幽霊が怖れる心霊現象について

ヨシノが初めて西洋人形を見たとき感じたのは、どちらかというと恐怖に近かった。日本人形は髪が伸びるとよく言うが、これは目を離した一瞬で姿勢を変えたり、見つめているとぱちりと瞬きでもしそうだ。そんな風に思ってしまって、それ以来目を合わせられない。
それを承太郎に話したら、おめー同じ幽霊のくせに何言ってやがんだと鼻で笑われた。ヨシノは確かに幽霊であるので、同じく姿が見えている幽霊は別段なんとも思わない。心霊写真に写りこむ手や顔、オーブや人魂と呼ばれる目に見えるものに対しては、ああ死因には色々あるのだなぁと思うくらいである。
だが、勝手に動く人形とか、壁に血で文字が浮かぶとか、そういう正体の見えないものについてはてんで耐性がなかった。自分が死んでいるからこそ、似て非なる現象には恐怖を感じていた。幽霊が人形を動かしているなら別に問題ないが、ティーンエイジャーが引き起こすとされるポルターガイストはとても怖かった。なんで触らないで物を動かせるんだ。しかも無意識に、制御もなく。
とにかく、生きている人間からしたら同じ心霊現象でも、ヨシノにとっては大きな差があった。なので、どちらの人形も可愛いとは思うが、ヨシノは苦手であった。しかし、由緒ある御神木というものは、色んなものを供えられる。それは儀式的なものや習慣なので他意はなく、好意であるとは分かっているものの、時たま人形が供えられるたびに、ヨシノはひゅっと息を飲んでしまう。
──そんなヨシノであるが、現在進行形で心霊現象を目の当たりにして一人悩んでいた。
公園の入り口でヨシノは少女とぶつかった。正確に言えば少女の方が突進してきたのだが、ヨシノも観光客よろしく余所見をしていたので避けられなかった。お嬢ちゃん大丈夫かい、と声をかけたが、少女はぐっと涙を堪えた顔を見せてそのまま走って公園の中へ行ってしまった。やれやれ、まあ子供はそういうものだろう、と特に気にせず歩き出そうとしたヨシノだったが、その足元に髪飾りが落ちていることに気付いた。ぶつかった拍子に少女が落としたのだろう。ヨシノは公園の少女へ声をかけようと振り返った。
──が、公園の中には、誰も居なかったのだ。
中々に広い公園なので、この一瞬で公園を抜けるというのは不可能だろう。公園というよりは広場に近く、遊具は殆ど置かれておらず、姿を隠してしまうような障害物も無い。

「……え、なんで」

堪えきれず、ヨシノは声を漏らした。サーッと血の気が引いていく感覚がして、まだ昼過ぎで街はざわざわと騒がしいのに、そこだけ音も色も消え失せたように思えた。
ざわつく胸を押さえて、ヨシノは公園内へ足を踏み入れた。
やはり少女の人影はない。あてもなしにとぼとぼと歩を進める。そんな、確かにぶつかったのに。ヨシノが無意識に腕を擦りながら歩いていると、植木のそばで光が反射したのが目に入った。
近付いてみると、それの正体は小さな手鏡であった。髪飾りと同じ装飾が施されている。拾うのを躊躇って、立ったまま鏡を覗きこんだ。すると──本来は空が見えるべきヨシノの顔の横に、少女の顔が浮かんでいた。

