしょうか) あぁなんて、哀れなんだろう。 劉備は目を伏せて、白湯を口に含んだ。 覚めない夢を望んでる 言い訳なんて、しなくてもいいのに。 title by AC |