「え!?」

思わず後ろを振り返って辺りを見回し、居るはずがないと分かっていても頭上も見た。が、やはり誰も居なかった。もう一度恐る恐る鏡を覗き見ると、変わらず少女の顔があって、そして目が合ってしまった。
顔付きは西洋人形のようで、しかし髪の色はヨシノと同じく日本人のような艶やかな黒であった。そこでふと、少女の位置に違和感を覚えた。
鏡の中の少女の顔は、立ったまま鏡を覗きこんでいるヨシノよりも大きかった。つまり、ヨシノの後ろではなく、もっと鏡に近い場所に居るのだ。けれど、鏡とヨシノの間には何もない。いよいよ訳が分からないヨシノは、意を決して鏡を取ろうと手を伸ばした。
──瞬間、えも言われぬ感覚が全身を撫でた。ヨシノは素早く身を引いて再び辺りを見回した。しかしやはり、そこはなんの変化もなかった。鏡の少女が、目の前に居ること以外には。
──正確に言えば、それ以外にも劇的な変化がこの場所にはあり、混乱しているヨシノがそれに気付いていないだけであった。あとから思い返せば、何故気付かなかったのかと思う気持ちも湧くが、しかしこの時には、苦手な正体不明の心霊現象を目の前にして冷静にその違和感を掴むことは困難であった。

「おねえちゃん」

鏡の少女が口を開いた。一瞬、呼吸を忘れるが、少女のひらひらとレースが幾多にもあしらわれた服が脱げ、上半身が露出していることに気が付いて、ぶわっと腹の底から別の悪寒が沸き上がる。ヨシノは慌てて上着を脱いで、それで少女を包んだ。

「お嬢ちゃんの他に誰か居るかい」

少女を抱き寄せて抑えた声で問いかける。気配は無い。しかし、エジプトで対峙したヴァニラ・アイスのような、亜空間へ潜み気配を消してしまえるスタンドもある。先刻の妙な感覚は、スタンドを利用して少女に手を出す不埒な輩が、目撃者を消そうとヨシノにも攻撃を仕掛けたのかも知れない。

「いないよ」

少女のくぐもった返事が聞こえた。目撃者を見て逃げたのか。情けないやつめ。ヨシノは腕を緩め少女を解放した。見たところ服を脱がされただけのようだし、様子から察するに何をされそうになったかも分かってはいまい。ヨシノはほっと息を吐いた。だが、成長してからこのことを思い返し、理解してしまったら傷付くだろう。今の内に夢にしてしまった方が──

「ここはおれがいいって言わないと来れないから」
「え?」
「公園は誰もいなかったけど、いてもおねえちゃんしか呼んでない」

──なるほど、スタンドで身を隠したのは、少女自身だったのか。詳細は分からないが、姿を隠せるということか。
公園には誰も居なかったと少女は言った。では、何故服が脱げているのだろうか。そして、もう一つ引っかかるのは──

「あとおれ、お嬢ちゃんじゃない」

──聞き間違いではなかったようだ。少女ではなく、少年であった。

「これは失敬。可愛い服を着ていたから」
「おれこれ嫌い。だからいつもここで脱いでから遊ぶんだ。そしたらおねえちゃんが来たから、なんか用かと思って」
「ああそうだった。髪飾りを落としたろう」
「あ、ありがと。つけて帰らないとまた怒られるとこだった」
「……それはご両親の仕立てかい?」
「うん。母さんはおれを女の子にしたいんだ。父さんはおれのことどうでもいいの」

受け取った髪飾りを指先で弄びながら少年は淡々と話す。

「うちみんな金髪なんだ。おれだけこんななの。おねえちゃん日本人?」
「ああ」
「おれも日本人なのかなあ」
「ご両親はイタリア人かい」
「うん」
「じゃあぼくもイタリア人だよ」
「そっか。父さんはおれ日本人じゃないかって言ってたけどハズレだね」

──なるほど、父親は妻の不貞を疑っているのか。しかしそれを堂々と子供に言うとは。

「お母さんはどうしてぼくを女の子にしたいんだい?」
「おれが日本人だから父さんのあとつぎになれないんだって。でもあとつぎにならないなら女の子じゃないとだめ?とか?よく分かんない」
「……そうか。難しいな」
「うん。動きづらいし着たくないんだけど着ないと母さんすげー怒るんだ。学校でも先生におれのこと女の子だって言ってさ。みんなの前で言うからおれまで変なやつって言われて、友だちもあんまり居ないんだ。だからいつもこっちにいる。ここ、みんな入って来れないんだよ」

寂しそうに語る少年の手に、すうっと透けた手が浮き上がって重なった。慰めるように少年の手を包んだ手を辿ると、少年に寄り添うゴーグルをしたような顔の人影が確認できた。

「なるほど。その子がこの世界を作ってくれるのか」
「え」
「うん?違うのか?」
「おねえちゃん見えるの!?」

表情を一転させて少年と人影はヨシノに詰め寄った。ヨシノは戸惑う。なんだ、この反応は?

「すごいすごい!初めて会ったよ、この子が見えるひと!みんな見えないって言って、おれ、おれ!」

興奮した様子でぴょんぴょんと飛び跳ねて歓喜を露にした少年を見て、ヨシノはやっと理解した。
──ああ、花京院がいつか言っていたあれだ。なるほど。この子も、理解されない孤独に苦しんでいるのか。

「私もぼくと同じだよ。見えない友達がいるのさ」
「ほんとに!?」
「ああ。残念だけど見せられないがね。恥ずかしがり屋なのさ」

──まあ目の前に居るが。説明が難しいので、そういうことにしておこう。

「お互い見えない友達が居るなら相手の友達も見える。生きていればいずれ会えるさ。私の回りはそういう人ばかりだよ」
「そうなの?いいなぁ…」
「……ねえ、ぼく。私と友達にならないかい」

あまりにも寂しそうに少年が呟くものだから、ヨシノはついそう尋ねた。輝かせた少年の目がこちらを射抜く。

「旅行で暫くこの辺りを観光しようと思うんだが、何処にどんなものがあるのかさっぱりだ。ぼくが案内してくれると嬉しいな」
「うん!する!おれずっとこの街にいるから、案内できる!」
「はは、頼もしいな。それじゃあ、元の世界に戻してくれるかい?ああ勿論、服を着てね」
「……こっちのままじゃあだめ?人居ないから歩きやすいよ」
「でも、買い物できないだろう。お腹が空いたから、まずリストランテに行きたいな」
「…うん」
「……いや、まず服屋に行こう。そしたらまたここに来て着替えて、ご飯にしよう。案内してくれるお礼に、ぼくが着たい服を買ってあげよう。それから、ぼくの好きな食べ物を教えてくれるかい」
「えっ」
「もしお家の人を見掛けても、違う服で髪型も変えて堂々としていればバレないさ。旅人に母国を案内しておくれよ、ジェントル」
「うん、うん!おれね、二つ向こうの通りの服屋いきたい!いつもね、着てみたいなって思ってた」
「ふふ、そうか。じゃあ、早速行こう」

少年はヨシノの言葉でやっと重い腰を上げた。ヨシノに言われた通りにひらひらの服を着直して、ヨシノの手を握り、手鏡を拾い上げた。そして、

「ねえ、元に戻して」

″友人″にひとつ、お願いをした。
再びなんとも表現しがたい感覚が全身を走ったのち、世界は喧騒を取り戻す。ヨシノはそこでやっと、少年の世界の違和感の正体に気付いた。

「そうか、鏡の中にいたんだね」
「うん。おねえちゃん気付いてなかったの」
「ああ、幽霊の仕業だと思ったからね」
「おねえちゃんユーレイ信じてるんだあ」

君の目の前に居るんだがね。

「そうさ。見た目に違わず怖がりなのだよ」
「あはっ、ぜんぜん見えない!」

先程までとは異なり、少年はけたけたと明るく笑った。ああ、子供はそうして笑っている方がいい。ヨシノもつられて笑みを溢した。

「そういえばぼく、名前は──」
「あっ!待って!」
「え」
「おんなのひとから名乗らせちゃだめ!おれイルーゾォ!おねえちゃんは?」
「ふっ、ははは!そうだねジェントル。私はヨシノと云うよ。よろしく」
「うん!」

既に手を繋いでいたので、そのまま目配せをして挨拶をした。さあ、異国の旅人を、エスコートしておくれ。




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